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ポジティブとネガティブとその間。

大学を1年間で中退して
ブラジルへサッカー留学することを決心した19歳のとき
新たな習慣として日記を書くことにしました。

ネガティブな自分を変化させていきたくて。

東京都練馬区の小学校・中学校・高校という
周りのことを知ってたり
自分のことを知ってくれてたりする
そんな環境のなかで育ってきていたこともあってか
知り合いがまったくいなくて
全国から人が集まってきている
大学という新しい環境に戸惑いまくっていました。

で、その戸惑いは、サッカー部でも同じで。

しかもサッカー部は
広い地域から集まっているだけでなく
全国大会出場や県選抜、日本代表などの実績があって
大学側に求められて
推薦で入ってきている選手がほとんどで
でも自分はさしたる経歴もなく
受験をして大学に入ってプレーを見てもらい
やっとサッカー部に入れたという立場。

最初は気にしていなかったのですが
次第に周りと自分の比較ばかりに目が向いてしまい
劣等感みたいなものが
どんどんと膨らんでいってしまいました。

1・2年生の新人戦にスタメンで使ってもらったり
リーグ戦のメンバーに入れてもらえるようになったりと
少しずつ成果は出てきてはいたものの
1年生の最後に大学を中退してブラジルに行こうと決意。

が、自分はネガティブな状態のまま。

こんな自分のまま
知り合いもいなくて言葉も通じない国に行ったら
間違いなく精神的につぶれてしまうと思い
何かできることがないかを考えた結果
日記を書くということに行きついたのでした。

始める前に決めたマイルールは


① 毎日、寝る前に書く

② その日の出来事を書く

③ 必ずポジティブなことを見つけて書く


特に③を書いていくことで
ネガティブな見方に引っ張られがちだった自分を
振り戻していきたいなという想いがあって。

大学を辞めた次の日からさっそく書き始め
THE三日坊主の自分が
15年くらいは続けることができました。
(今はスマホに自由に入力する形に)

効果は、確かにあったと思います。

ネガティブを考えないようにするのではなくて
ポジティブを思い浮かべるようにする。

そのことで少しずつ
ネガティブに引っ張られ続けないよう
意識的に断ち切ることができるようになって
(日記以外では深呼吸やストレッチや寝ちゃう etc)
あとは、ポジティブなことを
自然と発見できるようにもなっていきました。

ポジティブになったというより
ネガティブに支配されることが
少なくなったが近いかもです。

最近よく、こう思うんです。 


[ ネガティブ ]⇔【 自然体 】⇔[ ポジティブ ]


昔の自分のように
ネガティブに引っ張られまくってたり
今いる環境がネガティブワードに溢れたら
様々なアプローチを自分に仕掛けて
ポジティブ方面に向かうことは大事だと思います。

けど、そのゴールはポジティブな自分ではなくて
ど真ん中にある「自然体な自分」じゃないのかなと。

6年前のブログに
こんなことを書いたことがありました。




先週参加させてもらった
愉快な仲間たちとのフットサル。

この日は
身体とココロがなかなか一致していたので
自分とボールの一致感もなかなかにありました。

そのなかで、めっちゃ嬉しいプレーがふたつ。

ひとつは、アシスト。
ゴール前で受けた縦パスをズラしてシュートと見せかけ
オレの背後を走ってきた仲間に
ヒールキックでパス → ゴール

もうひとつは、ゴール。
後ろの選手がボールを持ったとき、
相手DFラインの裏に抜けたんです、右斜め方向に。
そこに後方から浮き球のロングパスがきたのですが
それが走ってるタイミングと合っていたので
「 GKが出てきてるのとか見えないけど打っちゃえー 」
と思い、ダイレクトでボレーシュート → ゴール

どっちも日常では味わえない快感に包まれて
たまらなーい幸福感でいっぱいになれたのでした。

数日経って
その時に撮ったフットサル映像が
YouTubeにアップされたので見返してみると
( 毎回撮って、毎回アップしてくれているのです!)
ちょっとした疑問が湧き出してきました。 


 「 この2つのプレーで感じた喜びって、
  それぞれ何か違う気がする・・・ 」


両方とも嬉しいことに間違いはないんだけども
なんかその熱量みたいなものが違うというか。

そのことを、あれこれ考えてみました。

アシストのプレーは
自分が描いたイメージをピッタリとやれた
イメージを完遂できた喜び。

「 思考 」がすごく喜んでいる気がしました。

かたやゴールの方は
自分ではイメージできていないことを
身体が勝手に反応して出来た
イメージを越えられたことの喜び。

こっちは「 感覚 」がすごく喜んでいる気がしました。

そして
前者は「 それまでの自分を肯定できる喜び 」で
「 自分を満たせたことの喜び 」。

後者は「 これからの自分を肯定できる喜び 」で
「 自分を壊せたことの喜び 」なのかなぁと。

前に「Futbol&Cafe mf」のイベントで
南米サッカーの柔らかなご意見番 “ ワタリさん ” から


「 向こうでは “ ひとつのきっかけ ” で急激に成長して
    スターダムに伸し上がっていく選手がいるんですよね 」


というお話を聴いて
ああ、確かに日本ではなかなかないよなと。

右肩上がりの直線的なイメージではなくて
なだらかーな上昇から
急激に上がっていく曲線的なイメージの成長。

で、思ったのは
こういう選手たちの “ ひとつのきっかけ ” って
自分が感じることのできた後者の喜び
「 これからの自分を肯定できる喜び 」や
「 自分を壊せたことの喜び 」「 感覚の喜び 」
を感じられるワンプレーだったりするんじゃないかなと。

誰もがビックリするような
スーパーゴールだったり、スルーパスだったり
ヘディングでの競り合いだったり、ボール奪取だったり
ドリブル突破だったり、ビッグセーブだったり。

だとしたなら
そういう喜びが生まれやすい環境があれば・・・

そのヒントは
愉快な仲間たちとのフットサルにある気がしました。

おそろしくざっくり言うと


 「 無我夢中になっちゃう空気感 」


振り返ってみると
ブラジルやコスタリカのプロの練習でも草サッカーでも
そんな空気感に包まれているのが当たり前でした。

でも残念ながらそれは
日本ではなかなか感じることのできない空気感。

無我夢中だらけな環境さえあれば
人は勝手に、自分でも気づかないうちに
どんどんと成長していくんだと思います。



この無我夢中な状態になるには
自然体であることが必要なんだよなって思うんです。

力が入っていなくて
でも芯はしっかりと保たれてるニュートラルな状態。


[ ネガティブ ]⇔【 自然体 】⇔[ ポジティブ ]


『 TRAVELLING WITHOUT MOVING 』
というラジオ番組で野村訓一さんが
こんなことを言っていて、まさにそうだなと。


 「 人間なんだから
   ネガティブも、ポジティブも
   必ず両方あると思います。
   どっちかだけっていうのは絶対になくて
   ただ行ったり来たりするだけ。
   潮の満ち引きのように 」


そう、行ったり来たり、行ったり来たり。


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