#ひとり旅
1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集
前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。
さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2
1984年2月1日 帰国 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア各国を旅して 282日目
韓国・釜山港から下関港行きフェリーに乗って帰国, その後, 初めて広島に行き3泊し, 1984年2月4日にとりあえず静岡県の田舎に戻った。計285日。9ヶ月半程度だからバックパッカーの旅としてはそれほど長かったわけでもないが, まだソ連があった時代, そしてベルリンに壁があった時代, そのほか諸々, 現在とは違う, つまりもう「歴史」になっているようなものを見た面はあったわけだし, まぁそんな堅苦
もっとみるタイ・バンコク 〜 1984年1月7-21日, 日本を発ってから約9ヶ月経過
タイトル写真は, 1984年1月19日のワット・プラケーオ(วัดพระแก้ว, Wat Phra Kaew; Temple of the Emerald Buddha, エメラルド寺院とも, しかし「ワット・プラケーオ」は本尊の名前が由来か; 寺院の正式名称は วัดพระศรีรัตนศาสดาราม, Wat Phra Sri Rattana Satsadaram, 日本語カタカナ表記とし
もっとみるタージ・マハル は確かに美しかった, インド・アグラ 〜 1983年12月23日
というわけで, 今日 2021年12月23日は, 我が「タージ・マハル」38周年記念日なのだった。
1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ 〜 そのまま陸路イラン入国, さらにパキスタンを旅し, そして インド に入って, アムリトサル, ダラムサラ に
2度目のトルコ, 初めての首都アンカラ 〜 1983年11月9-11日
1983年4月26日に日本を発って, トルコ最大の都市イスタンブールには 同年8月と10-11月に合計 5週間滞在, 首都アンカラは 2泊3日イスタンは旅人にとって "超絶"魅力的な場所だったということがまずあるけれど, アンカラに来た頃は頭の中で徐々に見えてきた「インドの旅」への想いが(*1), 既に「はやる気持ち」レベルに到達していたということもあったかもしれない。
*1 元々この旅を考え始
イスタンブール再訪(1983年10月26日-11月8日)
1983年4月26日に日本を発ってから 6ヶ月 〜 ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプト, ここまでの振り返り
横浜港をフェリーで発って2泊3日の船旅で当時のソ連・ナホトカに向かったのが 1983年4月26日。その後, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後, ヨルダン川を渡ってイスラエルによる軍事占領下(1967年6月以来, 2021
ガザ地区, 被占領地パレスチナ 〜 1983年10月16-18日
パレスチナのガザ地区は現在の軍事封鎖下の環境と違い, (当時も今も変わらずイスラエルの軍事占領下にある)パレスチナのヨルダン川西岸地区と同様に, 当時はやはり軍事占領下の地域だった(もちろん同じくイスラエルによる!イスラエルのせいで説明が毎度毎度ごちゃごちゃする地域だね)。1983年4月26日に日本を発ち, ソ連・ヨーロッパ諸国を旅し, 1ヶ月いたギリシャを発って中東(西アジア)諸国の旅を始め,
もっとみる大学を訪ねたビルゼイト, ナブルス; 被占領地パレスチナ 〜 1983年10月12, 13日
1983年4月26日に日本を発って 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り
1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後(そこまでの旅については以下 note *1 第3章にソ連・ヨーロッパ諸国旅リンク関連, 第2章にトルコ・シリア・ヨルダンそれぞれの旅 note リンク), 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発って
エルサレムに戻って, 1983年10月9-10日 〜 見たり聞いたり考えたり思い出したりキブツに行ったり.. ヘドバとダビデの「ナオミの夢」 ♫
1983年4月26日に日本を発って 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り
1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後(そこまでの旅については以下 note *1 第3章にソ連・ヨーロッパ諸国旅リンク関連, 第2章にトルコ・シリア・ヨルダンそれぞれの旅 note リンク), 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発って
パルミラ(シリア, 古代ローマ帝国の都市遺跡) 〜 1983年9月11日(ISによる破壊の32年前)
写真は, 西暦紀元32年に建造され, 2000年近くこの姿を保ちながら, 今から6年前, 2015年に "宗教" 原理主義者 IS「イスラム国」がこの地域を制圧した際に破壊された, パルミラのベル神殿(1983年9月11日, 筆者撮影)。この写真を含む 1983年のパルミラの写真は 本 note 第2章にて。
謎の東洋人, パルミラに現わる1983年4月26日に「極東」日本を発った怪しげな東
シリアが括弧付きながら「平和」だった時代 〜 最初の訪問地 アレッポ, 1983年9月5-10日
1983年4月26日に横浜港で当時のソ連・ナホトカ行きのフェリーに乗って日本を発ち, その後, ソ連とヨーロッパを旅し, 7月11日から 1ヶ月はギリシャ, 8月11日から 1ヶ月弱はトルコを旅し, 9月5日にトルコ側国境の街アンタキヤを出て, 陸路, 初めて訪れるアラブの国, シリア(シリア・アラブ共和国)に入国した。21世紀に入って内戦に陥る時期よりもだいぶ以前の, 曲がりなりにも, 括弧付き
もっとみるシリア入国前に滞在した トルコ側国境の街 アンタキヤの飯屋で見た吉永小百合(の額縁入り写真!) 〜 1983年9月3, 4日
1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパを旅し, ギリシャからトルコに入り(8月11日), その後 イスタンブールとカッパドキアに滞在, そこまでの 130日
以下, 前説的なざっくり説明の後に, 過去 note 一部へのリンク。日本をバックパックひとつ担いで出たのは 1983年4月26日。横浜港から 2泊3日の船旅で当時のソ連・ナホトカに着いて, それから先はソ連・北欧諸国を旅し,
イスタンブールは「旅心」の琴線に触れる街 〜 トルコ, イスタンブール 1度目の滞在・旅 note 第3編(1983年8月18日から8月31日)
前説トルコ入国は 1983年8月11日(ギリシャ・アテネからの 2泊3日の列車旅でイスタンブール着)。日本をバックパックひとつ担いで出たのは 1983年4月26日。横浜港から 2泊3日の船旅で当時のソ連・ナホトカに着いて, それから先はソ連・北欧諸国を旅し, さらに南下しながらヨーロッパ諸国の旅を続け, ギリシャにはアテネとサントリーニ島に計30日滞在。そこまでの旅については以下リンク *1 と
もっとみるギリシャ, アテネ part δ' 〜 1983年8月2-3日(写真6枚), なぜか三木清 「人生論ノート」
1983年4月26日に日本を発ち, ギリシャ入国は同年7月11日:7月11-27日 アテネ, 7月28日-8月1日 サントリーニ島
1983年4月26日に横浜港から当時のソ連・ナホトカ行きのフェリー(2泊3日の船旅)で日本を発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, ソ連(当時はあったソヴィエト連邦!)を旅した後は北欧に出て, その後, 徐々にヨーロッパを南下, 7月10日にイタリア・ブリンディ