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マイノリティとマジョリティの間
私の兄には知的障害がある。
私はその兄の年子の妹だ。
いわゆる「きょうだい児」である。
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小学校低学年の頃、私は兄の手を引いて通学団で登校していた。
その役目を担うことが当たり前の責務だと思っていたし、周りの大人から
「なっちゃんはいつもえらいね~」
と、その行為を認めてもらえることが
うつ病でも、うつ病だからこそ、幸せを見つけられた
精神障害者になった(精神障害者福祉手帳を持った)
約1年半前。
あの頃の私は必死に
「普通」の24歳を演じようとしていました。
本当に障がい者手帳なんて私に必要なのか、
私が自分に甘んじているだけではないか、
持っているけれど絶対に知られてはいけない、
そんなふうに思っていました。
だから
人と会う時には
「自分は人生それなりに楽しんでますよ」
というふりをしていました。
一人になったら心の
ただの1日、されど1日。
メリークリスマスですね。
キリスト教徒ではないのでただの1日なのですが、あの記事をプレゼントしてからちょうど1年が経つので、久しぶりにお手紙を渡そうと思います。
ただの1日を積み重ねたこの1年。
その1年で何があったのか
振り返ってみたいと思います。
(私のストーリーより)
敢えてネガティブなことも入れてみました。
いや、仕事がずっとカオスやん。笑
でもこの1年は人生で一番充実していたと思い
世界って思ったよりもたくさんあるらしい。
私がパートナーとお付き合いを始めて、もう1年が過ぎた。
まさか自分が他の誰かと生活を共にする未来が来るなんて、
1年半前には想像もつかなかったことだ。
まさに過去の自分とは違う世界に生きていると思う。
さらに、こんなに性格も境遇も違う、
昔なら避けてしまうような部分をもつ人とこうして一緒にいるなんて、、
とさえ思う。
過去の自分からすれば、
他の惑星と住人と日々を過ごしているかのようだ。
期待を背負うと苦しい
幼い頃にやった習いごと。
ピアノ
エレクトーン
英会話教室
習字
陸上
バスケットボール
いろいろやってたけど。
本気で行きたくないと思ったのは
ピアノくらいだった。
他はたぶんお友達がいたから
お友達と楽しくやりたいが強かった。
英会話と習字は
少しずつ実力がついて
学校でも評価されつつあったのが
嬉しかった。
陸上とバスケットボールは
お向かいの友達がいたからやってたけど、
もとも
きょうだい児×元教師という経験が、誰かのためになるなんて
わたしの人生が誰かのためになるなんて
思ったこともなかった。
しかも
きょうだい児であり
教員を辞めたということが。
過去のことについてはこちら。
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現在私は放課後等デイサービスで勤務している。
利用する子は障害種別を問わない。
通常学級に在籍する子、特別支援学級に在籍する子、
特別支援学校に通う子もいる。
私はこ
節目を迎えるあなたへ
お誕生日おめでとう。
もう30歳になりますね。
わたしとは5歳差になりますね。
小学校でいうと1年生と5年生です。
中学校でいうと中学1年生と高校2年生です。
とってもお兄さんです。
いつも大きな背中を見て憧れていました。
なんてことはなく。笑
いつも年の差なんて関係なく隣にいてくれます。
私だけに甘える顔を見せるところもだいすきです。
それでも
やっぱり私より5歳多く生きているこ
まずは大きな感謝のことばを
私の人生を変えてくれた
いつも私と一緒に過ごしてくれている
大切な人に
このnoteを贈ります。
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何気なく幸せな毎日を
過ごさせていただいているからこそ、
いつも伝えそびれてしまうことを
手紙に書いてみようと思いました。
(ですが手紙に収まりきらなかったので、
noteに記すことにしました。
「日常」という儀式【朝のパン】
最近合唱サークルに参加していて、
この曲の歌詞をぱっと聴いた時に
全くイメージが湧かなかったのが、
今日の練習でようやく掴めてきた気がする。
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毎朝太陽がのぼるように
パンがトースターからポンと顔を出す。
トースターの中でパンが燃えているように
わたしのいのちも、
今日もこうして燃えている。
トースターの熱でパンは焼けていく。
その傍らにある
私の心の
心に花が咲き、果実を実らせる
教員時代、
生活科の授業で夏野菜を育てて
観察することが夏の定番だった。
果実を実らせるために必要なこと。
・土を耕す
・土に肥料を混ぜる
・苗を植える
・毎日水をあげる
・枝木を剪定する
・支柱を立てる
…etc.
植える場所の土壌や日当たり、
手入れの仕方によって、
育ち方や実のでき方が違うことが
とても興味深かった。
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「障害者」として生きること
「あの時は人が変わったみたいだった。」
一か月ぶりに会った母からの言葉は、
とても重かった。
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先日「精神障害者保健福祉手帳」を申請し、
無事(?)、3級を取得することができた。
診断書には
主たる疾患:うつ病
従たる疾患:摂食障害
と主治医によって記載されていた。
この手
「教師」の肩書きを捨てた。
私は約4か月前に「教師」という肩書きを捨てた。
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「教師」というと、教壇に立って、子どもたちに時には楽しい授業を提供したり、時には熱い言葉をかけたりする印象だろうか。
かつては、「小学校の先生をしていて~」と話すと、
「すごい!」「かっこいい!」なんて言葉をもらい、
自分でもその肩書きをもつことに魅力を感じていたと思う。
幼いころ
心から「おいしい」と言えること
先日、とある友人に摂食障害についてカミングアウトした。
まさか自分がこれまで、絶対にバレたくないと隠し通していたことを、この方に言うなんて、その瞬間まで自分自身が想像していなかった。
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私は炭水化物がうまく食べられないタイプで、
外で食事をとるとき「何食べたい?」と聞かれたら、必ず「肉!」と言っていた。
その友人と食事をするときもいつもそんな感じで、「
きょうだい児(者)×元教員の目線から見たインクルーシブ教育について思うこと。
インクルーシブ教育は
希望であり、苦痛である。
と経験から思う。
制度がないのにインクルーシブなんて、
ただの放任じゃないのか。
個別の支援のほうが、ひとりひとりの成長を促せるのではないか。
いやでも。
インクルーシブだったら助けられることもあるんじゃないか。
誰がたすかる?
支援される子?
その周りの子?
それとも担任の先生?
考えれば考えるほどわけがわからん。
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感情に名前をつけること
私が中学3年生のとき、
2年生で担任してくれた先生が亡くなった。
死因は公にされてはいないが、顧問をしていた部活で保護者とトラブルになって追い込まれて自殺した、、という噂だ。
とても熱く、面白く、やんちゃな生徒の心もうまく掴むような先生だった。まさに理想の先生というかんじ。
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当時のことは今でも覚えている。
10月のとある金曜日。先生は学校に来なかった。
理