「障害者」として生きること

「あの時は人が変わったみたいだった。」

一か月ぶりに会った母からの言葉は、
とても重かった。

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先日「精神障害者保健福祉手帳」を申請し、
無事(?)、3級を取得することができた。

診断書には
主たる疾患:うつ病
従たる疾患:摂食障害
と主治医によって記載されていた。

この手帳のカバーに「障害者手帳」と
書かれていることで、
「ああ私は障害者なんだな」と
改めて感じるとともに、
どことなくまだそれを
受け入れられない自分もいる。


(この記事を多くの方に読んでいただいて、
とても感謝のきもちでいっぱいです。)


この記事で話をしたように、
私の兄は障害者手帳をもっている。

兄は"誰がどう見ても"
「障害がある」のだ。


でも私は、誰が見ても
「障害がある」ように見えない。


ときどき気持ちが沈むことはあるけど、
それってほかの人もあるよね?

とか、

摂食障害って一応言ってるけど、
自分が我慢すれば食べられるから
自分に対する甘えでしかない
なんて思ってしまう。

まだ自分が社会の中で
「障害者」として生きていくことに
実感が湧いていないし、
それに後ろめたさを感じたりする。

自分自身が「障害者」という言葉に
偏見があるのではないか、と思う。

自分の中のマジョリティ性とマイノリティ性を
大事にしたい、と理想論を語ってはみたけど、
それでもやっぱり自分の弱さを受け入れることは
今の私にはとても高いハードルである。


だって、
ふつうに朝起きてごはんを作って、
車で職場に行って一日働いて、
夜ごはんをハウスメイトと食べて寝ている。

そうやって生きている。

なにも、目に見えてできないことなんてないのだ。

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私が精神疾患を患ったことは
家族にまだ言えずにいる。

そんな家族に久しぶりに会って
前職時代の話題になったとき、
母に冒頭の言葉をかけられた。

当時は正直隠していたつもりだった。
ただただえげつない残業と休日出勤を
していただけだったと思っていた。

でも一番近くで毎日会う家族からすれば、
あの頃の私はそう見えたようだ。

自分では気づかなくても周りはしっかり
その変化に気づいていたようだった。

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「しんどい」「つらい」
を言葉にすることはいつまでたっても苦手だ。

それを言葉にすると、
今ここで起きている出来事を
すべて否定しているような気持ちなり、
立ち向かえなくなりそうでこわい。


そんな自分にとって
この「障害者手帳」をもつことは、
もしかすると、
わたしの「しんどい」「つらい」を
代わりに表明してくれるものなのかもしれない。


ここ数年、数カ月で多くの素敵な出会いに恵まれ、
少しづつ「しんどい」が言える空間が
自分の周りにできている。

そんなときにやっとこの手帳を取得しようと
思えるようになった。


手帳を手にした今、
私にも「しんどい」を表明する権利があるんだ、
と手帳に後押しされているような気がする。

誰だってしんどいときは
周りに頼ればいいのだと。

そしてやっぱり頼った分は
自分のできることで周りに恩返しすればいい。


「障害者手帳」が
そうやって生きていくための
お守りになるといいな。

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