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きょうだい児×元教師という経験が、誰かのためになるなんて


わたしの人生が誰かのためになるなんて

思ったこともなかった。


しかも
きょうだい児であり
教員を辞めたということが。


過去のことについてはこちら。

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現在私は放課後等デイサービスで勤務している。

利用する子は障害種別を問わない。

通常学級に在籍する子、特別支援学級に在籍する子、
特別支援学校に通う子もいる。

私はこの障害種別や通う学校によって
子どもへの対応を変えようと
思うことがない。

というか障害名を聞かれても
ぱっと思い出せないことが多い。

私にとっては
自閉症もADHDも知的障害も脳性麻痺も
どんな学校に通っていようとも、
コミュニケーションの手段が言葉でもハンドサインでも、

正直、関わってしまえばどうでもよいのだ。

ただそれぞれに得意なことがあって
ちょっと現代の日本では生活しづらい苦手なことがある。

それだけ。

私の仕事は、
その子が少しでも社会で生きやすくなるように
その子の力をミリ単位でも高めるために
アプローチをすること。

それだけ。

苦手なことがあっても
その子のできることを全力で取り組んでいる子どもたちは
かっこよくてかわいい。


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この仕事の魅力を
「今日の仕事でねえ、~してる子がいてね」
としれっとパートナーに伝えることがある。

自分でも自覚があるけれど
その話す時の顔は喜々としているらしい。

私にとっては当たり前のように
ひとりの子として見ているのだけど、
違う環境で過ごしてきた人から見ると
それは真新しいことのようだった。

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それはきっと
わたしが”きょうだい児”であって、
幼い頃から”障害”というものが
身近に存在してたから。

そして教員になって
いわゆる”グレーゾーン”と呼ばれる
通常学級にいながら支援を必要とする子と
多く関わっていたから。

グレーゾーンの子は
名前のない”障害”を抱えている。

この子どもたちと関わった経験は
私に障害名による分断をなくした。

その苦しみにどんな名前がついていても、
ましてはついていなくても、
今生きているこの世界に”障害”があることには
変わりない。

きょうだい児であること、
教員としてたくさんの子どもと
関わったこと。

この経験が今の仕事で
「どんな子もひとりの個性ある子」
という感覚を創り出したのだろう。


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過去の自分の経験は
私にとっては
必ずしもよい思い出とは言い難い。

それでも
こうやって誰かのためになっているなら
そんな人生も認めてあげたい。

自分を認めることが
誰かのためになるのなら。

それはいつも関わる
障害がある子どもたちの個性を
認めているそれと
同じようにね。



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