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心から「おいしい」と言えること

先日、とある友人に摂食障害についてカミングアウトした。


まさか自分がこれまで、絶対にバレたくないと隠し通していたことを、この方に言うなんて、その瞬間まで自分自身が想像していなかった。


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私は炭水化物がうまく食べられないタイプで、
外で食事をとるとき「何食べたい?」と聞かれたら、必ず「肉!」と言っていた。

その友人と食事をするときもいつもそんな感じで、「なっちゃんは肉食女子だもんね~」
と会話をしていたのだけど。


その日も肉を食べに行って、帰りの車の中でなんだかんだと喋り倒していた。

夜の二人っきりの車の中、話は深まり深まり、
それまであまり言えなかったことをぽろぽろと自己開示していた中で食事の話になり、
なんだかこの人なら言ってもいいのではないか、という気がした。


「実はね、摂食障害というのがあってね、、」

炭水化物が苦手なこと、たくさん食べるのが苦手なこと、
メンタルによって食べられたりそうでなかったりすること。

今の自分についてこんなにサラサラと話せたのが今でも不思議でたまらない。


それに対する返事は私が想像していた以上にあっさりで。

「俺はそれになったことがないから分からないけど、別にいいんじゃないって思うよ?
誰だって食べられないものあるでしょ。」


ああそうか。食べられないものって無理に食べなくていいんだ。

この言葉にとても大きな安心感を感じた。

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それから、その友人とごはんをたべるとき、

「〇〇あるけど、食べれる?」
と聞いてくれるようになった。

お店でいろいろ出てくると
「食べれるものから食べや。残ったら食べるから。」
と言ってくれるようになった。


昔から「残すのはもったいない」とか「それだけ残すの嫌だから食べきって」と母に言われていた私は、残す、という選択肢を積極的にとらなくなっていた。

パンだって甘いものだって、本当は食べたい。でも全部食べられない。

残すのはもったいない、はしたない、申し訳ない。
だから最初から選ばないし、食べないようになっていた。


でも、これをきっかけに彼は、
「食べる」か「食べない」かの選択しか頭になかった私に、
「一口だけ」「少しだけ」という選択肢を授けてくれた。

そして私が残したものをおいしそうに食べてくれる。
このことにいつも救われている。


本当に食べたいものを罪悪感なく食べられるのはいつぶりだろうか。



食べたいものを食べて、
心から「おいしい」と言える空間を
久しぶりにもつことができた。


だから彼と食べる食事にひっそりと、
そして大きな幸せを感じている。

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私はそのことに感謝でいっぱいなのだけど、
それを言うと
「別に普通じゃない?」と返って来る。

そうやって普通に気遣ってくれる能力は、
もはや才能だと思うんだけどなあ。


それと、カミングアウトしたとき、
「きっと、食べられないことよりも、
食べられない自分に罪悪感を感じることがつらいのかな、って聞いてて思った。」

と言ってくれたことが、
当事者じゃなくても、理解してくれる素敵な人もいるんだ、と心の底から嬉しく思ったのでした。


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