見出し画像

本能寺の変1582 お知らせ №3 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

     お知らせ      №3 

はじめに ←目次 

加筆・修正

  いつも、多くの皆様に御覧いただき大変ありがとうございます。
  さて、表記の件につき、下記内容の一部を加筆・修正いたしましたので
  お知らせいたします。

   16光秀の雌伏時代 2美濃と越前

    第155話
     
◎「美濃の争乱」に見る土岐氏と朝倉氏の関係。
     ◎明智氏は、この争乱に巻き込まれた。
     ◎土岐頼武は、朝倉孝景の妹を妻に迎えた。
     ◎光秀と越前の関係は、ここに原点があった。
     ◎土岐頼純の誕生。
     ◎同じ頃、光秀、誕生。
     ◎光秀は、長じて後、この頼純の家臣となる。

    第156話
     ◎美濃は、斎藤道三の時代。
     ◎光秀の少年期~思春期の頃。
     ◎道三は、下剋上の道を突っ走った。
     ◎天文三年1534、織田信長が生まれた。
     ◎光秀は、信長より十±四歳ぐらい年上である。
     ◎この年齢差が、本能寺の変の一因になった。
     ◎土岐頼純の反撃が始まった。
     ◎光秀は、まだ、頼純に仕えていない。

    第157話
     
◎天文十二年1543、鉄炮伝来。
     ◎光秀は、土岐頼純の家臣だった。
     ◎光秀にとって、越前は、馴染み深い国だった。

    第158話
     
◎最初は、頼純が優勢だった。
     ◎道三が頼純を篭絡した。
     ◎天文十六年1547、頼純は、道三に殺された。
     ◎光秀は、これを見ていた。
     ◎光秀は、この様な時代を生きた。
     ◎光秀は、牢人になった。
     ◎斯くして、道三は、美濃を我がものとする。

  以上、4ヶ所。
  今後とも、よろしくお願いたします。
                              20231122


NEW!!

目次 が更新されました。

これで、全体像がよくわかる!!

毎日更新!!

原因・動機の究明は、この一歩から!!


NEW!!

重要 ◎目次 が更新されました。

本能寺の変

原因・動機は、この中にあり!!

ご注目下さい!!


この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?