本能寺の変1582 重要 ◎第6話 240127 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
重要 ◎第6話 240127
3信長の甲斐侵攻 1信忠、出陣 2/2
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*加筆修正 240127
◎信忠は、わずか一日で高遠城を攻略した。
落城の様子である。
歴々の上﨟・子供、一々に引き寄せ 〃 〃 、差し殺し、
切つて出で、働く事、申すに及ばず。
爰(ここ)に、諏訪勝右衛門女房、刀を抜き切つて廻り、比類なき働き、
前代未聞の次第なり。
又、十五、六のうつくしき若衆一人、弓を持ち、
台所のつまりにて、余多射倒し、矢数射尽し、
後には刀を抜き切つてまはり、討死。
手負い・死人、上を下へと員(かず)を知らず。
◎これが、武田最後の戦いになった。
組織的抵抗の終わりである。
すなわち、織田の大勝利。
そして、武田は滅亡へ。
となれば、・・・・・。
「信忠が武田を滅ぼした」
と、いうことになる。
これこそが、信長の思い描いていた構図。
事は、その通りに進んでいた。
討捕る頸の注文。
仁科五郎、原隼人・春日河内守・渡辺金大夫・畑野源左衛門・
飛志越後守・神林十兵衛・今福又左衛門・
小山田備中守 ( 是は仁科五郎脇大将にて候なり ) ・小山田大学・
小幡因幡守・小幡五郎兵衛・小幡清左衛門・諏訪勝右衛門・
飯島民部丞・飯島小太郎・今福筑前守。
以上、頸数四百余あり。
◎仁科信盛の首。
信盛は、武田信玄の五男。
勝頼の弟である。
享年、26。
仁科五郎が頸、信長公へもたせ、御進上候。
(『信長公記』)
◎信忠は、後継者として申し分のない人物だった。
信忠は、この戦いで、信長の後継者に相応しい大きな手柄を上げた。
今度、三位中将信忠卿、
嶮難・節所をこさせられ、
東国に於いて強物(つわもの)と、其の隠れなき武田四郎に打ち向かひ、
名城の高遠の城、鹿目(かなめ=要所)と、
究竟(くっきょう)の侍ども入れおき、相拘へ侯を、
一旦に乗り入れ、攻め破り、
◎信忠は、逞しい戦国武将に成長していた。
信忠は、東西の戦場に幾度も出陣し、合戦経験を積み重ねていた。
東国・西国の誉を取られ、
◎信長は、これに満足していた。
信長にとって、信忠は、心強い存在だった。
「おらばこそ」
先へ進むことが出来た。
信長の御代を御相続、
◎太田牛一がその証人である。
理想的な後継者だったのだろう。
牛一は、「後代の手本・模範である」、と言っている。
世間の誰もが、その様に見ていた。
代々の御名誉、後胤の亀鏡に備へらるべきものなり。
(『信長公記』)
◎織田家の前途は、大きく開けていた。
信長は、後顧に憂いがなかった。
内外、ともに、順調に推移。
「これで、よい」
充実していた。
織田家は、安泰。
その将来は、きわめて明るいものだった。
◎だが、しかし、明智は、・・・・・。
◎光秀は、高齢。
◎嫡男光慶は、若すぎた。
なるほど、立身し、出世はした。
国持大名にも、なった。
明智は、大きくなりすぎた。
しかし、己は、高齢。
嫡男光慶は、若すぎた。
◎光秀は、出来る男。
戦国の世である。
「役に立つ」
信長は、光秀を重用した。
◎光秀は、信長の期待を裏切らなかった。
これまで、一度たりとも、落ち度がなかった。
正に、パーフェクト。
非の打ちどころのない男。
見事である。
◎信長は、猜疑心が強い。
だが、それとこれとは、別。
信長は、光秀を信用していない。
◎光秀も、猜疑心が強い。
これに、同じ。
信長を信用していない。
◎信長は、用心深い。
「隙」を見せず。
心底、窺い知れず。
◎光秀も、用心深い。
これまた、信長に同じ。
気取られることなどない。
◎同じ穴の狢。
それ故、わかるのである。
「上様なれば、・・・・・」
◎光秀は、洞察力に優れていた。
すなわち、先が見えた。
己ならば、そうする。
◎光秀は、苦悩していた。
「ならば、如何にして、・・・・・」
◎光秀は、不安だった。
◎明智の将来は、一体、どうなるのだ!!
◎だが、この時は、まだ、望みがあった。
◎・・・・・。
光秀は、抜け目のない男。
打つべき手を、確と、打っていた。
⇒ 次へつづく
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