マガジンのカバー画像

SELF:ORIGIN ―自分の本質=『個性』と向き合う―

141
「わたし」は……だれだ!? 「わたし」はなぜ、いまここにいる!? そして、わたしは「わたし」を識る。 ずっと遠い過去から続いている、 わたしの中の「じぶん」に出会う。
運営しているクリエイター

#コラム

自分は何をしなければいけないのか。

自分は何をしなければいけないのか。

ドグドグ〜!(●´ω`●)

みんな、使命について考えたことあるドグ?(●´ω`●)?多分、使命ってたくさんの人が考えていることだと思うんだドグ。案外みんな真面目だから、自分の成すべき事って考えちゃうよね。(●´ω`●)それで自分の中にいるインナーチャイルドとか、背後にいるハイヤーセルフとか、いっそのこと神に問いかけたりするだろうけども。うちの、「中の人」はこう返事してくれましたドグ。(●´ω`●

もっとみる
「本当の自分」とは

「本当の自分」とは

「本当の自分でいよう」と誰かが言っていた。「ありのままで」と誰かが歌っていた。
しかし素の自分って何だろう。

僕は10ヶ月ほど前、ある考え方に出会った。
『分人主義』である。
簡単に言うと「本当の自分は1つじゃない」という考え方である。
これのお陰で少し生きやすくなった。

世間一般的に本当の自分というのは、自分の中に“1つだけある性格”のようなものとして認識されている。
では、本当の自分という

もっとみる
第298号『天与呪縛のフィジカルギフテッド』

第298号『天与呪縛のフィジカルギフテッド』

『呪術廻戦』の過去編「懐玉」エピソードの中で若かりし五条悟は異常なまでの身体能力を示す禪院甚爾(ぜんいんとうじ)に対して、こう表現しています。

「天与呪縛のフィジカルギフテッド」

本来、呪術者同士の闘いにおいて大きく戦況を左右するはずの呪力が全く感じられないことを悟ったモノローグの中での発言です。

また単行本5巻に収録されている「京都姉妹校交流会」エピソード中でもメカ丸自身が同じように『天与

もっとみる
何が「オレもそれやりたいです」と言わすか?

何が「オレもそれやりたいです」と言わすか?

「バスケがしたいです」というセリフが、マンガ『スラムダンク』の中に出てくる。そのマンガは週刊少年ジャンプで連載されていたころ(1990-1996)、とても人気があった。それを読んだ若者は「オレもバスケしたい!」と思い、こぞってバスケを始めた。
これは何度か書いていることだけど、人の欲求は「本人がしたい」と思う以前に、何かの影響を受けている。

なぜ当時の若者はバスケをやりたがったのか?『スラムダン

もっとみる
何者であるか、を手放せ。

何者であるか、を手放せ。

自分が何者なのかなんてわからなくていい、どうだっていいことだ。

他人にある程度を説明できる肩書みたいなものは必要だけど、それによって自分を語りつくすことなんてできない。だって、その肩書は、自分のほんの一部でしかないのだから。

だから、何者かになろうとして、”その肩書”を得たところで、何者かになれているのだろうか。手段としての肩書であって、目的ではないはずだ。その言葉に振り回されてしまっている、

もっとみる
EQを上げて『話しかけやすい人』になろう

EQを上げて『話しかけやすい人』になろう

【1149文字】
心の知能指数と言われる
『EQ(Emotional intelligence Quotient)』というものがあります。

EQを上げることにより、
『話しかけやすい人』『話しやすい人』になれば、
『話しかけにくい人』『話しにくい人』と比較して、

出会いが増え、情報が集まり、それにより人生の選択肢が増え、
幸福な人生を送ることが出来る可能性が高くなると思います。

以下にEQを

もっとみる
個性を「個性的」で均質化しないで

個性を「個性的」で均質化しないで

個性的という言葉は、あくまで個性「的」でしかないのだ。

「君は個性的だね」私は今の島生活をするようになる前からも、

「君は個性的だね」

と言われることが多くあった。もちろん「個性的」という言葉は誉め言葉なのかなとも思っているが、どこかで

仲間外れ

にされていく感覚もある。

今となっては一匹狼な私を応援してくれる人もいるおかげで、この感覚にはもう諦めや踏ん切りがついている。

とはいえ、

もっとみる
「分人主義」は、中学生の必須科目にしたらいいと思う。

「分人主義」は、中学生の必須科目にしたらいいと思う。

平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を読んだ。本の感想や紹介は苦手なので、読んだときの心の動きを、アホみたいにそのままお見せしよう。

「個人」を、さらに分けて「分人」という単位で自分というものを見て、人間関係を考える。ふむ。

一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。

コミュニケーションは他者との共同作業である。会話の内容や口調、気分な

もっとみる
ソーシャルグッドを欲望する若者たち

ソーシャルグッドを欲望する若者たち

若者はいつでも何かを強く欲望するものだ。こういうことを言うともう僕は若者ではないみたいだが――いや。たぶん若者時代は終わったのかもしれない。

そんな前提に立つことから今回の考察を始めたいと思う。ちなみにいま僕はこの文章を東京に向かう新幹線のなかで書いている。右斜めまえに座っている男は静岡で降りるつもりだったようだが、この新幹線は静岡では止まらない。そんな車掌と乗客との会話の近くでこれを書いている

もっとみる
人なんてわからない前提で話したいことがある

人なんてわからない前提で話したいことがある

端っこにいる人生だった。いや、比喩的な意味ではなく。比喩だとしてもおもしろくもなんともない。

なんていうか、そもそもの自分という個体のアティテュードというか仕様がそうなってる。しょっちゅうそれ言ってる気もする。

ここで、あたまのいい人は「おや?」と思ってるかもしれないけど、アティテュードと仕様を並列に表記してる時点でこの人おかしい。なぜおかしいのかは各自、調べろくださいなのだけど。

まあ、少

もっとみる

なぜ有名な小説には性的描写がおおいのか?

もう何年かまえに書いた文章なんだけど、なんとなくいま公開してみる。

****************
 最近買った本で、朝井リョウさんがTwitterで紹介していた窪美澄さんの「雨のなまえ」読んだ。

『窪美澄さんの「雨のなまえ」読んだあと、ほぼ無意識のうちに買っていたたい焼きを慌てて2つ食べました。たい焼きが出てくるほっこりした話、ということではなく、甘いものをすぐに摂取しないと、脳の感じがち

もっとみる
何者かになりたい症候群が寛解した話

何者かになりたい症候群が寛解した話

何者かになるよりずっと大事なこと

最初から何者かになることなんかに執着しない人が大勢いることは重々承知している
長いこと気付くことができなかった若輩者の記録としてふうんと笑ってほしい

noteと出会って割と相性がよかった私はそれなりに長い間文章を書き続けることができるようになった。日記もブログもすぐに忘れては書き始めを繰り返していたから無理なく続けられるプラットフォームに出会ってよかったなと

もっとみる
大人は今を本気で遊ぶ。過去の自分の総力戦が、今の自分なんだドグよ。

大人は今を本気で遊ぶ。過去の自分の総力戦が、今の自分なんだドグよ。



ハッピー・ハロウィン!用もなくケンタッキーのチキン・バーレルを持って佇むドグ子です。(*´ω`*) チキン・バーレルほど映えるアイテムもそう、ないドグよ。

2人のドグ子と、千と千尋の神隠しの「カヲナシ」さんと。カヲナシがチキン・バーレルを持っている姿もおかしい。この日の撮影のために用意したチキン・バーレルですが。一枚の写真に収まり、夢が叶った瞬間でした☆

「ドグ子さんが箸で虫を捕まえる瞬間

もっとみる
内向的・外向的のちがいは刺激に対する反応のちがい。『内向型人間のすごい力』感想とレビュー

内向的・外向的のちがいは刺激に対する反応のちがい。『内向型人間のすごい力』感想とレビュー

前にブログを読んでいたら『内向型人間のすごい力』がおすすめされていて、気になって読んでみたら目からうろこだったので、私も紹介していきたいと思います。

外向的(extravert)か内向的(introvert)かというのは、今まで自分がどっちなのかって意識したことがなかったのですが、この本を読んで自分は内向的よりだということがはっきりわかりました。

もちろん人のパーソナリティを簡単に二分すること

もっとみる