*現在更新をお休みしています* ヤギが集まるちょっと不思議な郵便局。山あいの小さな村でひっそりと営業中。心温まるポストカードが今日も届いています。
ふみぐら社 / Yunde Ippei
すれ違った人たち
生きることを仕事にするときに考えたこと、出会ったものたち
日常と異世界。哀しみとおかしみ。行き場のないことばたちのために。
音楽を有料で購入しないどころか、音楽そのものに無関心な「音楽離れ」が進んでいる云々の記事が流れてましたね。 まあ、これもポジショントーク要素とか、他のジャンルとの相対的要素とかあるので鵜呑みにはできないけど、そういう雰囲気はたしかにあります。 くるりの岸田さんが、その件で面白い考察をしていて、ざっくり言えば「聴かなくてもいいや」と思うような音楽が増えすぎたんじゃなかろうか、と。 * 一昔前までの音楽は“人間”がつくってたので、一つひとつの
私たちの結婚式は 『サヨナライツカ』に登場する詩を2人で読み上げるところから始まりました。もう10年以上も昔の事なので、なぜ選んだか思い出せなくなっていますが… 歳が離れているので これから一緒に過ごす時間に限りがあることをどこか気にしていたのかもしれません。 2022年7月11日 夫は自分の命を生ききり 新たな旅に出かけました。 noteから生まれたご縁には 夫自身も夫が紡いだ言葉たちも 励まされ癒されていたと思います。 これまで楽しみに読んで頂き本当にありがとうござ
奇跡みたいなのはあると思ってる。 だけど、奇跡をあてにして期待するみたいなのは好きじゃない。よくある「がん奇跡の体験談」とか、否定はしないけどなんか違う気がする。何が違うんだろう。
何だってそうかもれない。自分が辛いのは自分が耐えればいい。たいていのことは、どうにでもなる。 だけど、自分じゃない誰かが辛いのはどうしようもなく辛い。 「がん」もそうなんだ。自分だけが辛くて苦しいわけじゃない。
基本的にワガママと無縁の人生だった。少なくとも自分の意識の中ではね。 もちろん僕だって未熟人間だから結果的にワガママなことになってたのはあったと思う。けど自分から「そうしたい」って明確に思ったり考えて強引に周囲を動かしてっていうのは、ほとんどなかったんじゃないかな。 だから偉いとか、ワガママを実行する人がどうとかって話ではない。 こんな自分でも「あれ? これってもしかしてワガママ言ってるのか」と思うことが出てきたんだ。
いきなり、いろいろすっ飛ばして何言ってんだ。なのかもしれない。けど、この数週間ほどでいろいろあってね(いつもいろいろある人生だな)。 正直な話をするよ。
本当に強い人間ほど弱い自分を知っている。 そんなの太古から世界中の偉人が言いまくってることで、いまさら僕ごときが言うことでもないかもしれない。 でもまあ、いまでも偉人の弱音シリーズはベストセラーだ。それだけ人は弱音を吐くことで生きてきたんだろう。 人生には弱さに素直になれないと付き合えないものがいくつかある。 がんに限らずだけど重い病気やケガを抱えてしまうと、どうしたって「弱い自分」がどこからか現れる。やあ。
病院って「人間」が見える。良くも悪くも。 あ、ホラー要素ゼロなので安心して読んでください。大丈夫。 こんなに病院に通うというか、病院で過ごすなんて思ってもなかった人生だった。 病院は疾患を治療する場所だけど、同時にふだんは見えてない人間のいろんな部分が晒されるんだ。 特に診察だけでなく、通院での治療でほとんど一日中、病院の中で過ごす時間が多いと余計にそう思う。 僕が通ってるがんの治療センターは、特別な資格(がん化学療法認定看護師さんだとか)を持った人を含めたスタッフ
そんなことがあるのか。あるらしい。というか、自分がそうなった。 骨折である。しかも身体の中で「勝手に骨が折れた」のだ。
「がん」がわからない。いきなり何言ってんだ。 いや、ほんとに考えれば考えるほどわからない。がんと向き合うようになって(がん診断されて)10か月が過ぎたけど、わからない地平線はどこまでも広がってる。見とれてしまうほどだ。 人はなぜがんになるのか。そもそも「がん」って何なのか。がんも必要悪なのか。
3食ちゃんと食べてるのに、なぜか元気が出ない。エネルギー切れを起こす。 だいたい午前中はまあまあ元気で(といっても健康な人の40%ぐらい。ブレイキンは踊れない)何か一つぐらいタスクはこなせる。 それが午後になると急速にエネルギーレベルが下がって身体が動かなくなる。すごくしんどいってわけでもないのに。 最初からしんどいなら(そういう日もあるけど)仕方ないかと思ってベッドにじっと横になるのだけど、そこまでじゃないのに動けないのはもどかしい。 端的に貴重な一日がもったいない
自分の存在を消したくなるときがある。
呑み書きの擾乱じょうれんって打とうとしたんだけど。ヤギの唯一の称号だだったのに、今回はそれも叶わなくなつまてしまでた。 いま服用してる薬の関係で一切、お酒が飲めない。 素面しらふではなんか書きにくい。そろそら晒す、ちがーう素面って言葉というか通じないんじゃないか。お酒飲まない人にも通じるのかな。わからない。 からうじて寝起きのぼんやりした状態で書いてみてるからところどころ誤字は通常運転。 通じないと言えば、インターねーと用語も。ほらインターネット老人会だから。この用語
前回の冒頭テーマが「謎の谷」に落ち込んでしまいそうものだったので、今回はちよっと違う道へ。 がんなんかの病いを抱えてるときって、ふとした言葉に救わられることがある。人生全般、あらゆる悩み苦しみもそうかもしれないけど。 それは、たいてい「誰か」の言葉だ。 直接話したり、何かで見聞きしたり読んだりした言葉。だけど、僕が救われたのは「誰か」の言葉じゃなかった。
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