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道草を太陽に捧げた男
突然、料理がしたくなる。ほんと気まぐれに。
けど、そういうの料理って呼ぶのは憚られる。なぜなら、思いつきレベルだからだ。
基本的に料理は逆算でつくられる。
最終的にこんな仕上がり(味、食感、見た目、いつ食べるか等々)にしたいがあって、そこから逆算でレシピ、手順が設計されていく。食材でも硬いものと柔らかいものがあったら、固いものから先に火を通す。これも逆算。
忙しい日常で何時までにこれとあれ
「信州そば」に呪いをかけられて6年が過ぎた
他県から信州に遊びに来た人は、決まって言う。
「信州って言ったら、そばでしょ?」「本場のおそばが食べたい」
その言葉を聞くたびに、僕は少し複雑な気持ちになる。聞かされる「信州そば」への憧れが無邪気なものであればあるほど。
何が僕をそうさせるのか。なんなら、僕自身も信州に移り住む前は、同じように漠然と思っていた。本場の信州で食べるおそばは何か違うはず。
だけど、その勝手な想いは早々に覆される
もう家具は買い取れない話
ダイニングテーブルを買い換えることになった。
疾患のこととかもいろいろ含めて、生き方暮らし方を変えてくなかでのこと。
いままで使ってきたダイニングテーブルは北欧風(よくわからない言い方だけど)と言えば、それっぽいオーク材の無垢のもので「虎斑(とらふ)」と呼ばれる木目が表面に出てるのも気に入っていた。
在りし日の(いや、いまもあるんだけど)お家騒動以前の、会員制でコンシェルジュっぽいスタッフが
なぜメディアは華麗な掌返しをするのか
最初に断っておくと、べつに五輪に物申したいnoteとかではない。
いつも書いてるけど、アスリートの世界と腐海のように誰も制御できない五輪の世界、多くの人々の日常はどれも別のレイヤーで、一緒くたにしたものを書くことはできない。
いや、書きたい人は書けばいいのだけど、個人的には書かないだけの話。じゃあ、これは何を書いてるのか。
メディアの五輪文脈(あるいはそこにある空気)についての個人的な思索で
なぜ僕はテレビを観ないのか
僕は基本的にテレビを観ない。
これも一応、最初に書いておくと「テレビ」の存在を全否定したいわけじゃない。
観る観ないは自由だし、テレビに関わる人で、ほんとにすごく聡明で尊敬できる人だっている。良心的で良質な番組だってある。
ただ、それとは別の次元、僕の日常的な生活の中に「テレビ」がないのだ。
代わりにあるのは各種の音楽と自然の気配。とくに信州に移り住んでからは、余計にそうなっている。
そ
100%の生と死としての情報
※センシティブな内容を含んでいる可能性のある記事です。
惨劇が起こる。メディアはセンセーショナルな最新映像と人々の興奮や混乱を流し続ける。そこに何の意味があるかどうかなんておざなりにして。評論家たちは惨劇の背景を探って口々に語る。そこに仕事があるからだ。
犠牲者は数万人以上。数字が増え続けても、映像が更新されても、リアリティは増すどころか希薄になっていく。新しいSFX映画のプロモーションかと思