【1本400~2000字を、月5~10本配信】 「あの世とこの世」のように「都会と田舎」を行き来する編集者の、SNSでは書ききれない日々の生活や考察、ついSNSの建前で包み隠してしまう本音のぶちまけ、コンテンツの雑感などをぬるっとお届けします。 メンバーさんからの「こういうの書いてみて」があれば、なるべく投稿できればと。あと、そのうち、本や映画の感想戦、日々のモヤモヤの共有、ちょっとした企画づくりの場も+αでととのえられたらと作戦練ってます。 馬鹿にかまってください。
「一杯目だからとりあえず生で」という「とりあえず」に対して「(ほんとはレモンサワー飲みたいのに)とりあえずに流されていいんだろうか?」とモヤっちゃうような方に向いてそうなプラン。疑いつつ、探るように「とりあえず」に飛び込んでみてくださいませ。
大見謝
日記(のようなもの)
TENG(テン)の活動で考えたこと/感じたことを、書くか喋るかで記録してきます。
なんとか400字ちょうどで書く、記録か記憶。
猫たち(たら、とび、よね、みそ、もず)と古民家で暮らしてます #NAWAFIVE
書くこと/聞くこと/伝えることについて
旅行や出張にかぎらず、東京の街を歩いてると、なんのために歩いてるんだろう、と、はたと感じる瞬間がある。 個人的に、降りたことのない駅に気まぐれに立ち降りてみて、散策するとかは好きだ。知らない地図と風景を、自分の頭と心で埋めていく作業が好きなのだ。Googleマップは100%信用していない。だからそれは、健康のために歩いてみるといったものではない。いやいや、そういう趣向の話をしたかったわけじゃない。 東京の街を歩くとは、歩きたくないのに歩かされてることが多すぎるのだ。
一昨日から三日連続で五反田のカプセルホテルに泊まっている。その最終日。 AM8時台にごそごそカバンを漁り、シャワーを浴びて、出発準備をしていると、同じような顔がある。連泊する人も珍しくないようだ。歓楽街のど真ん中にある宿なのもあり、もしかしたら、地方から出てきて、こういう場所で働き始めた人が部屋を借りるまでの仮住まいとして使っている可能性もある。 場所が場所だからか、思いのほか、外国人観光客らしき姿は少ない。しかしまあ、初日から受付担当だった中国人スタッフは、後ろに
お昼どき、田端の駅ビルの中にあるカフェで時間をつぶす。時間をつぶすと書くと、どこか余裕があるようだし、休みみたいな書きようだけど、まあそれなりにやることは溜まってるし、ふつうに稼働日であり、「やらなくちゃいけない」ことの逆算にひぃひぃ言いながらやっている。1時間後に、打ち合わせのような、ただのランチのような、ふわふわした対面が待ち構えており、あと1駅という距離でスタンバっている感覚があるので、無意識的に「時間をつぶす」が出てきてしまったのだ。ちなみに、スタバでスタンバってい
ひさびさに渋谷の街中をぶらりとしていた。キャッキャと甲高い声でおしゃべりしながら、だらだらと歩く女子大生らしき子たちがいた。いつもは、鳥取の、さらに田舎の、おばあちゃんがよろよろ歩き、畑をいじる様子ばかりを眺める集落に住んでいるせいか、この風景のギャップの滑稽さが堪らない。 女子大生たちは、ただ「遊んでいる」ように見えるのだけど、彼女たちからすれば、大事なイベントであって、「忙しい」真っ最中なのだろう。うん、みんなで過ごせる時間もいつなくなるかわからない。大事な時間だ。だか
恥ずかしながら、忘れっぽい。その自覚をしたとき、最初は、妙なプライドか受け入れられず、そうじゃないフリをしていた時期もあった。 だけど、忘れるものは忘れるし、誰に対する見栄なのかもよくわからくなって、あきらめた。すると、合理的に対策を打つようになる。ものはよく無くすから、ボールペンなら予備をいつもストック、財布も年に1~2度なくすものだからいつ無くしても困らないように中身のカードやお金をいくつかに分散するようになる。 何かを無くしたとき(どこで無くしたかも記憶してい
風呂上がりに幽霊のようになりたくて、髪を伸ばすことにした。 なるべく切らないように。そう決めたのは、去年のことだ。あれから半年以上が立つけど、「自分史上、一番長い」を更新続けている。 髪を切りに行くたびに、「テレビから飛び出すときの貞子くらい前髪が顔にかかるかんじにしたいんです」と意思を伝えるようにいしている。しかしまあ、これがなかなか厄介なのである。 「これ」とは「髪が長いこと」なのだけど、幽霊憧れ髪長ライフを決めるまでは、毎年、夏になると髪が「乾くの遅い」と
まともな意識ではやっていられないことがある。 そんなときは、強いお酒を喉に押し込み、脳をバグらせんとする。どれくらいの意識の破壊されるかはわからないけど、失敗すればただ微睡むだけなので、そこそこのギャンブルではある。 手を付けなくちゃいけない作業にもかかわらず、一向に手を付けられない。そんな状況で、ただ酒を飲んで、眠りこけていては怒られるのは分かっている。そう未来予想はできていても、他の打開策が見つからないから、酒、なのだ。 酒を飲むと、よくもわるくも、自意識が
帰路、ミミズが夏の日照りで乾ききった土の上で横たわっていた。かのように見えたが、のっそりしてるだけで、くねくねと体をゆらしながら前進している。パッと見た感じ、体長10センチは超える大きなミミズだ。車や自転車の出入りのあるこの場所で、淡淡と生を全うしている姿を目に焼き付けた。 うまく生き延びてくれ。力尽きて、息絶えちゃだめよ。 そう刹那的に願うけど、視界を地面から空に移し、歩き出せば、じんわりとした暑さに呑まれる。雨の翌日は蒸す、そして、虫があふれ出てくる。体感だけ
包み隠さずいえば、嫌いなやつなんていくらでもいる。何もしなくても街を歩けば、うじゃうじゃ湧いてくる。ぼくは器が小さい。 だから「嫌いな人なんて、そんなぁ、一人もいませんよ。いるわけないじゃないですかぁ」という人の反応を見ると、ケッと唾を吐きたくなる。そんなの嘘じゃん(もちろん、そう感じない人もいないわけでない)。 そもそもだ、好きな人の話はいいのに、嫌いな人の話をすると場の空気が澱むかんじが嫌いだ。 嫌いが人がいたとして、だからなんなんだ? べつに嫌いだろうが
体から毒が抜けていくのをただただ待つ。そんな一日を過ごしていた。 昨日は、 15時から大学のときからお世話になっている先輩と吉祥寺で5時間飲んで、その後すぐに渋谷でまた飲んで、下北で飲んで、とひたすらに酒を入れた。 ビールは記憶が抜ける飲みものだ、という持論がありまして、飲めなくはないし、美味しいとは思うのだけど、DNAとの相性の問題が、次の日に影響に多大な影響がある。昨日あったところどころの記憶が抜けていて、断片的にこういう話したよな、とか、あの人のこの話は印象的
これだけ人がいるんだもん、そらぁ、物語もたくさん生まれるわな。 べつに酔っ払ってるわけじゃないのだけど、妙にしんみり感慨深い朝を迎えた。日曜日を経ての、月曜日。10時を過ぎた上野駅は、学生やビジネスマンよりもやや(外国人)観光客が多い印象を受ける。そんななか、右へ左へ、出たり入ったりを眺められるカフェに入って一息ついている。 行き交う人、その種類のバリエーション、そして、会話してる・するかもしれない人たちの関係性、そのもろもろを考えると、冒頭の「こんだけ人がい
東京のほうが暑い。沖縄育ちのぼくはいつもそう感じている。 今日から一年振りに都内に滞在している。今回は、6日東京、1日広島に立ち寄り、また鳥取へ戻るルートを組んだ。 羽田空港は、心なしか人が多いように見えた。もう夏休みに入った子たちもいるのか、知り合いの子どものようにチケット取っちゃったから、終業式前にフライングしてるのか、家族旅行のようなグループが四方八方に確認できた。米子から同乗していて、機内じっとしてられず、前の席からときどきちょっかい出してきた男の子(まさに
「23:43」 時計を見ると、あら、もうこんな時間。週1回のカフェバー営業を終え、片付けをしてたら、おぉやべぇやべぇ、今日は思い付いたことを書き出す(曝け出す)ような書き方にするか、と気持ちを切り替えて、キーボートを打ち込む。 いつもであれば、ポメラで書き上げたものを、一度パソコンに読み込んで、コピペしてから、ちょっとだけ修正して公開まで辿り着くのだけど、こういうときは、パソコンに直接書いていく作戦をとっている。 過去何度も書いてるんだけど、ひたすら書くことだけ
そのままの形を残して、受け継いでいく。 言葉としては綺麗で、聞こえが良いんだけど、「そのまま」をずっと続けていくのは、まあまあ難しい。特にプロダクトや仕組みを当初のまま残していくと、どこかズレが生じてくる。時代の流れによって、ものの価値やニーズも移ろうので、その移ろうものに合わせた変化が必要なときが訪れる。 一番大事なのは、そういった形式的な何かを守ることより、精神性を忘れない努めだったりする。受け継ぐ人がいれば、創始した人がいる。始めた人には、始めた人なりの考えや
できることなら、多種多様のメガネをを切り替えるような生活をしたい。 「山」の生活をしたことがなければ、山はただの山にしか見えないという。つまり、山は「木や岩、あるいは緑や茶色の集合体」にしか見えない。そこにある動物の糞、獣道、旬の植物、地形の特異さなど山(の立地)によって異なる、生きとし生けるものの息づかいなどの細かな軌跡を見逃してしまう。 最近観始めたアニメ『ゴールデンカムイ』で、アイヌ族の少女アシリパは、山や森をよく観察し、何も知らないような人からすれば「ただの
お笑いの基本は、フリとオチ、という。だけど、このフリがすっ飛ばれそうになっているらしい。 今年4月から通っているエンタメ系学校の講義で、「フリが長くて待ってられない若者向けに、フリを極力省いたコントをつくる」という話が出てきた。 そこに「バナナが落ちている」というフリがあって、「バナナで滑ってこける」というオチがある。これはベタとも王道ともいえるフリオチだが、1分前後の(ショート)コントの中で一気にオチに向かっていく脚本をつくるらしい。その一例として、「取調室」など
結論ファーストだけでもダメなのだ。色気を感じられない。 プレゼンや文章の練習をしていると「結論から話せ・書け」という文句によくぶつかる。そういうのを「結論ファースト」と言うらしい。 たしかに、普通に人と話してるときですら「前置きがかなり長いけど結局何が言いたい人なんだろう」と探る時間があったりするので、言わんとするコツというか法則は身に染みて理解できる。 どんなものも基本的にはケースバイケースで考えていきたい。けど、世の中が無駄を省いて省いて省きまくって、結論ば
急速的に物事が進んでいくことに恐怖を感じるほうだ。 都会的な思考でいえば、何事もまずスピード、そこに高いクオリティが伴っていればベター。「ああすれば、こうなる」といった論理思考で、失敗のない、無駄を省いた効率主義で進めれば、そりゃあ風景はドラスティックに変わっていく。 だけど、そのスピードから振り落とされたものたちは「ダメ」の烙印が押されちゃったり、その変化にすぐについていけない周りの人たちの「?」を無視をしちゃって、「早い」ことでこぼれ落ちていくものの多いように思
ぼーっとしてたら、いつの間にか、一日が終えようとしてる。カフェバーfabmixの営業が22時半くらいに終わり、グラスを洗い、キッチンの片付けをしていたら、こんな時間だ。 お客さんがいて、どう過ごしてもらえるだろうか、前来たときはこういうお酒飲んだよな、だったら今日はこういうの提案してみようかな、このお客さんもいらしてるからこういう話題振ってみようかな、などの頭のごちゃごちゃタイムが終わり、いつの間にか、ぼーっと頭を休ませる時間になっていた。働く、休む、そのメリハリは大事だ
「この群れの中にいると、へんなやつ、なんだよな、おれ」 そういう自覚はちゃんとある。自分の中では「ふつう」だと思ってることがことごとく「変わってる」とか「そういう人あんまりいないよね」という安易な言葉で片付けられてたことが死ぬほどあるから。その頻度が一定以上に達すると、「なるほど、この界隈で、こういう生活、こういう働き方をしてるのはマイノリティに属するんだな」と体感する。だから、周りから見た「へんなやつ」はとりあえず受け入れるようになる。だからといって、やはり言われて言