大見謝(おおみじゃ)

1988年-長崎生まれ-沖縄育ち-鳥取大山(たまに東京) // 合同会社TENG(テングじゃなくてテンと読む)のひと // わたしをつくる学び「i(テンセン)」と編集「am(アム)」の二つに関わることをやってます // 「まじめになまけて-地域をたゆたう」

大見謝(おおみじゃ)

1988年-長崎生まれ-沖縄育ち-鳥取大山(たまに東京) // 合同会社TENG(テングじゃなくてテンと読む)のひと // わたしをつくる学び「i(テンセン)」と編集「am(アム)」の二つに関わることをやってます // 「まじめになまけて-地域をたゆたう」

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      一人じゃ書くの続かないから、緩やかな強制力として。

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      てん(ぐ)のメモ。合同会社TENGとして動いてるときの備忘録。

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    何者であるか、を手放せ。

    自分が何者なのかなんてわからなくていい、どうだっていいことだ。 他人にある程度を説明できる肩書みたいなものは必要だけど、それによって自分を語りつくすことなんてできない。だって、その肩書は、自分のほんの一部でしかないのだから。 だから、何者かになろうとして、”その肩書”を得たところで、何者かになれているのだろうか。手段としての肩書であって、目的ではないはずだ。その言葉に振り回されてしまっている、もっと言えば、他人の目を気にした言葉にすがってしまうというのは若者が通る道なのか

      • 若者がいない町から消滅してくんじゃなくて、話し合いができない町から消滅してく。

        「手を抜いて関わろうかな」 そんな地域ごとが増えるは、「まあ本気を出すだけの見返り、あるいはそもそもそのエネルギーを受け取ってくれる器が整ってないよな(やればやるほど損かもな〜)」と思わせちゃうからで、組織や委員会で立場が“上の人”ほどそういう意識がないと正直しんどい。 そして、企画を考え揉んでいく“会議をどうつくるか"に対しての疎さは、地域の次世代の活動を奪うことにもつながりやすい(その場の“ファシリテーション的なもの”の重要性はここで高まる)。「意見しても理解しようと

        • ローカルポイズンメモ:「何をやるか、よりも、どうやるか、さらには、どうやるかをどう話し合えるか」

          地域の仕組みを変えていく(ちょっと新しいことを試す)ときに気をつけておきたいこと、みたいな雑感。 こういう座組みを変えるのって大事だと思う反面、うまく運営していくために裏で調整する(旗をふる)人がいてこそ成り立ってるんだろうなぁとも思う。 その背景をかんがえずに「PTAいらないっす、PTOでいきましょう」という輩は少なからずいるでしょうね。地域自主組織や地域行事の運営でも同じことが言える。 あと最近よく感じているのが、「何をやるか、よりも、どうやるか、さらには、どうやる

          • つながらない猫

            もしも猫がWi-Fiとつながっていたのならば。 野良猫とけんかしたのか、右後ろ足を引きずりながら、ぴょんぴょんと小さく飛び回りながら移動するタラをみて、ふとそんなことを考えた。 目が合えば、にゃあ、にゃっ、と声をかけてくれる猫たち。とはいえ、言葉が伝わるわけもないので、大雑把には感情を把握でできても、その詳細までにはたどり着けない。それどころか、ぼくは声以外の尻尾や喉の鳴り具合などの記号で読み取れても、ぼくのそれは伝えることができない。 どれだけタラのことを心配したこと

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            凡人は書く

            一発で完璧なんてありえない。 note投稿がグッと減ったけど、400字詰めの作文用紙に書きためる習慣はかろうじて絶えておらず、とりわけ、最近では毎朝ポメラにえいやと打ち込むようにしている。 ちょっとした意識として置いてるのは、「何を書くかを考えることなく思ったことをそのまま書き出す」ということ。「まだ眠いな」とか「うーん、頭が回らず、何を書こうかなぁ」とか。最初の一文が書ければあとはもう引っ張られていくイメージだ。書き終わったあとにサッと読み直して「ああ、こんなこと考えて

            学生やフリーランス、積極的ニートにどハマりするかもな、「れいわ遊学」@鳥取大山のモニターを鬼募集します(2023年3月末まで)

            鳥取大山で、新たな人やものに触れ「バグる」や、暮らしを見直し「ととのえる」をしたい方、どうぞ。仕事しながら過ごす、あるいは、「地域をただよう」の学びを深める中期滞在(2週間~1ヶ月)はいかがでしょうか。 早速ではありますが、この度、弊社TENGで準備しているワーケーション(work×vacation)/ ラーケーション(learn×vacation)プログラム「れいわ遊学」のモニターを募集します。 はじめまして、の概観として。TENG(テン)を運営する大見謝(おおみじゃ)

            「カタルタ×マインドマップ」って、相性いいかもしれない(検証)

            大学生のときに出会った「マインドマップ」という情報整理術。たしか、ICU近く連雀通り沿いのブックオフの100円コーナーでみつけた古本が最初だったけなぁ。懐かしい。そのときに旨味を覚えたのか、いまだにメモや企画づくりなどに大いに役立ってくれている。 何か一つを決断するときには、いろんな要素や選択肢があったほうがいい。なので、一度バーっと書き出しちゃって、その情報を広げられるだけ広げちゃう。広げたものを絞っていくのは、いろいろ並べて、眺めてみからでいいのだ。並べてみると、「いく

            不特定多数の「みんな」から離れ、特定少数の「顔の見える人」から、まちの企画はうごかしたい。

            さっきまで、なわのわの定例会議があった。「なわのわ」は、活動4年目となる、1200人ほどの名和地区を支えてくための地域組織である。固く言えば、「小規模多機能自治」とか言うらしい。 定例会は、役員(数名)と、名和に15ある集落から選出された委員(+α)が集まって、地域の活動(計画)などについて雑談まじりで進めていく話し合いの場となっている。 1月は新たな委員さんが選出され、顔合わせの会でもあったため、それぞれ自己紹介しつつ、なわのわの活動のふり返りや考え方の共有などを中心に

            立ち寄れるローカルメディア「shiBano」 #IDŌ

            移動を試行し、試行する定期プロジェクト「IDŌ」。移動先で見聞したものにはもちろん意味あるが、それ以上にじつは”移動そのもの(過程)”が尊いんじゃないかと疑い続けている。 ”移動そのもの”が尊い、とか言いつつも、行ってきたとこの記録を優先してしておく。一昨日、名和〜米子〜広島と移動して、昨日は広島〜新山口〜美祢〜阿武町〜萩と移動した。会いたい人にひさびさに会いに行くってのと、イベント向けての視察をかねて。 ということで、山口阿武町にある暮らし支援センター「shiBano」

            頭だけを動かしてる人と、手足動かして頭も動かしてる人の差ってだいぶあるよね。

            16〜21日は広島から山口滞在を挟んで博多までの移動が続く。 ちょっと話題になった阿武町と、焼きもので有名な萩市の企画に関わらせてもらうので、その視察(といっても3回目の訪問になるが)として、あらためていろいろと地域を回っていく。 その中で、たまたま島根・津和野で「糧」の運営などをし、また鳥取大山でも現在運営してるなわほ(旧名和保育所)のDITでもサポートもらっていた大江さんと萩で飲むことに。 2年以上ぶりに会って、近況を聞いてると、「フェーズが変わって、自分の役割が移

            がんばらずにがんばれる小世界 #IDŌ

            立ち飲みをいくつか回れたと思ってたけど、お店の目の前行って既にいるお客さんをみて人見知り発揮でビビって通り過ぎて立ち寄らず。 その後、本来、2軒目にいこうと思ってたバーに向かう。だれもお客さんおらずで、スっと入店。オーナーは京都出身らしく、ぼくが生まれた年あたりにお店を開店したとのことで、"同級生"の空間で過ごしていたわけだ。 4杯ほど飲ませてもらうが、一つひとつのカクテルに工夫がされてるはずなのに、それを何食わぬ顔で提供するその粋な姿がたまらない。 若手のためにどれだ

            ドラマを毎週観る、ってすごいこと。

            一旦、一時停止中。超ざっくり、やろうと思ってたことが何もできない、そんな日だったのかもしれない。 何もできてないくせに、鑑賞欲だけはわりとあって、気になってた「タイガー&ドラゴン」を観始めた日でもある。 どんな内容のドラマか、「落語心中」とは何が似てて何が違っていたかを確かめながら、リアルタイムで見ていた頃をふと思い出す。 学生のときって、勉強に部活に遊びにと生活ルーティンが妙に不安定だったから、毎週同じドラマを観るってのはえらくエネルギーが必要だった。 あ、兄弟もい

            いるのに、いない。

            いるのにいないことになっている。おそろしや。 その予兆はちょっと前からあった。集落の神社掃除に行ったときのこと。いつもと変わらぬメンバーだが、見知ってるおばあちゃんがなぜかよそよそしい。目が合うのに目を逸らされ、おはようございますと挨拶してもそっけない。集落に4年半以上いるのにまるで関係がリセットされたような感覚に陥った。 先日さらにこんなことが。運営してる拠点(公民館)にいつものように行って、子どもからご老人までが集まるこの場所で馴染みの人と話をしていた。すると、急に「

            すべて忘れぬよう、点を打つ

            100%覚えられるわけがないんだから、覚えてられない自分を120%信じようと思う。 勢いのままにスプレッドシートを開き、次のような単語を打ち込みまくった。どりゃー、と。 上から2022年に「劇場で観た映画」「配信で観た映画」「配信で観たドラマやアニメ」である。 「あれ、何観てたっけな?」と記憶を手繰り寄せるように並べていく。おそらくもうちょいくらい観てたものがあった気もするが、パッと出てきたのはこんなもんだ。 観た作品すらすぐ思い出せないのに、その内容やらどういうこと

            フィットすることばで世界(思考と状況)を伝えられているか?

            なんのために、ことばを学ぶのか。 去年の春から「大山カレッジ」という町民大学で英語(50分×2コマ)を担当させてもらっている。平均年齢65歳前後の生徒さんが20人ほど、週1回通って、さまざま授業を受け、学び直しをする場となっている。 若者たちの学びと違って、「忘れることを大前提に学びをつくる」という意識をより持たされる諸先輩方に向けた授業づくりは、毎度ながらぼく自身の学びになっている。 オリエンテーションのときに直接聞いたが、前任の先生の影響もあってか、英語に対して苦手

            次世代へ継ぐための記録 /カメラを向けられる関係性

            先日、集落の「とんどさん」が行われた。 とんどさんとは、「どんど焼き」のことで、鳥取大山名和地区ではそういう言い方をする。松飾りやしめ縄、お正月にしたためた書き初め、昨年に授与したお守りなどを、神社や地域の広場・畑などに持ち寄って燃やす(=お焚き上げする)地域行事である。 沖縄にいたときには一度も耳にしたことがなかったので、1年目はかなり新鮮だった。 https://note.com/omija/n/nfe29a1593704 今年で参加は5年目、竹で組んだ矢倉っぽい