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ケケケの日記

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日記(のようなもの)
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アラマタの地

これだけ人がいるんだもん、そらぁ、物語もたくさん生まれるわな。  べつに酔っ払ってるわけじゃないのだけど、妙にしんみり感慨深い朝を迎えた。日曜日を経ての、月曜日。10時を過ぎた上野駅は、学生やビジネスマンよりもやや(外国人)観光客が多い印象を受ける。そんななか、右へ左へ、出たり入ったりを眺められるカフェに入って一息ついている。  行き交う人、その種類のバリエーション、そして、会話してる・するかもしれない人たちの関係性、そのもろもろを考えると、冒頭の「こんだけ人がい

東京のほうが暑くて、寒い

 東京のほうが暑い。沖縄育ちのぼくはいつもそう感じている。  今日から一年振りに都内に滞在している。今回は、6日東京、1日広島に立ち寄り、また鳥取へ戻るルートを組んだ。  羽田空港は、心なしか人が多いように見えた。もう夏休みに入った子たちもいるのか、知り合いの子どものようにチケット取っちゃったから、終業式前にフライングしてるのか、家族旅行のようなグループが四方八方に確認できた。米子から同乗していて、機内じっとしてられず、前の席からときどきちょっかい出してきた男の子(まさに

フルチン文章

 「23:43」  時計を見ると、あら、もうこんな時間。週1回のカフェバー営業を終え、片付けをしてたら、おぉやべぇやべぇ、今日は思い付いたことを書き出す(曝け出す)ような書き方にするか、と気持ちを切り替えて、キーボートを打ち込む。  いつもであれば、ポメラで書き上げたものを、一度パソコンに読み込んで、コピペしてから、ちょっとだけ修正して公開まで辿り着くのだけど、こういうときは、パソコンに直接書いていく作戦をとっている。  過去何度も書いてるんだけど、ひたすら書くことだけ

山と街のARメガネーーーアシリパから見える世界

 できることなら、多種多様のメガネをを切り替えるような生活をしたい。  「山」の生活をしたことがなければ、山はただの山にしか見えないという。つまり、山は「木や岩、あるいは緑や茶色の集合体」にしか見えない。そこにある動物の糞、獣道、旬の植物、地形の特異さなど山(の立地)によって異なる、生きとし生けるものの息づかいなどの細かな軌跡を見逃してしまう。  最近観始めたアニメ『ゴールデンカムイ』で、アイヌ族の少女アシリパは、山や森をよく観察し、何も知らないような人からすれば「ただの

結論だけじゃ、生きられない

 結論ファーストだけでもダメなのだ。色気を感じられない。  プレゼンや文章の練習をしていると「結論から話せ・書け」という文句によくぶつかる。そういうのを「結論ファースト」と言うらしい。  たしかに、普通に人と話してるときですら「前置きがかなり長いけど結局何が言いたい人なんだろう」と探る時間があったりするので、言わんとするコツというか法則は身に染みて理解できる。  どんなものも基本的にはケースバイケースで考えていきたい。けど、世の中が無駄を省いて省いて省きまくって、結論ば

気が抜けまくり

 ぼーっとしてたら、いつの間にか、一日が終えようとしてる。カフェバーfabmixの営業が22時半くらいに終わり、グラスを洗い、キッチンの片付けをしていたら、こんな時間だ。 お客さんがいて、どう過ごしてもらえるだろうか、前来たときはこういうお酒飲んだよな、だったら今日はこういうの提案してみようかな、このお客さんもいらしてるからこういう話題振ってみようかな、などの頭のごちゃごちゃタイムが終わり、いつの間にか、ぼーっと頭を休ませる時間になっていた。働く、休む、そのメリハリは大事だ

へんなやつ×へんなやつ=ふつう

 「この群れの中にいると、へんなやつ、なんだよな、おれ」  そういう自覚はちゃんとある。自分の中では「ふつう」だと思ってることがことごとく「変わってる」とか「そういう人あんまりいないよね」という安易な言葉で片付けられてたことが死ぬほどあるから。その頻度が一定以上に達すると、「なるほど、この界隈で、こういう生活、こういう働き方をしてるのはマイノリティに属するんだな」と体感する。だから、周りから見た「へんなやつ」はとりあえず受け入れるようになる。だからといって、やはり言われて言

おじさん見習い、35才の「上手くなる」

 歳を重ねるなか、失ってなくてよかったな、と思える感覚は、「上手くなっていくものが一つでも増えるとアがる」というやつ。  できなかったことが、たとえ牛歩のスピードでもできるようになっていく。その自身の変容自体を、ちょっとしたエンタメとして受け取れること。だいぶお金のかからない遊びを見つけたともいえる。  「うまく言えなかった早口言葉が言えるようになった」  「英語でRの発音がちょっとだけネイティブに近づいた?」  「包丁で氷を割るときのコツが掴めた」  「フライパン

「緊急」とか「不要不急」とか「神」とか

 「緊急で回してます」  そういうツカミ、止めませんか。見かけるたびに、ふぅ……と息が漏れる。  YouTubeの一つのフォーマットになってるのかしら。最初のしゃべり出しが、「これ、緊急で(カメラ)回してます」。近年、そういう文句を使う人たちがやたらいるような気がしちゃって。いや、気のせいじゃないんだわ。  どれだけ緊急の生活を送っているのだろう。そう思って、少し動画を見進めてみると、いうほど緊急性の高い話はしていない。逆に、ほのぼのしていたりときさえある。  ははぁ

構造にのまれた挫折

 高3年の夏から、ドイツに留学することが決まっていた。  留学エージェントが開催している研修を受けるため、沖縄から東京までわざわざ駆けつけた。そのなかで奨学金がもらえる数人の優秀者にも選ばれた。高2で選択したドイツ語の勉強も怠らなかった。  が、しかし、ドイツへの留学はなくなった。留学がなくなったというより、留学費用の工面ができないという家庭の事情があっただけだ。母子家庭で4人を育て、毎日働き詰めの母はギリギリまでお金のことに苦心をしてくれていたが、どうにもできなかった。

サンリオと比較文化

知らないものーーー自分一人では辿り着けないことを深掘りできる瞬間があると、知的好奇心が満たされる。 それぞれ仕事も住んでるところも違う固定のメンバーで、月1回ペースでゆるく雑談を会をやっている。「会」といっても、形式がかっちりあるわけじゃなく、最低限の節度は守りながらも、しゃべりたいことを共有するような場だ。 「サンリオフェスに行ってきたんですけど」 ぼくからすれば、日本とブラジルくらいほどの距離感があるトピックがやってくる。小学生のとき、朝の番組で「バツ丸」というキャ

電脳の憑きもの

 いつも逃げ回っている。捕まえてもすぐに逃げ出す。その繰り返しだ。気を抜くと、すぐにブックマーク周辺をうろつく。  メールなり調べものなり、やらなくちゃいけない作業を片付けようとパソコンを開く。必要なアプリやwebページに辿り着き、画面をぼんやり眺めていると、いつの間にかマウスがすぅっと動いて、ブックマーク保存しているXやNetflix、YouTubeのサイトを選び、クリックが進む。  「開け、ゴマ!」  アリババのような開かんとする意思は微塵もないのに、気がつけば、何

忘れるから、続かない、終わらせられない

 忘れることの弊害が増えた。  ただしくは、忘れることの弊害が増えていたことに最近気づいたばかりだ。先週くらいに、もしや......?と勘ぐっていたが、今日それだ!と確信した。  そんな確信したてほやほやの話を書き留めておく。  仕事でもプライベートでも、その場の勢いのままに進めることで、完結に至ることがたくさんある。中途半端に手を止めて、「後からやるか」と思っていたら、その「後から」は訪れることはなく、手つかずでお蔵入りになる作業はだれしもある経験だろう(おめでとう、

記憶が重なるとき

いい作品に出会ったとき、記憶が重なる瞬間がある。いや、逆に、記憶が重なるものが、いい作品なのかもしれない。 それは、漫画でも、映画でも、小説でも、ゲームでもなんでもいい。物語の登場人物の言動ないし生き様に自己を投影できるのであれば、それは自分にとっての特別な作品になりえる。 「あ、これって、おれじゃん。おれの物語だ」 勝手気ままに有名監督の作品を私物化してみる。 恋人と別れたことを引きずっていれば、恋人と別れて傷心する主人公は自分なんじゃないかと思い入れが増す。 地