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構造にのまれた挫折

 高3年の夏から、ドイツに留学することが決まっていた。

 留学エージェントが開催している研修を受けるため、沖縄から東京までわざわざ駆けつけた。そのなかで奨学金がもらえる数人の優秀者にも選ばれた。高2で選択したドイツ語の勉強も怠らなかった。

 が、しかし、ドイツへの留学はなくなった。留学がなくなったというより、留学費用の工面ができないという家庭の事情があっただけだ。母子家庭で4人を育て、毎日働き詰めの母はギリギリまでお金のことに苦心をしてくれていたが、どうにもできなかった。数十万の補助程度の奨学金も、結局、もらい損となってしまった。もちろん、母を責めることはできなかった。

 ただ、夏休みから留学するものだと思っていた自分は、「行けない」となったときに心の整理が最初全然つけられずにいた。成績や能力を上げることをひたすらがんばっていても、「自分一人の力では到底敵わないものってあるよねえ」という事実を受け止めきるのには時間がかった。数日くらい、魂が抜けていたんじゃないかと思う。みんなが受験モードのなか、留学モードだった(勉強なまけていた)だのに、そっちに標準を合わせなくちゃ、とめちゃくちゃ焦りもあった。

 ぼくが3年で振り分けられていたクラスは、留学組が固まったクラスだった。夏休み明けてみると、なぜかぼくだけが変わらずにいた。いるはずもない座敷童のような妖怪としてちょこんと座って、新学期を迎えた。「なぜ?」を説明するほどの度胸もない。恥ずかしさに包まれ、しばらく過ごした。そういう状況下、「大学受験までミスったら嫌だなぁ、悔しいなぁ、ダサいなぁ」。そんな想いが渦巻いていた。なんだかんだで必死こいて、第一希望の国立大に受かったのは、あれは人生最大の意地だったんだろうなと今では思う。

 あのとき、自分だけではどうにもならない(社会構造にのまれるような)挫折を味わえたのは、本当によかった。強がりとかじゃなく。なんでもかんでも自分の思い通りに物事は進まない。その歯がゆい負けを腹に抱えながら、このちくちょー!と火事場のクソ力で目の前のことにぶつかっていくことを学べたから。

 「無力」の一言で片づけいけない。そんなことでいじけちゃいけない。一度や二度の負けでブーブー言ってる暇あれば、次のこと、明日のことに粛々と向かっていたほうがいい。

 数年後、数十年後の未来に向けて、力を溜めていくんだ。そのどうしようもない今うだついてしまっている敗北はバネをぎゅっと縮めている時期だと思えばいい。なにかの弾みでびょ〜んと大きく高くとび上がる日はきっとくる。やることさえ、やっていれば(ここはマスト)。

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