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へんなやつ×へんなやつ=ふつう

 「この群れの中にいると、へんなやつ、なんだよな、おれ」

 そういう自覚はちゃんとある。自分の中では「ふつう」だと思ってることがことごとく「変わってる」とか「そういう人あんまりいないよね」という安易な言葉で片付けられてたことが死ぬほどあるから。その頻度が一定以上に達すると、「なるほど、この界隈で、こういう生活、こういう働き方をしてるのはマイノリティに属するんだな」と体感する。だから、周りから見た「へんなやつ」はとりあえず受け入れるようになる。だからといって、やはり言われて言葉ではないのも確か。

 しかし思えば、そんな「へんなやつ」と扱われまくりの半生だったようにも思う。転勤族で、つねに「異界人」として新たな群れに交じってきて、しかも性格は頑固ときたもんだ。郷に入っては郷に従えも最低限ではできても、ズレてると思うものはズレてると言い続けてきた。小学生のときから変わらずそうなので、「へんなやつでもいい」「自分が自分を裏切るほうが不義理だ」と妙な信念を強化しながら生き延びてきた。

 ただ歳を重ね、いろんな地域に足を踏み込むと、さまざまな人を出会う。すると、ときたま同じような波長の人間を見つけることもある。その二人の間では互いの「ふつう」を省エネで共有できるやりとりが生まれる。多くの説明はなくても通じ合う。へんなやつがへんなやつじゃなくなる瞬間があったのだ。

 もし、自分が「へんなやつ」扱いされて、居心地が悪いのであれば、同じようなあんばいの「へんなやつ」がいる場所を探しにいけばいい。「へんなやつ×へんなやつ=ふつう」なのである。へんなやつが周りに増えれば増えるほど、ふつうの空気が充満していく。

 自分が穏やかに過ごせる場所は、だれかが提供してくれるのを待つよりは、自分で見つけ(つくり)に行っちゃったほうが案外早かったりする。

 少し逸れるが、へんなやつ(クセ・キャラの強い人)がいることがデフォルトの「芸能」は、だから好きなんだなーと思う。芸人がコント(という空想)で演じる人は、(現実で)自分のすぐ隣にいたら、関わりたくないくらいへんなやつってこと多いもんなぁ。 舞台というフィルターを通して救われる「へんなやつ」もあるわけで。

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