#人生
欠乏の承認欲求と、天啓としての承認欲求。
最近ね、以前書いていた女性性マーケティング塾のマガジンを再編集していてね
その中の記事を読み漁ってたら、また発信活動とかに関して、改めてシェアしたいことが出てきたので、今日はそちらについて書いていきます。
あ、その前に女性性マーケティングってなんですかっつーと、、
すっごいざっくり言うと〝自分のコンテンツを縁(円)結び神社に育てる〟ための方法論とか考えかた・ありかたのことなんだけど、
まあ
そこに愛はあったのだと、今になってわかる
ピーターさんが日本を離れてもうすぐ1ヶ月が経とうとしている。
最初の一週間は香港に滞在しており、久しぶりに会う人たちとの時間で忙しいだろうと電話はしなかった。
その後ピーターさんがオランダに移動する頃から先月末までわたしが割と仕事で忙しく、気づけば1日が終わるということが続いていた。
今は日本時間の夕方以降にはほとんどセッションを入れていないので-8時間の時差があるオランダからはいつ電話をか
大好きな人にお別れを
一週間ほど前にピーターさんがこの家を去った。
静かになった家は金木犀の香りで満ちている。
この感覚を共有したいと思うけれど、
朝起きて二階から降りてきたときに金木犀の甘い香りに包まれ生まれる
何とも言えない感覚を、言葉では到底伝えることができないとも思う。
一緒に暮らし始めた頃から、「1年に1ヶ月くらいは別々の時間を持てるといいよね」ということを話していた。
実際に今年の2月、日本にやって
〖自分を信じる〗心を信じる。
読んで頂きまして、ありがとうございます。
ぼちゃこさん、素敵な写真ありがとうございます。
夕日の写真良いですね。
今日は自分を信じる。心を信じるについて書きます。
中庸や俯瞰私の記事の中によく、中庸とか俯瞰について書いていますが
中庸や俯瞰する目は、とても大切だと思います。
この二つの意識は、とても大好きです。
でも、中庸と俯瞰からみると
これから書くことは、真逆のことを書いているのか
誰かのために生きる、ということの正体
「自分のために生きよう。」
その方がいいと思っていたし、自分のために生きた結果、それが”誰かのためになればいい”と思っていた。
でも最近はまったく、自分のために生きていない。
「自分のために生きながら、それが誰かのためになればいい。」
じゃなく、
「誰かのために生きながら、それが自分のためになっている」
心からそう思えていて、だから楽だし、楽しく生きていられているんだと思う。
今日は