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言葉が息をする
受け取った言葉は心の中、頭の中で息をしていると思っています。
言い換えるのであれば言葉は生きているということです。
あくまでも個人的な考えですが。
背中を押してくれた励ましの言葉や寄り添ってくれる優しい言葉、生きていく指針になるような言葉。
例えその言葉をかけてくれた人がこの世にもう命としては存在していないとしても、その言葉は受け取った側の人の中で息をし続けます。
本で読んだ言葉。
友達が何気なくかけてくれた言葉。
家族が手を差し伸べてくれた時の言葉。
恩師の先生に助けを乞うた時にかけて下さった言葉。
今は亡き祖母や、今は亡き剣道の道場の先生が教えて下さった言葉。
僕の中で確実に息をし続けています。
息の根が止まるまでそれらの大切な言葉たちは息をすることをやめません。
同じく悩める誰かに届けたいと思って綴った僕の言葉、それが届いたのならできればその人の中で息をしていて欲しいと思っています。
僕は全くの非力ではないかもしれませんが、大層な力はありません。
きっと微力です。
それでも言葉を紡ぐ時は想いを存分に込めています。
その時に文章を書きながら切に願うのです。
「どうにか少しでもこの言葉たちが誰かの生きることへの手助けになればいいな」と。
実際のところは僕自身ではわかりません。
そもそも届いただろうか。
何か少しでも力になれているのだろうか。
こんなことは綺麗事でしょうか。
僕のただの傲慢(ごうまん)でしょうか。
だとしてもそれでいいのです。
現実はお世辞にも綺麗なものばかりとは思えません。
辛いこと、汚れたもの、苦しいこと、酷いことで溢れています。
僕も身をもって現実の厳しさを何度も経験したことがあります。
だからこそなのです。
社会は綺麗なことばかりではないから、せめて届ける想いを言葉にする時は優しく温もりの込められた綺麗なものであって欲しいのです。
それはまるで澱みなく澄んだ清流の水のように。
綺麗事だっていいじゃないですか。
理想でも、夢物語でも、ロマンのある言葉でもいいじゃないですか。
心の中は誰にも足を踏み入れさせない、あなただけの安心できる居場所にしてほしいから。
そういうことであれると信じているから。
現実というのは辛く厳しいものだからこそ、人の"心の中"という場所は理想郷であってもいいんじゃないかと思うのです。
もしかしたら心の中で生まれたその理想や綺麗なものが形となるかもしれません。
それを不可能だと言い切りたくありません。
あなたがあなたを信じることで生まれる可能性があるのならば、あなたの夢はただの夢では無くなるのかもしれません。
思う存分に想い描いたその世界。
その世界で息をしている言葉がそこにあるのなら。
あなたの創りあげたその世界が今の現実世界をひっくり返すかもしれませんよ。
誰しもが思いもよらなかったことが起こり得るかもしれませんね。
ただここで改めて。
僕のできることは息をしている言葉を綴ってそれを何処か誰かの心に送り届けることです。
当然その想いの言葉の送料は僕が持ちます。
僕はそれを諦めたくないのです。
身体が息をする。
そして同時に心も息をしている。
さらにその心の中で言葉が息をしている。
そういうことが出来たらいいなぁと。
今日もこの世の何処かの誰かの中で様々な言葉たちが息をしているでしょう。
そしてそれはその人を守り、その人を支える後ろ盾となっていることでしょう。
ひろき
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