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「弱くて強い」を目指す

「弱くて強い」

それって結局どっちなの?と思われるかもしれませんね。
でも僕は弱さと強さを兼ね備えた人間でありたいと強く思うようになりました。

以前は「自分は弱いままでいい」と、思っていました。

しかし、これからの自分の夢の実現にはある程度の強さも必要だと思うように変わりました。

ここでの"強さ"とは、何かの競技で入賞できるだとか、腕っぷしが強くて喧嘩に強いだとか、口が達者で口論に強いといったものではありません。

僕の求める強さとは、心の強さなのです。

しかし、その傍ら弱さも持っていたい。

きっと矛盾だと捉えられることでしょう。

ただ、心の強さを得るには、心の弱さを知る必要があるのだと僕は思うのです。

僕が精神疾患を抱えてから辿ってきた経歴、今の自分の置かれている立場は恐らく社会的には弱者であるという自負があります。

そして、この社会の中では自分は「マイノリティ」、いわゆる少数派であるという自負も同時に持ち合わせています。

この先、マイノリティのまま生きていく覚悟は既にできています。

だからとて、生きていけない訳ではないのでしょう。

だって僕は今、生きているから。

心が強い人間でないと、心の弱ってしまった人に寄り添うことはなかなかできないと思っています。

そして、その寄り添いのためには弱さも知っていないとそれが叶うことはないと思うのです。

僕は自分自身で残された自分の人生の時間を、誰かを助けるために費やすのだと決心しました。

居心地の悪さが故に、生きていくのが辛く感じてしまう誰かの避難場所になりたいのです。

僕の言葉を誰かの居場所にしてあげたいのです。

これは例えば身体的な臓器提供や、献血活動といったものとは少し違って同じく生きていくことに悩める誰かの心の側に僕の紡いだ言葉を届けたいと思うのです。

そして今働いている介護の仕事も、今後も出来ることならば長く続けていきたいと思っています。

福祉の場での介護の対人援助も勿論そのお相手の方のためです。

少し脱線気味ですね。話を弱さと強さの話に修正します。


僕の弱さとは、精神疾患から由来するものが大半です。

そして元々の気質としても僕は強い人間ではありませんでした。

そして更に、それ以来自身の弱さを何度も身をもって痛感しました。

今も僕は弱い人間のままです。

ですが、もうただ弱いだけではいられません。

誰かを救いたいと思っている人間はある程度は心が強くないと救える命も救えないと思うのです。

しかし、僕には手術で人を救うことは不可能です。
医療で命を救うことはどうやっても僕にはできません。

ですが、こんな僕にでも救える命があるのかもしれません。

それは、僕自身が命を捨てようとした経験をした際に、結果的に命を救ってもらえたからです。

そういったことの知識だけを頭に詰め込んで、救える気になっても経験があると無いでは差が生まれると思っています。

ただ座学などでの知識だけの頭でっかちになっていては、救えるものも救えないのかもしれません。

そういった点で言えば、僕はその経験を身をもって知っています。
それは僕の武器であり、強みとも呼べるのかもしれません。

その当時はそれらは誤ちの判断だったのかもしれませんが、今となってはそれが強みに変わった気がするのです。

命の重み、命の尊さを自身で体感したからこそ、その寸前までいってしまった人を僕にでも救えるかもしれないと感じるのです。

人の痛み、心の苦しみ、辛さを理解できること。

分かち合えること。

それに共感して、なんとかこの先も生きていってもらうためのお手伝いをすること。

それができて初めて「人の心に寄り添う」ということができると思うのです。

僕には誰かの人生を大きく変えることはできないとは思っています。

でも、その人の人生までもは変えられずとも、限界まで追い詰められてしまったその人の瞬間的な沸騰した思考にストップをかけて、その判断を変えることはできるかもしれません。


"弱さを知って、強くなる"


一見、チグハグなようですがそれは実現可能なことだと信じてやまないのです。


友人からは、もっと自分に自信を持つべきだと言ってもらったことがあります。

ですが自分には卑屈にまではならずとも、多少自身を卑下した見方をした方が生きやすい場合もあるのです。

自信過剰になってしまうと、本来の目線や立ち位置を誤る可能性があると思うのです。

人としての必要最低限のプライドや自信のようなものはコンパクトに折り畳んでポケットにでも入れておいて、これだけはどうしても譲れないという部分は腰にキツくベルトで巻いて。

そのバランスや塩梅は自分次第だとは思います。

それらをその都度確かめながら「弱くて強い」を目指してこれから歩みを進めていきたいと思う所存です。

これからも僕はきっと幾度となく壁にぶち当たり、その度に弱さを思い知って、その度に立ち上がろうとする強さを手にしていくことだと思います。

立ち上がるためには、転ぶ必要があります。

転んでできた傷はその都度都度、修復を重ねてぶ厚くなり、そして人としての深みも同時に増していくと思うのです。

この道のりの先には困難を目の当たりにした時、怖気(おじけ)付くことも、逃げ出すこともきっとあるでしょう。

しかし。

怖気付いても、それでも挑むのか。

逃げた先で違った景色を望むのか。

これからも、そのどちらをも知ることになるのだと思っています。

「弱くて強い」そんな人間らしさを大切に、自分の代名詞にしていきたいとつくづく思うのです。


ひろき

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