田口 善弘

ライフストレス研究所 オフィスたぐち代表、心身健康アドバイザー、健康心理士、ストレスケ…

田口 善弘

ライフストレス研究所 オフィスたぐち代表、心身健康アドバイザー、健康心理士、ストレスケアカウンセラー。長崎県庁勤務を経てストレス社会の解消をテーマに様々な活動を展開し20年以上の実績を重ねてきている。 stresscare-taguchi.com

マガジン

最近の記事

コミュニケーションでお互いは変わる~人間関係の豊かさに向けて~

自分の認識や感情を相手に伝えるのがコミュニケーションであるという「伝達型」の考え方に対して別の意見がある。 たとえば、車でドライブしているときに、運転をしている男性がいて、その隣の席に恋人が座っている。 海が見えてきたときに、彼女は「海・・」と いって車の窓ガラスを開けた。 彼女は何かを伝えたかったとは限らない。 海が近づいたことで、窓から磯の香りを車内にいれて、「海・・」と言葉を発しただけだ。 これは言語的にも、非言語的にもコミュニケーションとしては不完全なものだと思う。

    • 生命としての人間と自我の存在

      「人間」とは本来の意味では人と人との間、つまり関わりのことで、「社会」を表していました。しかし、よくよく考えてみると他者や社会から切り離された独立した「人」など考えられませんから、個人のことも人間と呼ぶようになったようです。 ですから、人間の考察には必ず社会の考察が含まれます。 しかし、社会についての考察をするまえに確認しないといけないのは、まずもって、人間が地球上に生存する生物の一員であるということです。 私たちの脳を含む身体は、もとはたった一つの受精卵から分裂していったも

      • 読書感想 人間尊重の心理学~わが人生と思想を語る~ カール・ロジャーズ

        カール・ロジャーズ 著  畠瀬 直子 訳 人間尊重の心理学~わが人生と思想を語る~ 発行 創元社 本書は、カウンセリング界の巨匠、カール・ロジャーズが学術論文とは違い、講演録などをもとに平易に書いた自身の気づき、思想、そして人生を まとめたものである。 カウンセラーであれば読んだであろう必読の書だと思う。 氏は、誠実な人柄で自分が自分に嘘を言っていないかということを後々まで振り返って反省するような人であった。 そして、さらには相手とのコミュニケーションについても自分は相手の

        • ライフストレス学の基本

        コミュニケーションでお互いは変わる~人間関係の豊かさに向けて~

        マガジン

        • ストレスケア劇場
          0本

        記事

          令和5年度第25回施設教育担当者・臨地実習指導者合同研修会

          令和5年10月14日(土)14:00~15:30 佐賀市医師会立看護専門学校会議室 テーマ レジリエンスを引き出す関わり方~ストレスを栄養に共に成長する

          令和5年度第25回施設教育担当者・臨地実習指導者合同研修会

          令和5年度第25回施設教育担当者・臨地実習指導者合同研修会

          「体験世界の生成」と主体性の発揮

          ライフストレス人間学を実践するうえで、最初に取り組むことは「主体性」を発揮していくことだ。動くところから、出来るところから取り組んでいく。 最初は生命の階層の身体的主体性から始めてもよい。 現在ではストレス解消法として推奨されている「呼吸法」だが、ここでは呼吸の制御性、自由度を取り戻すという主体性の実践として位置付ける。 同様に「筋弛緩法」も、本来は随意に働かせることができるはずの骨格筋がストレスによる過緊張、残留緊張により弛緩させることができなくなっている「不自由の解消

          「体験世界の生成」と主体性の発揮

          生命の限り(45年前の高校2年生のときに自動書記で出てきた詩のようなもの)

          生命の限り 空間の広がりの無限性には絶えず大きな圧迫があるので 今の私は大宇宙の凝縮を生命の限りを透かして見るだけだ 大海に小刀(ナイフ)の残忍が刻みこまれた時 砥の粉色の雲も脳裏で首を振っている緑色動物らを包み込む 今は嵐(単なる空気の渦) めきめき音をたてる自然 瞬時の固定も許さない無限の広がり 距離の持つ意味の浅はかさ 明と暗の戦い これらすべてが私に現在という意識と夢想への欲求を忘れよと迫る (足音をたてて詰め寄る) この時 私のカンバスを占めるものは赤の印象だけ

          生命の限り(45年前の高校2年生のときに自動書記で出てきた詩のようなもの)

          世俗主義の社会で人間学としてのストレスケアは成立するのか

           キリスト教人間学・仏教人間学・東洋思想人間学など「人間がどのように生きればよいか」という人類の精神的遺産は世俗の現実的な世界から発見されたのではなくて人間を超えた聖なる領域に根源を持っているのではないか。  ストレス学説を提唱したハンス・セリエは、科学の発展とともに、神への信仰が弱まり、伝統的な権威がゆらぎ、人々の中に暴力、薬物乱用、無目的な破壊的攻撃性が広がり、法律や神の法典が軽視されてきたと危惧していた。  そのうえでセリエは、ストレス研究によって「自然という永遠の

          世俗主義の社会で人間学としてのストレスケアは成立するのか

          宗教を超えた「人間学」へ~主体性を軸にしたライフストレスケアの可能性~

          ストレスに関する科学的対処では、世界観、人間観、死生観、といった価値体系を扱わずに、実証的に「効果」があるとされる知識や技法を活用するスタンスになる。 しかし、ストレスがその人の生き方の歪みやアンバランスで起きると考え、ライフストレスケアという人間学へと発展させようとする立場ではそれは許されない。 どう生きれなよいかという人間の根源的な問いに答えようとするときに、価値の裏打ちの浅さは弱点になるだろう。 既存の宗教に頼るのではなく、それを包含しつつも科学知識と矛盾しないよ

          宗教を超えた「人間学」へ~主体性を軸にしたライフストレスケアの可能性~

          生活者のための生き方の道を探して~ライフストレスケアの目指す方向~

          現代社会で流布している心に関する理論や技法は、どうしても治療的なものや問題解決型のものが多いように感じる。 私たちが本当に求めてやまないのは生きていく指針となるような心の扱い方や暮らし方ではないだろうか。 たとえば現代の治療的な医療に対して、かつての「養生」が対置されるように、心理療法やストレスケアも、いかに生きるかという生活技術や人間学へと発展すべきだと指摘し続けてきた。 子ども時代から家庭の中で、学校教育の中で、あるいは企業内教育の中で、心理学やストレス学は「生きる

          生活者のための生き方の道を探して~ライフストレスケアの目指す方向~

          ライフストレスケア概論~心理カウンセリングではないことの意味~

          これまで様々な方法で「ライフストレスケア」について伝えてきたが情報量が膨大になったことで、特徴をシンプルに理解することが難しくなったとの反省がある。 しかも既存のストレス理論を参照しながら、新しい人間学を創ろうとして独自の体系を工夫してきたために、むしろストレスについて学習された方のほうが混乱するようだ。 そこで今回は議論の「前提」を整理したいと考えている。 ① 動物は自らの感覚器官と運動によって環境を探索しながら必要な情報を収集して、自らの能力を活かして生存できるように

          ライフストレスケア概論~心理カウンセリングではないことの意味~

          ストレスケアの支援と「心の支援」の違い ~心理カウンセラーの時代性~

          私はライフ(生命・生活・人生)に生じる「ストレス=歪み(不調和)」をサインとして、「自分を含む環境」が調和するように主体性を働かせることを支援する「ライフストレスケア」を専門としている。 その立ち位置から、様々なトラブルの原因を個人の心の中に見出す「心理士」の立場は極端な考え方でバランスを欠いていると批判してきた。 しかし、一方で現代人は自分の心に大きな関心を持っており、現実的に生活や人生をどう選択するかというテーマよりも、自分の心が傷ついていること、自分の心がネガティブ

          ストレスケアの支援と「心の支援」の違い ~心理カウンセラーの時代性~

          人生の意味に追われないこと~ライフストレスケアの視点から

          現代人のストレスの一つは自分の人生が無意味であるという虚無への恐れではないのか。 それを埋めるために「充実した生活」を求めて試行錯誤をしているようだが、成功や自己実現も本当の願いではなくて、ひょっとしたら虚無を避けるための代替の願いかもしれない。 このような新しい問いが生まれたのは、共同体の中で「共に生きる」という人間の在り方が崩れて、表面的にしか知らない相手と役割を果たすためだけに協調する生活のせいだと思う。 本来の「共に生きる仲間との交流」は、役割としての交流に矮小化

          人生の意味に追われないこと~ライフストレスケアの視点から

          心理支援とライフストレスケアの今後~科学的再現性の限界と人間学的展開

          心理支援の歴史においても各療法家がそれぞれの臨床場面で工夫をこらして相談者への支援を続けてきた。 その成果と基礎研究が統合されるなかで標準的な理論が形成され、さらに追試的に研究が重ねられて科学的な意味でのエビデンスが積み重なってきた。 現代社会ではその成果のうえに研究が続けられているので、かつてのように各自がそれまでの理論を無視して自分なりの介入をすることは、相談者の人権や利益を損なうことになるので、厳しく批判される。 これは先行して発展している医学を例にとると分かりやす

          心理支援とライフストレスケアの今後~科学的再現性の限界と人間学的展開

          この一年を振り返って~序列化への抵抗と独自の道の覚悟~

          この一年はストレスケア一筋の私にとって、迷いの年であったと思います。 きっかけは公認心理師資格についてTwitterで論じられている中で、過激な心理士たちが「臨床心理士、公認心理師以外のカウンセラーはエセ、野良、トンデモ」だという極論を主張していたのを目にしたことからでした。 私は心理士の方を尊敬しておりましたし、ストレスケアとの専門性の違いも理解しておりましたから、精神科の受診をすすめたり、当方に合わないと判断したら提携している臨床心理士の元へと紹介もしております。 大

          この一年を振り返って~序列化への抵抗と独自の道の覚悟~

          ライフストレスケアの立ち位置と心理士を目指す人が増えたことの疑問

          心理士(師)を目指す人が増えているように思う。 ご本人に伺ってみないと動機は分からないが、他の専門職として活動している方が多いことも不思議だ。 社会の何かの変化を示しているのだろう。 成功や営利を求める層とは別のニーズがそこにあるのか。 分業や専門性はともすれば人間を全体としてとらえるのではなくて、業務のための業務となってしまう。そこを危惧しているのか。 それなら福祉の仕事でも良いと思うが、もっと「心」の問題に関わりたいのだろうか。 このような答えの出ない問いを持つのは私がス

          ライフストレスケアの立ち位置と心理士を目指す人が増えたことの疑問