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「体験世界の生成」と主体性の発揮

ライフストレス人間学を実践するうえで、最初に取り組むことは「主体性」を発揮していくことだ。動くところから、出来るところから取り組んでいく。

最初は生命の階層の身体的主体性から始めてもよい。
現在ではストレス解消法として推奨されている「呼吸法」だが、ここでは呼吸の制御性、自由度を取り戻すという主体性の実践として位置付ける。

同様に「筋弛緩法」も、本来は随意に働かせることができるはずの骨格筋がストレスによる過緊張、残留緊張により弛緩させることができなくなっている「不自由の解消」であり主体性を取り戻す実践になる。

私たちの独自の体験世界を生成している主体性は生命、生活、人生という階層を持ったマトリックスを形成している。下の図は代表的で重要な27項目を示している。

段階的に主体性を高める実践に取り組み、自由に動かせる主体性の項目が増えていくと、体験世界全体のバランスをとるための制御力も上がっていく

しかし段階を経て、社会生活の階層における主体性の実践に入ったときに混乱が生じ、さらには人生の階層の価値の主体性の理解も難しくなるのが現状だ。本稿ではその理由と対策を説明してみたい。

現代社会の経験科学的世界観では、物質世界があって、身体があって、脳があって、そこに心が生じていると信じられている。
そのような枠組みでは、物質世界・身体・脳などは動かせないとなると、主体性の実践は残った心の問題に変換されてしまい、心に注目して心を動かしていくことが主体性であると誤解されるようだ。

しかし、私たちの心は決して思い通りに働くものではなく、考えたとおりに感情も身体も行動もついてくるわけではない。
それは当然のことであって、結果の世界である体験世界全体から「心」という分類に当てはまるものを抜き出して再構成したもので、心は自由に動くものではないからだ。

そのような事情なので、主体性の実践がもし心の自由だというのなら無理だと考えてしまう人も多いだろう。

希望の主体性を実践するというと、「心の中に希望が湧いてこないのに、どやって希望を持つのか」と反発がある。
ましてや思い通りにならない人生を受容したり感謝して、相手に敬愛で関わるなど単なる理想論だと一蹴される。

しかし、実践してほしいのは、そのような心の状況を体験世界として味わいつつ、次にどうするかという主体的決定に取り組むことであって、心に特定の思いか湧いてくることを求めているのではないのだ。

このような心の問題に主体性が変換されてしまうことを避けるには、思考がつくっている「物質世界>身体>脳>自我」という枠組みを溶かして、「生きる力である主体性が原初の体験世界を生成している」という原点に戻る必要がある。

①下の図では右側のように思考の働きで原初の体験世界が分解・再構成されていき、物質的>身体>自我という枠組みの中でしか主体性を実践できなくなっていることを示している。
そのために、仮面と影のストレス自我と身体のストレス有機体と環境のストレスを生じるようになり、この複雑なバランスをとる必要が生じたのだ。
ある意味、この枠組みは科学技術の発展には寄与したが、ストレスの制御を難しくしてしまった可能性がある。


②次の図は私たちの主体性の側から人間を見た図である。存在がどうであるかという哲学的な問いに答えたものではない。
主体性は内部と外部の境界にあってあたかも主体があるかに制御している。物質と身体、心理と社会、価値意識と文化・規範など本来はつながっているものを主体性の働きが分けている。
また、この内部と外部がつながった体験世界が生成されているのは、背後にある不可知の実在の支えがあるからだ。
生きる力である主体性が体験世界を生成している。
言葉を変えれば不可知の実在は生を支えている死の世界であるともいえる。
川の流れの中にできた渦のように体験世界は生成されているが、それが終わるとき流れだけがそこにあるように不可知の実在世界は続いている。

③次の図は人間に限らず生命はすべて探索と制御の力である主体性の働きで独自の体験世界を生成していることを示している。そして人間の体験世界もその一つに過ぎないことも合わせて説明している。
カニはカニに必要な情報を探索して、カニに出来る動きで自分を含む環境を制御している。
人間は生命生活、人生という主体性の働きがあるので体験世界もそのように生成される。
しかし、カニも人間も生成した体験世界の元になった実在を知ることはできない。不可知の実在である。
私たちが主体性の働きを止めるときに、体験世界は生成をやめて不可知の実在に飲み込まれていく。
古人はこのことを生を死が支えていると考えたり、此岸と彼岸、この世とあの世と説明していたのではないか。

今回は主体性の実践を進めるために「物質世界>身体>自我」の枠組みから原初の体験世界に戻して暮らすことを提案したものだ。
この前提を持つことで主体性の実践が深まっていくが、その詳細は今後に譲ることとしたい。


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