見出し画像

ライフストレスケア概論~心理カウンセリングではないことの意味~

これまで様々な方法で「ライフストレスケア」について伝えてきたが情報量が膨大になったことで、特徴をシンプルに理解することが難しくなったとの反省がある。

しかも既存のストレス理論を参照しながら、新しい人間学を創ろうとして独自の体系を工夫してきたために、むしろストレスについて学習された方のほうが混乱するようだ。
そこで今回は議論の「前提」を整理したいと考えている。

① 動物は自らの感覚器官と運動によって環境を探索しながら必要な情報を収集して、自らの能力を活かして生存できるように独自の「世界」を把握している。
同じ場所にいても、蟻と猫と人間では違った世界に住んでいる。
これを「自分を含む環境システム」だと説明している。

② それぞれの生物にとっては、その環境システムが「現実」であって、その奥にある実在の世界があったとしても知ることはできない。

③ 物質世界とそれを認知した世界があるという物心二元論をとる人がいるが、ありのままの現実がすべてであって、そのような分離をしない立場をとる。

④ 言葉の働きの延長として、無言でのつぶやき、つまり思考の働きと付随するイメージの世界があるが、それも言葉の主体性が生み出す「自分を含む環境システム」への働きかけとして整理している。

④ 環境システムは外部環境と内部環境に便宜上分けることは可能だが実際にはつながっている。

⑤ 外部環境も内部環境も変化し続けている。変化することで存在している。人間は外部環境と内部環境の間にあって、働かせることのできる機能(主体性の項目と呼んでいる)を駆使して全体のシステムの調和を図ろうとしている。

⑥ 主体性の働きでは環境に従属する「受動的」な傾向と、環境へと働きかける「能動的」な傾向が統合されており、結局のところ能動態ではなく、システムに働きかけてシステムの働きが自他に及ぶということで「中動態」とでもいうべき状態にある。

⑦ 主体性の働きを自我の欲求の発露だと考える人も多いが、それは過去に主体性を発揮した際の記憶に基づく反復であり、特定の環境下で無自覚に適応的に暮らすことができる。
しかし変化し続ける環境を前にして固定した言動としてミスマッチ、歪みを生じさせ自然な調整過程を阻害するおそれもある。

つまり内部環境重視に偏った不完全な主体性や、逆に内部環境を無視した外部環境重視に偏った不完全な主体性の問題と考える。

もちろん、その軋轢のために脆弱になった自我を強化して支えることは大切だが、ライフストレスケアではそこにとどまることはなく、より自由度の高いバランスのとれた「主体性」の発揮への支援へと移行していく。

⑧ 本来の主体性は内部環境と外部環境の変化を受けて、創造してきたライフ(自分を含む環境システム)の歪みを把握してバランスをとるコントロール力、制御性、自由度の働きそのものであって、心が行動を動かしているという考え方をとらない。


⑨ 自分を含む環境システムは生命、生活、人生という3つの階層が合成されたもので、ストレス問題はこの3つの階層の不調和としても理解できる。
生命のためのシステムと、社会生活のためのシステム、人生のためのシステムが矛盾せずに主体性の発揮につながればよいが、特定の主体性の阻害になることがストレスを生み出している。

⑩ 生命の階層の主体性としては、呼吸、筋肉、感覚、睡眠(覚醒)、食事、運動、言葉、行為、資源の9つを重視している。

⑪ 生活の階層の主体性としては、関心、観察、理解、自信、自主、意味、信頼、貢献、希望の9つを重視している。

⑫ 人生の階層の主体性としては、決心、自省、受容、信念、誠意、感謝、敬愛、世話、安心の9つを重視している。


⑬ 主体性の発揮を具体化するために、さらに下部的に様々なスキルがあり、ライフストレスケアでは、様々なスキルの不足がストレスを生み出していると考えるのでスキルの研究と習得もテーマになる。

⑭ 問題の発生やストレスの過剰な蓄積は、主体性の発揮がうまくいっていないか、それを具体化するスキルの不足であると考えるので、心理士のように「心」の中に原因を見つけて介入するという考え方とは異なる。
むしろ、環境システムの問題を考えるときに、個人の「心」の中に原因を求めて介入するというのは、心の病への治療モデルを除けば、一般の方が生活するうえでは、かなり極端な前提であると批判してきた。

⑮ スキルの中でもWHOが推奨している10のライフスキルは重視している。「問題解決スキル、意思決定スキル、批判的思考、創造的思考、人間関係スキル、コミュニケーションスキル、自己理解、他者共感、感情への対処、ストレス対処」は深めていく必要がある。
とりわけ、本来は人間と人間が「ともに生きる」ために統合して使われるべきスキルであるが、それが「役割の交流」と「感情の交流」に分断されて歪んでいるのが現代人の問題である。


⑯ 以上のような前提で実施する面談ケアは、心理カウンセリングではないし、心理療法でもない。広義のストレスケア、人間学としてのストレスケア、ライフストレスケアであり、専門領域が異なる。

⑰ 現代社会では、悩みがあると「心」の中を探り介入をするという心理士の手法が一般の方に広がっていることを危惧している。
本当は主体性を発揮して環境変化の中で新しい言動をとろうとして来訪された方が、心の中に問題があると言われて「心」を変容させないといけないと誘導されているのではないか。

⑱ ライフ(生命、生活、人生)を変えていきたいのか、心を変えていきたいのかを最初に伺って、もし後者なら当方では扱えないので心理士に紹介することになる。
もし心理士がこの二つは同じであって、ライフをよくするためには「心」に介入して変容させないといけないと主張するのだとすれば、それは極論であって間違った誘導になると考える。

⑲ ライフストレスケアは健康な方のストレス被害の予防、健康増進、さらには、よりよいライフにむけての支援である。つまり、心の病、心身症、トラウマなどで苦しんでいる方は心理士など専門家に委ねるという姿勢だ。
医療やセラピーといった治療モデルの領域と、生きるうえでストレスに向き合い乗り越えていくことは別であり、その誰もが行っているセルフケアを支援するのがストレスケアのサポートである。
そして、さらに人間学として発展させること、個人の心の問題にせずに、環境や他者との関係性に注目して「自分を含む環境システム」を扱うものとして、ライフストレスケアを提唱している。

⑳ 以上、前提を整理してみたが、私はこの心理学の時代にあって、本当はストレスケアのほうが当てはまる人が多いのではないかと考えている。
さらには心理学の時代が壁に突き当たって、次の世代にはライフストレスケアのような考え方が必要とされるのではないかと考えて準備している。


㉑ 主観と客観に関する補足

この概論が理解できなかったとすれば、「主観」と「客観」の扱いがライフストレスケアでは異なるためだと思う。

動物の「自分を含む環境システム」は自分が見て感じて判断して行動するという意味で、いわば主観的な世界がすべてである。

しかし、人間は「環境の中にいる個体としての自分」をどこか別の視点(他者からの視点が元になって抽象化された)から観察しているという「客観的視点」を持っていて、物質世界はその視点が生み出している。

そして、主観的世界は物質世界と自我を前提にしたモデルに制約されて、「個体である自分が心の中で物質世界を評価したり解釈したりしているもの」だと考えられるように変質している。

そして、他者の主観的世界は自分とは重なっておらず把握できず予想するしかない。物心二元論をとっているからだ。

さらには心理学はその主観的世界を客観的に見ようとしているので、現代人は、外界を見るとき、さらには自分の心さえ主観的に働かせることが苦手になっている。

ライフストレスケアではすでに述べたように、ありのままに見えている世界、つまり主観的世界が「自分を含む環境システム」であって、それは同じ人間である以上他者と似ていることになる。その背後に実在の世界があるとしても知ることはできない。

もし別に客観的世界を定義するならば、「客観的世界とは各自の主観的世界として表現されている「自分を含む環境システム」が重なる部分」のことだと考える。

最後になるが、ライフストレスケアの実践を私がすすめていったとき、まず取り組んだのが、自分が感じて、見て、考えて、行動するという主観的感覚を強めていくことであった。
これは現代社会でマインドフルネスの実践が推奨されていることと符合する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?