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ストレスケアの支援と「心の支援」の違い ~心理カウンセラーの時代性~

私はライフ(生命・生活・人生)に生じる「ストレス=歪み(不調和)」をサインとして、「自分を含む環境」が調和するように主体性を働かせることを支援する「ライフストレスケア」を専門としている。

その立ち位置から、様々なトラブルの原因を個人の心の中に見出す「心理士」の立場は極端な考え方でバランスを欠いていると批判してきた。

しかし、一方で現代人は自分の心に大きな関心を持っており、現実的に生活や人生をどう選択するかというテーマよりも、自分の心が傷ついていること、自分の心がネガティブになっていること、自分の心が自由にならないことを何とかしてほしいと願っている。

心理療法の世界でもACT(アクセプタンス・コミットメント・セラピー)のように、自分の心に生じた不安を解消するのではなくて、それを抱えたまま、現実を受け止めて人生の目的に向けて行動を起こすことを推奨する考え方も出てきているようだ。

つまり必ずしも心を対象にして変容を試みるアプローチばかりではないのは承知しているものの、利用者自体が求めているのは「心の安定」であり、「自己肯定感」の向上であり、「心の傷の解消」であるかに思われる。

ストレスケアの立場では、むしろ、このような心の働きは自然な調整過程を妨げるものであって、心にとらわれずに、今ここで、内部環境と外部環境の接点において主体的で新しい決断をすることのほうを重視している。

以上のような理由で、私はストレスケアの立場から「心に介入するアプローチ」を批判してきた経緯がある。

しかし、現代人が変わらない自分を「心」に見ており、それを支えに生きているのだとすれば、ストレスケアのように、外部環境も内部環境も変化している中で「主体的な選択」に集中するようにといっても「心にこだわり、心を動かしたい」と願うのは止めようがないことだと思う。

つまり、現代人の「心」への執着や願望をかなえるための支援、サービスは必須であり、それをストレスケアで代替することはできないのだと気づいた。

心にどのような実体があるのか、仮説的な概念ではないのかなど、批判があったとしても、現代を生きる私たちが心を大切にして、それが傷ついていて、守られるべきものだと考えるのなら、そこに専門的な支援が必要になるのは当然だろう。

私は相談者の方に問うしかない。あなたは現実の生活をどう変えるかという相談に来られたのか、それとも傷ついた心を癒すこと、安定させることを目指して来られたのか。

もしこの問いがどちらでも同じだと心理士が主張するのであれば、それは欺瞞である。明らかにこの二つの立場は異なる。

「心の問題」を解決しないと現実の問題も変わらないという主張こそ、私が闘っているテーマだからだ。

ひょっとしたら相談者は現実の問題をどうにかしたいと来訪したのではないか。

それを心理士は「心を守ります」と誘導しているのではないか。
それしか道がないと思わせているのではないか。

心の問題は心理士に委ねるしかない。
しかし、一方で本当に心の相談をしておられるのだろうかと心理士も振り返ってみてほしい。

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