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#写真
ウーマンリブとプロセッコと友情と
仕事の帰り道、ふと、正面から歩いてくる女性が視界に入る。
その女性は、長くサラサラの茶髪を野球帽の下に纏め、グレーのジャージ姿でポメラニアン犬の散歩をしていた。バービー人形のように非現実的に完璧な容姿と体型を擁する方であった。年の頃は20歳代後半、30歳代初頭であろうか、少なくともそのように見える。
彼女は私の視線に気が付くと、立ち止まり、私に親しい声を掛けた。
「ねえ、私のこと憶えて
隣の芝生は青い、とは限らない
「例えばだよ、東京に二十年住んでいて、一度も外に出たことがない人がこの景観を眺めたらどう感じるんだろうね」
橋を渡っていた時、スウェーデン人男性の声が明瞭に響いて来た。中高年の二人組の一人の声であった。
私は一瞬歩きを止めた。通常、赤の他人の会話には注意を払わないが、やはり自国に関する名称は聴覚を過敏にする。
日本人である私の姿が彼らの視界に入り込んだのか、おそらく違う。
この場所
市庁舎の鐘の鳴る島 私の街角
市庁舎の鐘塔は、あたかも錯乱したかのように、キンコンカーンコーンと鐘を鳴らし始める。この瞬間のみ、時代は中世に遡る。
鐘の音は、私にとっては一様に、哀調を帯びているように響く。鳴っている最中も、その後も。
そのような感を抱きながら市庁舎の足元に佇んでいると、自身が、除夜の鐘の国を去って欧州に根を下ろして来たことを改めて認識する。
先週の金曜日は、近くにて用事があったため、数年ぶり
心の中で描いていた童話の里を訪れてみると
その里のことは以前から時おり耳に挟んでいた。
「長くつ下のピッピ」の著者、アストリッド・リンドグレン女史の「やかまし村の子供たち」などを読んだあと、この里のイメージが自分の中で勝手に先行してしまったのかもしれない。
この里には、小さな平坦な村に小さな古い木造の家が点在しており、その中の数軒が飴屋さんになっている。そのようなイメージであった。
こちらでは先週末が「キリストの昇天日」に因
拝啓 ストックホルムより
日本在住の知人からちらほらと、こちらの日常を案ずる連絡を戴き始めた。朝方の四時に携帯メッセージで起こされたこともある。時刻はともかく心配して下さる思慮は有難い。
「食料に関しては現在のところそれほど心配することはない」、とある政治家が発表されていた。
「買置きは推奨しますが、買占めは止めましょう」、などの呼びかけがあちらこちらのメディアで見掛けられるようになった。買置きと買占めの違い
長蛇の列の導くところ そして150円の幸福
最近、近所を歩いていると、長蛇の列に遭遇する。
この時勢、長蛇の列が出来る場所と言えば、ドロップインのワクチン接種センター、職業安定所、税務局等の切羽詰まった方々のための機関である。しかし、この界隈にはそのような機関は無いはずである。
職業安定所などはたとえ長蛇でも、他に選択肢が無いために並ばざるを得ないが、私が遭遇するこの行列は、皆、自分の意志で長時間並んでいるのである。
巨万の富を得たご令嬢 壺に嵌まる
思いがけなく勤務先から休暇を戴いたので、あるご夫婦のお屋敷を訪ねてみることにした。
彼らのお屋敷はストックホルムの中心に位置している。彼らがその屋敷を購入した当時は日本円にして3千万円程度(当時としては巨額)であったらしいが、現在この物件(建物)を購入をすることが可能であるとすれば、おそらく30億円は下らないのであろうか。人気物件は、大抵の場合は、競売になるのであろうから価格はさらに吊り上げ
ある館のミステリー マリアの貢献
ストックホルムの南の島、ある一角を歩いていると多少違和感を覚えさせる館が視界に入る。館の背後からは泥酔した人々の雄叫びが響いて来る。
美しい装飾が施された1670年築のこの建物だけは、ホームレス人救済センター等の在るこの一角から端麗に取り残されている。
冷たい空気の中、この館を撮影していると、通りすがりの人達から訝りの視線を受ける。通行人の多くは、この館でかつて起きた事故のことをおそらく