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巨万の富を得たご令嬢 壺に嵌まる

 思いがけなく勤務先から休暇を戴いたので、あるご夫婦のお屋敷を訪ねてみることにした。

 彼らのお屋敷はストックホルムの中心に位置している。彼らがその屋敷を購入した当時は日本円にして3千万円程度(当時としては巨額)であったらしいが、現在この物件(建物)を購入をすることが可能であるとすれば、おそらく30億円は下らないのであろうか。人気物件は、大抵の場合は、競売になるのであろうから価格はさらに吊り上げられる。

 建築家たちは、「金に糸目は付けないから、屋敷を最高のもので装飾してくれるように」、と、このご夫婦に依頼されたという。

 

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 この屋敷の晩餐会サロンに入ると、アンティークの美しいピアノに迎えられる。ご夫婦は、このサロンに友人あるいは客人を招待して、著名な音楽家の生演奏を披露しながら社交晩餐会を愉しまれていたのであろう。

 このピアノは、1853年に米国で創立されたSteinway & Sonsピアノ製造会社のものである。同社のグランドピアノは、現在のものであれば一台500万円は下らない。但し写真上のピアノに関しては資料が見つからなかった。

 アンティークのピアノは往々にして価格が下がっており、19世紀のものでもブコウスキーのオークションにて10万円ほどで購入できる時などもあるが、この写真上のピアノに関してはその限りではないと想像される。

 価値が分かったら何かいいことがあるのか、と問われそうであるが、アンティーク製品の価値を知ると、歴史の流れが感じられて興味深い。


 以前、私が暮らしていたマンションは1910年の築であったため、その内装に合わせるため、(比較的安価な)アンティーク家具を買い集めていた。しかし、どんなに安価になっていてもピアノは購入したいとは思わない。弾いていた人の息遣いが感じられて来そうだからである。


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 こちらの晩餐会サロンは2つの小部屋に挟まれている。一つは「女性の部屋」と称され、晩餐会が開始する前に女性陣がお茶などを嗜みながら待機する部屋であり、反対側の小部屋は「喫煙の部屋」と称され、男性専用である。 

 このサロンは、17世紀の富を象徴するバロックスタイルにて装飾されている。このタペストリーは、ギリシャ神話の「オデュッセウスとナウシカア」を語るものであり、16世紀後半に描かれたものである。


 下の写真に見えるシャンデリアは、相似したタイプのものが現在でも照明店にて手頃に購入できる。私の趣味ではないが、日本の一軒家の洋風居間に掛けても違和感はないと思われる。


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 下の写真が上述の喫煙の部屋であり、これから武器の部屋を拝見させて頂く。

 この屋敷に夥しい種類と数の宝物を収集されたWilhelmina(ウィルヘルミナ)嬢が、喫煙の部屋にて粛然と腰掛けていらっしゃったが、彼女へのご挨拶は最後にさせて頂くことにする。


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 武器の部屋を見学させて頂く予定であったが、神秘的な光に魅せられ、隣の部屋に先に誘致されてしまった。

 そこはひたすら神秘的な部屋であった。下の写真のみを見ると、私には、黒魔術の儀式が行われる部屋に見えないこともない。


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 この部屋は果たしてビリヤードの部屋であった。

 この部屋は、男性陣の社交の場であった。ビリヤード自体は12世紀頃から存続する伝統あるゲームであるが、現在のかたちになったのは19世紀頃である。

 この部屋の装飾はルネサンスとロココスタイルにて融合されている。


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 お隣の武器の部屋に戻る。

 ショーケースに反射してしまうため良い写真は撮れなかったが、この部屋では猟銃、剣、ピストルが展示されている。いずれも16世紀から19世紀のものである。

 当時、武器を収集することは上流社会の人々の趣味のようなものであった。収集された武器は、いくさ用のものではなく、狩猟、収集用のものである。銃床、ボルト、引き金には象牙、銀細工等があしらわれている華麗な銃も多い。

 ショーケースの壁に掛けられているのはトルコ兵の甲冑である。その下に立っている二体の甲冑はドイツ兵のものであるが、右側の鎧の中にはドン・キホーテ似の男性の(おそらく)マネキンが入っていた。


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 猟銃あるいはピストルは、映画等で見掛けることはあっても、戦争に行かれていない世代においては、実際に手にされた方はそれほど多くではないのかと予想される。私に関しては、猟銃は軍事博物館にて試し持ちをさせて頂いた程度である。

 しかし、スウェーデンにおいては、兵役に服した方々、狩猟を趣味とされる方々も多いため、一見軟弱そうな青年でも、実は射撃の名手であったりすることもある。

 スウェーデン軍隊において使用されている武器の写真は、こちらにて参照できる(もし興味がおありであれば)。


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 この屋敷は42部屋を擁し、その面積はほぼ2000平米を誇る。一部、上の階段の踊り場のように、からくりハウスのように感じられるほど入り組んでいるところもあった。

 西洋の怪談では、皆が寝静まったころに甲冑が城の中を歩いているシーン等が時々出現する。 

 夫のWalther(ワルター)氏が出張で帰らなかった時など、ウィルヘルミナは恐怖を感じたことはなかったのであろうか。


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 さらにこの屋敷には、陶磁器の部屋、中国の部屋、銀食器の部屋、数々の展示部屋がある。各部屋に所狭しと展示されている展示物の数も夥しい。

 ウィルヘルミナの膨大なコレクションを眺めていると、これらの調度品一つ一つの価格は、途上国の子供の果たして何日分の食事に値するであろうか、などと複雑な心境にも陥る。


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 収集物の中でも壺の数は夥しい。

 こちらはエジプトから入手したものであろう。注意深く写真を観て頂ければ、大抵の部屋の暖炉あるいは箪笥の上にも壺が飾られていることに気が付かれるであろう。

 

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 煌びやかな装飾と調度品で、目眩がしていたところで、この部屋に差し掛かり、多少違和感を感じた。

 これはウィルヘルミナと夫のワルターの寝室である。

 最近は一人暮らしの人でさえ横幅180センチの大型のベッドで寝ている人が少なくない。巨万の富のうえに横たわることが可能であったこの二人は、この小さいシングルベッドのうえで、しかも二床別々にして寝ていたのだ。

 如何に、大邸宅に住んでいたとしてしても、贅沢な調度品に囲まれていても、眠っている時は、大富豪もそうでない人も本来の生身の人間に戻るのだ、と考えさせられた寝室であった。

 この当時、上流階級の夫婦の部屋は神聖なものとされており、専用の使用人以外には立ち入り禁止であった。


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 大富豪もそうでない人も、共通の生理的欲求を有する。二者の違いは、当時の大富豪は自宅にこの小部屋を設けており、そしてその小部屋にはカクテルグラスが似合うということであろうか。

 この屋敷は、当時としてはハイテクな造りとなっており、自宅にバスルーム、シャワー等を設置した点においては、スウェーデンではおそらく最初であったと言われている。さらにこの屋敷には建物を通して電気が通っており、キッチンから食堂に続くエレベーター等も設けられていた。


 さて、下の部屋の用途は果たして何であろうか?


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 使用人アンナの寝室である。この時代の使用人の寝室として立派なものであったと言われる。ちなみに正面の白い塔は暖炉である。


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 上の写真は室内ボーリング用のレーンである。投げたボールが右の方にある溝に戻って来るシステムになっている。友人あるいは客人を招待した時、ボーリングから社交活動を始めていたこともあったらしい。

 自宅にボーリング場を有する人を、私は他に知らない。


 そして、懲りずにまた壺の羅列。


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 最上階はプライベートギャラリー、主に16世紀から17世紀のオランダ製の絵画が展示されている。

 ウィルヘルミナの所有する富はおそらく天文学的な数値であったのだったのかもしれない。これは、商売で大成功したドイツ人の父親から譲り受けた巨万の富である。


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 最後に紹介させて頂きたいのが、ダイニングルームである。

 この照明をご覧いただきたい。これは一教会に吊るされていた照明を、ウィルヘルミナが、オークションにて競り落としたものである。

  この頑強な形状と色彩が非常に気に入ったが、これを吊るすには最低でも四メートルほどの天井の高さと(先立つもの)を必要とするであろう。


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 この部屋は大きくは見えないが、ディナーパーティーの時には30人は収容出来るそうである。

 食器棚の上にはまたしても壺。


 さて、遅くなってしまったが、喫煙の部屋で待っていてくれているウィルヘルミナのところに挨拶に伺うとしよう。


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 彼女は、寛いだ表情にてソファーの上に腰掛けながら待っていてくれていた。

 おそらくこの屋敷がストックホルム県に博物館として寄贈された1920年からここでずっと。


  彼女と夫のワルターは、1898年からこの屋敷に住んでいた。屋敷を寄贈した一年後にワルターは亡くなったが、彼女は、自身が亡くなるまで屋敷内の調度品の目録を作成していた。

 

 ウィルヘルミナは若い時から先見の目のある方であり、世の中が急激に変化を遂げてゆくことを予測されていた。

 そこで、このお屋敷および全ての宝物をストックホルム県に寄贈した、内装を全く変えないことを条件として。

 この時代の富豪の住まいの建築様式、内装、および暮らしぶりが後世にそのまま、伝わるように。


 一時間強、ウィルヘルミナとワルターがその富を謳歌していた空間の中を歩きながら考えたことがある。

 彼女は、絢爛華麗な屋敷に住み、煌びやかな宝物に囲まれて暮らしていたが、果たして心から満たされていたのであろうか、と。


 昨今の私は、デパートを歩き廻っていても、ネットショップで商品を物色していても、「是非とも入手したい」、と思えるものは滅多に発見できない。


 ウィルヘルミナに関して、羨望の念を感じられる点があるとしたら、彼女のコレクター熱に対してであろう。それは幼少の時から始まって大人になっても冷めなかった。


 現在は断捨離の風潮があるとは言え、ある程度の物欲は、人生を営むにおいてある種の原動力にもなるのではないかと感じる。


今回も長文記事にご訪問頂き有難うございました。

あまりに特記すべきお屋敷であったため皆様と体験を共有させて頂きたいと思いました。


免責事項

https://note.com/lifeinsweden/n/n2b41e9ae5b80