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市庁舎の鐘の鳴る島 私の街角

 市庁舎の鐘塔は、あたかも錯乱したかのように、キンコンカーンコーンと鐘を鳴らし始める。この瞬間のみ、時代は中世に遡る。

 鐘の音は、私にとっては一様に、哀調を帯びているように響く。鳴っている最中も、その後も。

 そのような感を抱きながら市庁舎の足元に佇んでいると、自身が、除夜の鐘の国を去って欧州に根を下ろして来たことを改めて認識する。



 
 先週の金曜日は、近くにて用事があったため、数年ぶりに以前暮らしていたマンション裏のピザ屋を訪れた。ストックホルムのほぼ中心街である。

 ピザ屋の内装も、働いている人達も以前とまったく変わっていない。彼らは笑いもせず、愛想も振り撒かず、黙々とピザを焼いている。

 小一時間座っている間に、テイクアウトの客、食事をする客、デリバリーの運転手で狭い店内が芋の子洗い状態になった。店を出る時には他の客を押しのけて出る羽目になった。これほど混み合っているピザ屋を他に知らない。

 すでに二十年以上も前のことになるが、このピザ屋に最初に足を運んだ時、ピザを十二枚注文したことがある。

 何故か、

 

 

  それは一年間暮らした田舎町からストックホルムへ引っ越した時であった。

 引っ越し荷物を運んでくれた友人達への、些細な御礼であった。テーブルは段ボール箱というお粗末な食事であったが、私達は新居への希望に溢れており、皆で和気藹々と味わったピザも美味であった。

 若く貧乏であったため、当面を凌ぐために、私達はアンティークの店、或いはオークションにて安価な家具を買い揃えていた。

 しかし、その当面は、五年となり、さらには十年となった。

 1910年築のマンションに住み、以前誰が座っていたかもわからないアンティークのソファに座って暮らしていた日々、そのまま暮らし続けていたら自身までもがアンティークになりそうな危惧を抱いた。

 それなら何故、そのような古いマンションを購入したのか。

  


 中央駅からも比較的近いこの地区が非常に人気があったからである。さらに、古いマンションには購入費用が割高であるかわりに共同管理費が比較的低額であるという利点がある。

 しかし、一番の理由は、このマンションに一目惚れしたからであった。


 夕暮れ時に駆け込んだマンションの一般公開日、

 ものが無く伽藍としていた書斎の木床と、その場にいた人々の頬が、ブラインドの隙間から漏れる夕陽に柔和に照らされており、何かのドラマの一幕を鑑賞しているようであった。その光景が脳裏から離れず、次の日、同物件の競売に参加した。


 
 
 この晩、ピザ屋を出たあと、界隈の夜を散策した。

 この地区の隅々にて、幼かった頃の娘達の幻影がちらつく。

 ここは、私が人生において一番長い年月を暮らした土地であり、娘達がここで生まれ、娘達とここで年月を過ごし、娘達がここから巣立って行った土地であった。

 しかし、

 「末の娘さんはどこの小学校に通っていたの?」、と、友人に訊かれ返答に詰まった。

 咄嗟には思い出せなかったのだ。記憶を逆に辿りながら思起するために数分間を要した。

 子供の通った学校、重要な記憶であるはずであった。

 それにも拘わらず記憶が朧になってしまっている理由は、何であろうか。

 第一幕の人生を、この土地と共に置き去りにして来たということかもしれない。


 アンティーク家具に飽きが来て、古いものを新品に総替えした直後、第一幕も同時に下りた。

 

 

 第一幕は順風満帆であったとは描写し難いが、それでも第二幕を開幕するためには必要な発酵期間であった。


 しばしの幕間のあと、私は人生の第二幕を開いた。

 新開地に建てられたほぼ新築マンションにての新規の人生。

 洗濯機も乾燥機も装備されているため、以前のように、洗濯をするために高熱隧道如しの地下に降りて行く必要もない。滅多に利用しないがバルコニーも付いている。大型冷蔵庫と冷凍庫も完備しているため、頻繁に買い物に出掛ける必要もない。

 すなわち、生活の質は格段に向上した。

 新しいマンションなのでアンティーク家具は調和させにくく、家具は基本的に、直線的な錫材を基調としたインダストリアルデザインに統一した。

 自ら足を運んで実物を物色しながら購入していた頃と異なり、家具と照明のほとんどネットからの入手となっている。

 時代も家具も照明も変わった。

    


 この島は一応ストックホルムの関内(中心街の境界線内)には位置しているが、この島のピザ屋には閑古鳥が鳴いている。

 この島にて唯一、おそらく世界的に知られている名所は、冒頭のノーベル賞授賞式が開催される市庁舎ぐらいであろう。


 ノルウェー・オスロの如く海沿いにレストランを林立させれば人が集まるのでは、と考えたいが、海沿いの建築物の中には、19世紀から存続するような古い建物が多いため、レストランに改築出来るような換気構造にはなっていない。

 

 
 
 郊外の庭付き一軒家に住むスウェーデン人の知人が言う。

 「街中で小さいマンションを購入する予算があるのなら、郊外で一軒家を購入した方が断然利口じゃない?私の家から五分のところにある湖を夕暮れ時に眺めて居ると、これこそが人生、と感じるのよね」

 賃貸マンション、購入マンション(分譲マンション、競売マンション)、購入一軒家、街中、郊外、この国における住居獲得の方法は数種類ある。


 私にとっては、「例え小さくとも街中の購入マンション」、この一択である。

 

  
 
 多くの方々同様、私も永年、海の近くに住むことを渇望していた。

 そして、現在、その希望はほぼ実現している。島なので、大抵の場所は海に近い。

 私の窓からの海は、アクロバットでもすれば辛うじて一部が見える、という程度であるが、以前住んでいたところからはそれさえも見えなかった。


 この島にて人生の第二幕を開始してから数年間が経つ。

 パンデミックが激しく蔓延していた時期、私はこの島の中をグルグルと何度も歩き回っていた。

 中心街に近いに拘わらず、自然に囲まれた美しい島である。
 カモメの鳴き声と共に目覚める朝は清清しい。
 夕暮れ時の幻想的な水面の色は、何度もカメラに収めてしまう。

 
 それにも拘わらず、
 
 
 以前暮らしていた土地への思い入れが強すぎるためか、この島に移って数年経った現在でも、時おり、ここが仮の住まいであるような錯覚を受ける。

 しかし現在は、この島の、このマンションのある場所が、正真正銘、私の街角なのである。

 


 理由は不明瞭であるが、第二幕も終わりに近付きつつある予感が漂う。

 
 人生の第三幕においては、さらに海の近くに住むことが出来るであろうか。

 第三幕とは、おそらく定年までの長い長い年月、おそらくそれほど平穏でもない日々。

 そして、第四幕は定年後の人生。

 第四幕においては、心の安寧を得ることが出来、海を見下ろすマンションに住んでいる、と信じたい。

 それが果たしてどの土地であるのかは、今の段階では想像も付かない。



 追 別れにはこのようなかたちもある、ということを語ってくれるスウェーデン人バンドの曲。短い動画にて描写される別れの朝の二人の気持ちの動きが切なく温かい。



ご訪問有難う御座いました。

私が住んでいる島の市庁舎側の景観と、この国の不動産事情を少しご紹介させて頂こうと思いました。

ところで昨今、不動産、自家用車等を所有しないという形態も増えて来たようですが、皆様は、選択肢があるとしたらどのような住居形態をお好みでしょうか?