ある晩、南の島でパトリシアを拾ってみたら(ストックホルムの夕暮れ)

画像1 人助けをしたらご褒美がもらえる、という逸話も多いが、
画像2 その晩人助けをしたパイロットのボーは運が悪かった。
画像3 海賊のドクロに出迎えられる中型ボート、パトリシア号は南の島では有名なパーティーボートである。
画像4 一時期は招待状がないとは入れなかったほどのご盛況であった。パイロットは比較的招待されやすい職種であった。
画像5 その晩、ボーは数人の友人達を連れてパトリシア号のパーティーナイトに参加した。
画像6 パーティーホールには、かなり泥酔した年齢不詳の赤毛の女性が片隅に座っていた。かなり露出度の高い服を着ていた。
画像7 ボーの友人のパイロットはその赤毛の女性に興味を示した。泥酔している女性は比較的簡単に打ち解けやすいと思ったようである。
画像8 以前私は、あるスウェーデン女性と大討論を交わしたことがある。「夜中に、女性が露出度の高い服を着て一人で出掛けること」に関する賛否両論であった。「露出度の高い服を着ているからといって必然的に被害に遭う、という論点は間違っている」、という意見とその反対意見が衝突したわけである。私の論点はご想像にお任せ。
画像9 人の好いボーは結局、友人達とその赤毛の女性を自分のマンションに連れて帰る羽目になった。その女性の名前はボートの名前と同様、パトリシアであった。その時点ではその女性がどのような人間であるかは、ボーは知る由もなかった。
画像10 その晩は、ボーにとっては非常に長い夜となった。パトリシアはボーのマンションにて、大音量で音楽を掛け、窓から大音声で罵り続けた。
画像11 ボーはその数日前、マンションの管理委員会から騒音に関して警告を受けたばかりであった。
画像12 ボーは溜まりかねて、パトリシアを帰らせようとした。彼女に夢中になった友人は泥酔の末、爆睡している。帰りたくなかったパトリシアはボーのロフトベッドの落下防止板にぶら下がって抵抗していた。その結果、板はひっぺ剥がされ、ベッドは変形した。
画像13 ボーはタクシーを呼び、パトリシアをなんとかタクシーに押し込めドアを閉めた。タクシーのドライバーにはかなりチップを弾んでパトリシアの搬送を依頼した。
画像14 このようなことは南の島では頻繁に起こり得ることかもしれない。海岸にはパーティーボートが数艘並んでいる。数々のボートの中にはレストラン、ユースホステルとして使用されているものもある。
画像15 対岸の旧市街近くにも一艘のボートホテルが佇んでいるが、これは比較的上品なものである。
画像16 ボートホテルの中には、営業しているのかが不明のボートも多かった。中には人の気配は感じられなかった。なんとなく「さまよえるオランダ人」を髣髴した。以前、この辺にきらびやかな中華風の大型ボートが停泊していた。懐が多少潤ったらそこで中華料理を堪能したいと希望していたが、懐が潤う前にそのボートは海岸から消えていた。
画像17 ストックホルムの中心は主に島から構成されている、と執拗に述べさせて頂いているが、この南の島は、島の中でも一番面積と人口が多い。アーティスト達はこの島を好んで住み着く。その理由も理解出来るほど、この島の建造物と石畳の通りは美しい。
画像18 美しい中型ボートの数も夥しい。こちらで紹介させて頂いたのはほんの一部である。ストックホルムの短い夏の夕焼けを愉しむ家族の姿がところどころで見られる。
画像19 それと比較して、対岸の我が王様の島のボート数の淋しいこと。昨年、我が島で見掛けたボートの数艘までこちらに移動して来ている。また、記憶する限りでは我が島にはパーティボートは無い。
画像20 しかし我が島にはノーベル賞授賞式が開催される市庁舎がある。県庁と警察本部もある(堅苦しそうな島である)。
画像21 時間を忘れてボートの写真を大量に撮っていたら、時刻は21時30分を示していた。この日の日没予定時間は21時38分であった。薄着で飛び出して来たので多少肌寒くも感じられた。ボートの中で家族団欒を愉しむ家族を見ていたら我が家に帰りたくなった。我が島に戻る時には長く高い橋を渡って行かなければならない。暗くなってからはあまり渡りたくない橋である。
画像22 家路を急ぐことにする。さようなら美しい南の島、さようならパーティボート・パトリシア、さようならボー。