![マガジンのカバー画像](https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/assets/default/default_magazine_header-fcef937b52acc29928856475838f16e16c530559fc5e72d04d56d795ceb0dc0f.png?width=800)
- 運営しているクリエイター
#エッセイ
だから私はnoteを書く
「noteを始めたきっかけは?」
ある方に聞かれて考えた。
私にとって、noteは「自己表現と自己確認」に尽きるなぁ、と。
そしてそういう場所が、今の自分にはとても必要なんだと思うから。
そして、それを分かっているかいないかで、生き方や感じ方が変わってくるんだな、と。
当たり前のように、noteを書く人がやっていることのひとつがTwitterとのリンク。フォロワーさんにお知らせし、より多
葬り去れない私の間違いのこと
恥ずかしいことなんて山ほどある。
高校二年の部室で性行為を目撃されたとき確かに私は「これほどの恥は二度とない!」と思ったはずなのにそれ以降もガンガン積み重なっていった。
恥ずかしいことを思い出すとイオンのエスカレーターでもスタバのレジ前でも台所でも叫んでしまう。ここ数年いちばん強く叫んでしまったのは、映画館でだった。息を吸い込みすぎてひっくり返るような短く高い叫びで、だけどその瞬間スクリーンでは
迷った末の意思決定は、迷わなかった時より強い
日々色んな選択と決断を繰り返している。迷うことは絶えない。
できることなら迷わない方が良い、迷わず選択できるならそれが良いと思っていた。
けれど、案外迷うことも悪くないのかもしれない。
振り返ってみると、過去に迷った末の決断が今の自分を形作っている。
一切の迷いなく決めたことももちろんあったけれど、迷わなかった選択よりも、迷って迷って迷い抜いた選択はその後、力強い意思決定になっている。
あなたの作品を本当に好きな人は 好きと言わないかもしれない
もうだいぶ前のことになるけれど、わたしは音楽活動をしていた。
前に別のところで、文章を書くことは好きだったのにそれを仕事にするということはまったく考えもしなかったということを書いたのだけれど、実はわたしは楽器の演奏家になりたかったのだ。その夢が潰えたから、わたしはいまここにいる。
演奏家を目指して、自分のスタイルを追い求め、それなりに誰とも似ていない(と自分では思う)演奏をしているつもり
つまらないかも?読者はあなたではありません。
noteの連続投稿を始めて200日以上が過ぎた。
「さて、何を書こうか。」
noteを書いている人なら一度は、いや度々思うことだと思う。
私は日課のようにそう思っている。
200日中160日くらいはそう思っていたかもしれない。
そして誰もが思う「何を書こう」よりは頻度は低いかもしれないが、時々こんなことを思わないだろうか。
「この話、別に全然面白くないな。やめようか。」
何度”私は面白お
人生で2回あった『運命の出会い』には、スポットライトが当たっているように見えた
スポットライトが射しているのを見たことがあるだろうか?
お芝居やライブなどステージの話ではない。あなたの人生に、だ。
日常生活の1コマにスポットライトが当たっている。そんなシーンを見たことがあるだろうか?
♢
スピリチュアル系に疎いわたしは、おそらく鈍感タイプだ。そんな鈍いわたしだが、不思議な体験をしたことがある。その体験は脳にピタッと貼りついて、今でもありありと思い出すことができる。