こげちゃ丸

描くことも書くことも大好きなデザイナー ◆ 身の回りの事を週1ペースで投稿しています…

こげちゃ丸

描くことも書くことも大好きなデザイナー ◆ 身の回りの事を週1ペースで投稿しています ◆ noteではエッセイを中心に、絵を描いたり、稀に小説を書いています

マガジン

  • ものがたりたち

    今まで書いた創作文をまとめたマガジンです

  • 描いてみた

    イラスト、フォトレタッチなど画像メインの投稿を集めたマガジンです。

最近の記事

妄想散歩

──── 土曜日の昼下がり、犬の散歩をしていたら近所の小学校でドッジボール大会をやっていた。小さい子から大人まで入り混じる20対20くらいの大人数での試合。多分、町内のイベントなのだろう。 歓声があがる中、ボールに当たった人が外野に出ていく。当てた人も当てられた人も、お互いに笑顔でなんとも微笑ましい。 穏やかな休日の日差しに包まれて、その光景を見ながらふと考えた。両チーム最後に一人ずつが残った場合。Aチームは小さい子、Bチームは大人だったなら、どんなドラマが生まれるのだ

    • 小さな手から大きな勇気

      ──── 月曜日の朝、犬の散歩をしていると困った様子で電話をしているスーツ姿の女性とすれ違った。 その少し先に真新しいランドセルを背負った男の子が泣きそうな顔で立っている。きっと女性はその子のお母さんで、男の子は学校に行くのを渋っているのだろう。学校までは距離があるから、嫌がる子を連れながら歩くには時間がかかる。時計は8:15、出勤前の貴重な時間を1分でも無駄にしたくないはずだ。 「動こうとしないのよ ──」 耳に入ってきた会話の先は旦那さんだろうか。気になって暫し様

      • 昔の自分を整える

        ──── 4月が始まりましたね。桜も咲いて、新年度が始まって。今日、入学式と思われる真新しい制服を着た学生たちを電車で見かけました。あぁ、春だなぁと思いました。 進学、入学、入社式。環境が大きく変わる人にとっては、新しい日々の始まりですよね。ぼくにとってこの4月は、日常を取り戻す時間になりそうです。仕事的には大きく環境が変わるわけでもない。ただ、1-3月が慌ただしく過ぎていき、自分が自分じゃないみたいな時間が多かったので、マイペースを取り戻す期間にしたいと思っています。

        • はじめてお辞儀された日のこと

          ──── 自分の子どもに、きちんとおじぎされたのはいつ以来だろうと記憶を手繰った。幼い子どもが遊びの延長でやるそれではなく、心を込めたおじぎ。 多分、上の子の二分の一成人式だったと思う。学校の小さなホールに集合して、子どもたちが練習を重ねた寸劇や合奏を聞く。最後に一人ひとりが親への手紙を読む。順番が来て、手紙を読み終えた上の子がぼくと妻に向かっておじぎをした。事前に練習したのかもしれないけど、立派なおじぎができるようになったんだねと嬉しくなった。 いまにしてみれば、友だ

        マガジン

        • ものがたりたち
          13本
        • 描いてみた
          12本

        記事

          noteを開かない日はなかった5年間

          noteを始めて丸5年。noteを開かない日はなかったと思います。 noteを開けば、誰かの日常が垣間見れて。おめでとう!とか、悔しい!とか、嬉しい!とか。ホントの名前も、顔も声も知らない人の文章や絵や写真に感情移入できる。物理的な距離は遠いのに、近くにいる感じがするんですよね。 そんなnoteなんですが、一週間ほど開かないでいようかな、と思ってます。現実世界の身近な話題に集中しなきゃいけないタイミングなんですよね…。 たった一週間で大げさな!と思う人もいると思います。

          noteを開かない日はなかった5年間

          笑えるはずの場面で泣きたくなる気持ち

          . 木曜日の夕方、夕飯時のテレビ番組でお笑い芸人が漫才をしていた。ポンポンとリズムよく繰り出されるネタに客席は大ウケで、見てると自然に笑いがこみあげてくる。何度も押し寄せる笑いの波を受けていたら、ふと泣きたくなった。そのとき、数えきれないほど繰り返し聞いた昔の曲を思い出した。 学生のときに聞いたその歌は、明るいメロディに別れの歌詞がのせられた不思議な曲で。ラジオで耳にした瞬間好きになった。 話題の映画をひとりで見る場面から曲は始まる。恋人と別れたあとに残った、二人で買っ

          笑えるはずの場面で泣きたくなる気持ち

          涙は甘いほうがいい

          もしも、涙でしか感情を表せない人がいたならば、どうすればその人の気持ちがわかるのだろう。ふと、そんなことを考えた。 ひとは表情を変えずに泣くことはできない。嬉しいときや悲しいとき、同じ涙でもほんのわずかに顔色に違いがでる。それを見て、相手の気持ちを慮ることはできる。 でも、表情を変えずに涙だけ流すひとの気持ちは想像するしかない。だって、涙は無色透明で見た目の違いはないのだもの。 涙は、感情によって味が変わという話しを聞いたことがる。悔しいときや怒ってるときの涙は塩辛くて

          涙は甘いほうがいい

          小さな過去形はちょっと切ない

          ──── うるう日だった2月29日。メジャーリーガの大谷選手の結婚報道がメディアを駆け巡った。翌朝、日本のワイドショーはお祝いムードに包まれていて、どのチャンネルも喜びの声で溢れていた。 そんな中、気になるインタビューがあった。ドジャーススタジアムの前なのだろうか。大谷選手のニュースを道行く人に教え、驚きの反応を集めたコーナー。ある地元男性がインタビューを受けていた。 60代後半から70代前半に感じる風貌。生きいきとした表情から若く見えるけど、もっと年配の方かもしれない

          小さな過去形はちょっと切ない

          川のたまりのように

          . SNSの偶然性が好きです。「しずかなインターネット」というサービスがありますよね。拡散性をなくして、もしかしたら誰かに読まれるかもしれないという偶然性に重きを置いているのが特徴です。例えるなら、静かな湖畔でひとりごとを言う感じでしょうか。 それはとても素敵なことだけど、個人的にはもう少しだけ反応が欲しい気がします。ビッグウェーブに乗りたいとは思わないけど、かすかな流れというか動きというか、静かな反応がある場所が心地よい気がします。例えるなら、川のたまり場のような場所

          川のたまりのように

          そんな刹那的でもないでしょう

          ──── タイトルだけ書いて放置された下書きがあった。「そんな刹那的でもないでしょう」、何を思って書いたのか分からないタイトル。頭に思い浮かんだ言葉をメモしただけかもしれない。ひとことでいいから本文を書いてくれてればいいのにと、そのときの自分に対して思う。単語だけでも残していれば、なにを書こうとしてたか分かるのだけど。 刹那という言葉が好きだ。漢字の見た目は少々厳ついが、仏教用語らしい宇宙的な広がりを感じる言葉だと思う。 一弾指とは、一度指をはじくほどのきわめて短い時間

          そんな刹那的でもないでしょう

          書くことが好きな自分と、書くことが好きでいたい自分

          どっちもあるんですよね、自分の中に。 文章を書くことは、まちがいなく好きなことです。じゃ、純度100%で好きだから書いているかというと、そんなことなくて。「文章を書くことが好きでいたい」気持ちもあります。 今まで書いてなかったけど、noteをきっかけに文章を書き始めたひともいますよね。ぼくもまさにそれで、この5年間でnoteに書いた量は、それ以前の総量より多いんじゃないかと思うほど。noteで毎週投稿を続けているうちに、どんどん書くことが好きになって。寝る間も惜しんで書い

          書くことが好きな自分と、書くことが好きでいたい自分

          SNSのいいところも悪いところも、優しいことも怖いことも。そんな全てが入り混じってTLになだれ込んできた週末。インターネットって自分を映す鏡みたいだなぁ、と。強くあたればそれ以上の力で跳ね返ってくる。そっと触れれば、もっとやんわり返ってくる。そんな気がするし、そうであって欲しい。

          SNSのいいところも悪いところも、優しいことも怖いことも。そんな全てが入り混じってTLになだれ込んできた週末。インターネットって自分を映す鏡みたいだなぁ、と。強くあたればそれ以上の力で跳ね返ってくる。そっと触れれば、もっとやんわり返ってくる。そんな気がするし、そうであって欲しい。

          「悲しみの果て」という伴走曲

          ギターとベースとドラムが重なる、短いイントロの直後にこの歌は始まる。 文字にすると突き放したような冷たい言葉に見えるけど、そんなことはない。この曲は、とてもあたたかい希望の歌だ。 この曲をはじめて聴いたのはいつだったのか。もう忘れてしまったけど、社会人になりたての頃だから20年以上前だと思う。 2024年元旦、震災のニュースを聞いてから、この曲を何度もなんども聴いた。 仕事に行き詰まったときや悲しいことがあったとき、気持ちがこれでもかと沈むと聴きたくなる。3分にも満た

          「悲しみの果て」という伴走曲

          カップヌードルで乾杯した朝

          ──── 今週、仕事で昼夜逆転する状況になりSNSから遠ざかっていた。というか、スマホを触る時間もないくらい。起きているあいだは常に仕事仲間と一緒。 仕事が0時をまわり、仮眠レベルの睡眠をとって早朝に再び集合なんてこともあった。そうなると、朝昼晩の3食が一緒。仕事中はもちろん休憩時間も一緒。1日の中で20時間も一緒にいるなんて家族でもそうはない。そんな状況だと、小さなボタンの掛け違いが大きな衝突に変わることも多い。 極限に近い状況では、本音のブレーキが甘くなる。いつもよ

          カップヌードルで乾杯した朝

          願いと祈り

          2023年も残りわずか。今年もいつもどおり、色んなことがあった。 毎年なにかしら大きなことがおきる。子どもの受験だったり、自分の転職だったり、ラジバンダリ。 一年をとおして何もないことなんてない。自分ひとりで生きてればまだしも、家族や友だち、同僚まで含めたら何かしらが起きるものだ。 中でも大きかったのは、母の体調の変化。数年前から入退院を繰り返しているが、今年はそのほとんどを自宅以外で過ごした。お見舞いに行くたびに、小さくみえる母の姿を見ながら、一回でいいから実家のテー

          願いと祈り