パリ五輪が僕に問いかけたもの
7月末に始まったオリンピックも残すところ数競技。閉会式まであと15時間ちょっとになりました。日本選手の活躍が目立ったパリ五輪。SNSには歓喜の声や悔しがる投稿で連日盛り上がっていましたね。それと同じくらい目立ったのが選手や審判に対するネガティブな投稿。誹謗中傷という言葉がこんなに溢れたオリンピックは記憶にありません。
ぼくもテレビの前で偏ったジャッジをする審判へぷんすかしてましたが、SNSへの書き込みは激しいものばかりで驚きました。しかも、世界中が注目しているオリンピックだから書き込みの量が半端ない。ただでさえ負の感情は相手にダメージを与えるのに、様々な言語で攻められるのは辛すぎます。
だったら公平にジャッジしろよ、という意見もあるしその通りなのだけど、人間の目だけに頼るのは限界がある。ビデオ判定をもっと積極的に活用すれば間違いは減るけど、男子サッカーのオフサイドのようにビデオ判定のせいでスポーツ本来の楽しさが損なわれることもありますしね。難しいところです。
日本人に不利な判定やルール設定を目にすると、人種に対する偏見やいじめみたいなものはスポーツに限らず色んな場面で根強く残っているのかも、と考えさせられました。イチロー選手もメジャーリーグで活躍すればするほど、きびしい批判をチーム内外で受けて苦労した、と引退後に語ってましたよね。そんな中でプレーし続ける選手の人たちには尊敬の気持ちしか湧きません。でも、そんな選手たちのたったひとつのプレーや言動を取り上げて批判する人もいるんですよね……。
一番ビックリしたのは、柔道の阿部詩選手への誹謗中傷です。敗戦後の号泣した姿へ批判が集まるとは思ってもみませんでした。あの涙は、一般人が想像もできない努力をした証だと思うんです。あの涙を見て、ぼくはいたたまれない気持ちになりました。なんというか、勝つことだけを期待してテレビを見ていた自分がちっぽけな存在に感じたんです。選手たちの画面には映らない努力やプレッシャーは、とてつもなく大きくて辛いことなんだと。そこに想いを馳せず、「がんばれー! 行けるいけるっ!」と無邪気に応援してたことが少し恥ずかしく感じたんです。だから、あの姿に批判が集まったことはとても意外でした。
柔道のあとにもオリンピックは続き、日本人が出ていない競技も含め楽しめたのですが、変なドキドキ感がありました。また偏ったジャッジがされないかと、試合に集中できないことが多々ありました。機械に判定を任せてしまうと審判の威厳がなくなる、という意見もありますが、公平なジャッジの中で戦いたいという選手の気持ちを尊重した方がいいと思うのですけどね。
剣先に付けられたセンサーで得点を判定するフェンシングは、分かりやすくて見ていて気持ちがいいものでした。選手たちが試合だけに集中できているように見えたのは、気のせいじゃないと思います。歴史的建造物のグランパレスの雰囲気も相まって、会場がスポーツマンシップで満たされた一体感が素敵でした。個人的にはパリオリンピックで一番素晴らしい競技に感じました。グランパレの中が選手を称える拍手で満たされた雰囲気はテレビ越しでも感動しました。あの空気感を次のオリンピックではもっとたくさんの競技で感じられればな、と思います。
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