サトウリョウタ@毎日更新の人

ライター兼編集者。広報/PR関連の取材執筆、メディアのディレクション、編集業務に携わっ…

サトウリョウタ@毎日更新の人

ライター兼編集者。広報/PR関連の取材執筆、メディアのディレクション、編集業務に携わっています。ベーチェット病と闘病しながら楽しく生きる方法を日々模索中。

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SNSのない世界にいた

先日、SNSを一切使わない女性と出会った。彼女いわくSNSはよくわからないものらしい。「インターネットに時間を取られるのがいや。現実世界を生きていたい」が彼女の持論だった。 アパレル業界で働く彼女は、綺麗なネイルを塗り、おしゃれな服装をしている。アパレルで働く欠点は、好きでもない服を買うことだと言って、頬を膨らませていた。先日から出張続きで、どうやら昨日地方から帰ってきたようだ。 「インスタ映えも楽しいかもしれないけれど、インスタに熱中するのではなく、いまに熱中したほうが

    • それでも希望を捨てきれない

      晴れた空の下で見た月は、ガラス瓶の中に閉じ込めておきたいと思うほどに綺麗だった。綺麗なものを見たときに、それを言葉に表す行為を最大の賛辞と呼ぶ。だが、大抵の場合、その言葉が本体の美しさを超えることはない。その状態を避けるために、脳内にある言葉を絞り出すのだけれど、またしても超えられない。やがて美しさの冒涜に発展して、己の語彙力のなさを恨んだりする。そもそも言葉とはその魅力を伝えるには不十分な要素を持つのが世の常だ。自分の目で見た感覚を言葉が凌駕することはほとんどない。 綺麗

      • 4/21〜25の日記

        4/21 久しぶりに家でのんびり過ごした。仕事に追われる毎日は嫌いではないけれど、こんな日もたまには悪くない。お昼過ぎまで寝て、猫と遊んだり、YouTubeでサッカーのハイライトを観たりした。猫の身勝手さは見ていて気持ちいい。構って欲しいときは盛大に鳴く。いかにしてこちらの目を引くかを考えた末の行動なのだろう。自分が構ってほしくないときはこちらに近づこうともしない。触ろうとしてもすぐにどこかへ逃げてしまう。それでも愛しさが溢れてしまうのは、飴と鞭の使い分けが上手いからなのかも

        • 31年間生きてきて、今が一番幸せだ

          31年間生きてきて、今が一番幸せだと感じている。自分の手元にあるものを数えるだけでもうこれ以上の幸せはないのかもしれないと思ってしまうほどにだ。 逆に人生のどん底は、大学時代だ。母が病気を患い、家族の生活費と母の治療費を稼ぐために、死に物狂いで働いていた。加えて大学の学費も払っていたため、大学生が経験するような出来事にほとんど触れられなかった。周りの友人が遊んでいたり、留学に行ったりしているのを指を咥えて見ることしかできなかったのが今でも心残りだ。 あまりにもお金がなさす

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          「誰よりも自由でいたい」と願った彼はずっと窮屈そうだった

          「誰よりも自由でいたい」と願った彼はずっと窮屈そうだった。自由を探す旅に出て、そこに求めていた自由はなかったと落胆する。その繰り返しの中を彼は生きていた。 以前、居酒屋で「どんな人になりたいか?」という話題で盛り上がった。 1人は「世界を変えたい」と言っている。「どうやってクソみたいな世界を変えるの?」と返すと「それはあれだよ」と頭の中にある考えを必死に取り出そうと躍起になっていた。言葉を濁すのはいつだって、そこに答えがない証拠である。成り行き任せで放った相槌ほど愚かなも

          「誰よりも自由でいたい」と願った彼はずっと窮屈そうだった

          かつてわたしたちは、1Rのアパートに収納されていた

          かつてわたしたちは、1Rのアパートに収納されていた。シングルベッドが生活空間の半分以上を占める空間。あまりにも狭すぎる部屋に存在していた心の狭い2人。窮屈といえば窮屈だったけど、人間が2人で住むには十分すぎる空間だった。 夜、目が覚めたときに、恋人が横にいる安心感。背中を向けて寝ている恋人を後ろから抱きしめながらまた眠りにつく。朝、目が覚めたときに、ほのかに香る焼きたてのトーストのにおい。「朝だよ、起きて。今日仕事でしょ」と、優しく声を掛けてくれるそんなあなたが好きだった。

          かつてわたしたちは、1Rのアパートに収納されていた

          雨が降った日の春の風は生ぬるい

          一度立ち止まると、なかなかその場から抜け出せなくなる。その理由は、余計な心配事をしてしまうためだ。人生は有限のため、立ち止まっている時間は短い方がいい。そのため余計なことを考えないために闇雲に走り続けてきた。 30代を迎えて、少し落ち着けると思いはしたものの、あいも変わらずに行動を続けている。幼少期の頃はずっと1人で喋っていたらしく、注意された際は「喋らないと死ぬ病気にかかっている」と言い訳をしていた。今の僕を知っている人からすれば、到底信じられない話なのかもしれない。

          雨が降った日の春の風は生ぬるい

          4/16〜20の日記

          4/16 仕事がたくさん溜まっていたため、1日の大半を家で過ごした。とりあえず各所に連絡を送り、その後は黙々と作業に取り掛かった。iPhoneにとある通知が入った。オンラインで購入した古着のTシャツが届いたようだ。1枚は星のカービィでもう一枚は鬼滅の刃である。最近はアニメTシャツ集めにハマっている。一昔前はアニメを観る人はダサいという風潮があったが、最近は何も言われなくなった。それどころか最近はアニメTシャツを着るのが流行っているらしい。きちんと時代は変化している。その事実が

          愛の形は人それぞれでいい

          この世に存在する愛の総量は、一体どれほどあるのだろうか。愛の数値化はできないし、誰かの思いやりが愛だと断定もできないため、総量を考えるのは現実的ではない。それでも愛は世界中に存在すると思っているし、人生で最も大切なのは愛だと盲目的に信じている。そもそも愛ってなんだろう。31年も生きているのに、愛の正体はいまだによくわからない。愛の定義化はできないけれど、自分が愛だと思ったのであれば、それはもう愛だと言い切っていいのかもしれない。 ディズニー作品の中に、描かれる愛の変遷に心を

          愛の形は人それぞれでいい

          自分をさらけ出すことの重要性

          些細なことで笑ってみせたり、突然悲しくなったりする。感情が揺さぶられる瞬間があまりにも多くて、たまに感情に対して厄介だと感じる場合もある。何かによって生み出される喜怒哀楽。自分の感情の変化に対して、ジェットコースターに乗っているような感覚もある。いつか乗り物酔いを起こしてしまいそうだとたくさんの人が仕事をしているカフェの中で考えていた。 自分の感情に蓋をしたいわけでもない。なるべく自分の感情を大切にしたいし、なぜその感情が芽生えたのかを知りたい気持ちもある。ときには我慢を強

          自分をさらけ出すことの重要性

          人生は生きやすくて、生きづらい

          人生は生きやすくて、生きにくい。そのときの環境や感情によって、それまでの生きやすさは簡単に生きづらさに変わる。晴れた日に早起きができたときは生きやすいと感じ、雨の日に寝坊したときは生きづらいと感じてしまう。 どれだけ自分勝手なのだろうかと思いながらも、誰もが生きづらさと戦っているため、自分だけではないと思いたい自分がいる。人間は傲慢な生き物だ。勝手に自然を増やしたり、減らしたりするし、生き物の数も減らしたり、増やしたりする。それなのに人間を減らそうと考える人はほとんどいない

          人生は生きやすくて、生きづらい

          自分を救ってくれた文章に恩返しがしたい

          元気が出ないときにそっと抱きしめてくれるような温かい文章が書きたい。そんなことを考えながら毎日文章を書いている。自身の思いがどれほど実現できているのかはわからない。もしかしたらちっとも実現できていない可能性もある。 ちなみに自身が文章を書くようになったのは学生時代のきっかけだ。当時は自分の人生に絶望していた。周りの友人が馬鹿騒ぎをしているのを見てもどこか冷めた目で見ていたし、本気でこんなクソな世界は滅んで仕舞えばいいと考えていた。思春期は誰かに悩みを打ち明けるのが恥ずかしか

          自分を救ってくれた文章に恩返しがしたい

          4/11〜15の日記

          4/11 先日御殿場に行ったときの余韻がまだ抜けない。家に帰ってきたその日から毎日撮った写真を見返している。妻と同棲を始め1年以上の月日が経った。自分1人の生活ではなくなり、最初は価値観のすり合わせに難航したのだけれど、数々の話し合いを経て、居心地の良い関係を取り戻した。学生時代に普通の家族がするような旅行や行事をほとんど経験してこなかった。将来家族ができたときに学生時代にできなかったことを全部やりたいと思っていて、それが今少しずつ現実になってきている。今回の御殿場もその一環

          ルーティンのように流れる日曜日

          お昼前に起きて朝食兼昼食を食べる。トースターで食パンを焼く。ジャムを冷蔵庫から取り出す。食パンに塗る小さなパテのようなものの名前が「スプレッド」と知ったのはつい最近だ。和訳すると広げる。食器の用途そのままじゃないかと思ってなんだか笑えた。ジャムの容器の蓋を開ける。あと少しで容器の中のジャムがなくなりそうだ。容器の淵にジャムを集めて掬い取ろうとしたが、何度も失敗した。こんなこともうまくできないのかと狼狽えた。 Netflixで『怪獣8号』が配信されていたので、それを観ながらジ

          ルーティンのように流れる日曜日

          人生はしりとりのように続いていく

          人生はしりとりのようなものである。だが、人生の終わりの言葉は「し」なのに、しりとりは「し」で終わることがない。同じ語尾で終わりなら、スッキリするのだけれど、なんだか歯切れが悪いような気がする。でも、死んだら何も残らないため、そんな些細なことはどうでも良いのかもしれないとも思った。 多くの場合、しりとりは「りんご」で始まる。そこから「ゴリラ」「ラッパ」と続き、語尾が「ん」にならないようにやりとりを重ねていく。しりとりを終わらせるために「ん」がつく言葉を使う人もいるが、しりとり

          人生はしりとりのように続いていく

          4/5〜10の日記

          4/5 朝から晩までずっと仕事をしていた。MTGを2本終わった後は自分の仕事を終わらせるためにカフェに籠った。東京は大阪よりもカフェで仕事をしている人が多いような気がする。仕事のために上京する人が多いためだろうか。別に地元が悪いというわけではない。地元を盛り上げるために必死に仕事を頑張っている人もいるし、その人たちのおかげで帰省の際に楽しく過ごせる。カフェでオンラインMTGをされるのは迷惑だけれど、頑張っている人がいる事実に力が湧いてくる。ほとんどの人間は環境には勝てずにそれ