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書くことで浮かび上がるもの

なぜ書くのか。その問いの答えは、書くことで自己肯定感を保つためだ。心が沈んでしまったとき、文章はまるで浮き輪のように心を支えてくれる。深い海の底に沈んでいく心を引き上げ、呼吸を取り戻させるのだ。

書くことは、己の内面と対話する行為だ。今感じていることを言葉にし、書き上げたものを俯瞰的に眺める。それによって、今の精神状態を知ることができる。どん底まで落ちた後は、浮上するしか残された道はない。下しか見えていない時期があってもいい。その経験が、いつの日か大いなる恩恵を自らに与えるだろう。

書くことは、心の処方箋だ。これまで何度も文章に助けられてきた。学生時代、家庭の事情で数日間ご飯が食べられなかったことがある。この世界はクソで、救いようがない。このまま生きていても希望が見えないのであれば、今すぐにでも死んでしまいたいという希死念慮に襲われながら学生時代を過ごしてきた。そんなときに処方箋の役割を果たしていたのが、誰かが書いた文章だった。吉本ばななさん、江國香織さんなど、多くの作家の小説に救われた。

小説に出てくる人たちは、それぞれ何かを抱えている。そして、誰もが壁にぶつかりながら前に進むためにもがき続けている。自分と同じ悩みを抱えている人もいて、それとどう対峙すれば良いのかを何度も教えてもらった。

人生に悩みは尽きないけれど、仲間がいると知った瞬間、沈んでいた心に浮き輪がついたような気がする。文章によって何度も救われてきた。この世に文章がなければ、今の自分はいない。誰かが書いてきた文章によって生かされてきたのだ。だったら、自分で文章を書けば、心の回復にかかる時間を短縮できるのではないかという仮説のもと、文章を書くようになった。結果は大成功。書けば書くほどに、心の奥底に潜れば潜るほどに、今の精神状態を俯瞰的に理解できるようになった。なぜ心が崩れているのか、何によって喜びを得るのか。行き場のない悲しみ、書き残しておきたい喜び、不甲斐なさを感じて生まれた悔しさなどを言葉にしてきた。

ベーチェット病を発症したとき、自分の思いを文章として書き残した。すると、たくさんの人から励ましの言葉をいただいた。生活の支援をしてくださった人もいた。さまざまなメディアに取り上げてもらい、テレビ出演も果たした。これらはすべて文章を書いたから起きた出来事だ。文章がなければ、きっと誰も自身の苦しみを知らなかっただろう。そして、ベーチェット病という難病を世の中に知ってもらうきっかけにもなった。同じ病気を抱えている人から相談が来るようになった。前を向いて生きようとする人がたくさんいると知って救われたと同時に、生きる力を養ってきた。

noteの毎日更新は、自身の心に大いなる影響を与えている。ときに情けないほどダサい文章もあるが、それは自分の一部だ。認めるのは怖いけれど、認めなければ前に進めない。これから先も浮き輪の役割を果たす文章と共に生きていく。自分の中に生まれた喜怒哀楽をすべて文章として残す。それが生きやすさに繋がると信じて、僕は文章を書いていく。

書くことで浮かび上がるもの、それは自分自身の姿であり、未来への希望である。書くことを通じて、僕は自分を見つめ直し、再び前へと進む力を得るのだ。

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