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孤独をうまく飼い慣らす

ずっと孤独を怖いものだと思っていた。目を覚まして窓を開けると、昨日の和やかな空が嘘かのように雨が降っている。空もどんよりとしていて、空気が重い。誰かに助けを求めたいと思えるほどの苦しみが体の内側へと雪崩れ込んでくるのが手に取るようにわかった。憂鬱だと思った。鬱陶しいと思った。昨日の晴れ模様を見て、やっと春が来たと思ったのに、また冬への逆戻りだ。こんなはずじゃないという言葉が頭の中にすぐさま思い浮かぶ。

雨は、地球を潤すものだ。その存在なしに人間は生きることすらできない。それならばいっそ雨を楽しんだ方が生きやすくなる。そう考え方を変えた瞬間に、なぜか孤独を感じた。部屋の中に人がいるのに、誰もいない世界にただ1人ポツンと置き去りにされたような感覚になった。どうすればこの孤独から逃れられるのだろうか。人間は生まれてから死ぬまでずっと孤独だと誰かが言っていた。目を背けたくなるような事実を目の前にしても、ずっと雨は降り続けていた。

他人の評価に怯え、自分の意見すら主張できない。いつの間にか意見のない人というレッテルを貼られるようになった。だが、その元凶を作ったのは、紛れもなく自分自身だった。誰かが悪いわけではない。自らの行動の責任の所在は自分にある。責めてもいい人が自分以外に存在しないという事実が胸の奥をギュッと締め付けた。孤独とは苦しいものだ。そこから逃れるために、誰かに縋り、孤独の本当の意味に気づこうとすらしない。その繰り返しを人は弱さと呼ぶ。

そもそも孤独とは、ひとりぼっちの世界では生まれなかった概念だ。誰かと繋がるからこそ、孤独が生まれる。だが、瞬間的な孤独を味わう瞬間は必ずやってくる。何かを決断する瞬間は皆孤独だ。それ以外は誰かとの繋がりを感じながら生きている。どれだけ孤独を望もうとも、勝手に誰かが自分の手を引いてしまう。これまでに、真の意味での孤独になった人を見たことがない。

孤独をうまく飼い慣らす。それは人生をうまく進めるための必要条件だ。窓の奥から見える雨を見ながら、孤独とうまく付き合う方法を考えていた。そして、突然部屋の中から自分を呼ぶ声がした。絶望と隣り合わせだったこの部屋に一筋の光が差す。呼ばれた声を辿って別の部屋へ足を運ぶ。その正体に気づいた瞬間に、先ほどまで感じていた孤独が溶けた。ただ名前を呼ばれただけなのに、誰かがいるという事実が孤独を掻き消した。生まれも価値観もまるで違う。考えていることも意味も全くわからない。無言で意思疎通ができるはずもなく、言葉という叡智を活用して、僕たちは繋がりを生み出す。その連鎖が積もり積もって、孤独という感覚をみるみる奪ってしまうのだ。

自分は1人ではないと知ったときに、初めて孤独が恐怖の対象ではなくなった。それは本当の意味で孤独になることはないと知ったためだ。ずっと誰かと一緒にいると息苦しさを感じてしまう。人疲れというやつだ。その疲れを癒すために孤独は存在する。ある程度回復した段階でまた繋がりのある場所に戻ればいい。人間は最初から最後まで孤独なのかもしれない。だが、人は決して1人では生きられないものだ。困ったときはいつだって誰かが助けてくれた。その繰り返しを生きるうちに、真の孤独は存在しないのかもしれないと思うようになった。窓を開けると、雨粒が地面の上に弾け飛んで消えるのが見えた。

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