#毎日note
履歴は問いません、今のあなたがみたいんですと言ってくれた人。
こういう返事が返ってくるだろうなって
どこかで人は想像しながら話しかける
ことってあるけれど。
想いもよらない返事を頂いて、そのことが
忘れられないことってある。
わたしは、むかし1冊だけ短歌集の本を
出版したことがあった。
その時、とある方からお声をかけて頂いて、
ぼくたちのサイトで、もしよろしければ
書いてみませんか? と、お誘いを受けた。
今お誘いを受けたと、しれっと落ち
傷つくだけで強くなれなかった。そんなわたしの声になってくれたひと。
心が弱っていて、しゃがみこみたくなるほど瞬間的におちこんでいた時。
ある人が教えてくれた。
何かに悩んでいて袋小路に入り込んでいる時は、
じぶんのことばっかりを考えているからだよって。
そう言われて、すこし恥ずかしくなっていたら。
俺もいつもそうだからって。
ほんとうにそうだった。じぶんのことばかりしか考えていなかった。
昨日もちょっとそんな感じだったんだけど。
人と比べていたんだ
【#創作大賞感想】「ナースの卯月に視えるもの」で蘇る感情の波が前向きな私を作る
長くなりますが「ナースの卯月に視えるもの」の感想に入る前に私の母についてお話をさせてください。
私の母は呑気で怖がりで自分ひとりではどこにも行けないほど方向音痴でした。家の近所でさえ道に迷うので妹と大笑いしてからかいました。母は「馬鹿にして!」と怒るのですが仕方ありません。だって、信じられない迷い方をするのですから。
激しい方向音痴のせいでしょうか、姉妹でからかいすぎたせいでしょうか。いくつも
メメント・モリ。死じゃなくてあなたを想うそんな日々だった。
あの大震災からもう10年経ったんだと思いながら、
10年前のじぶんの日記をみていた。
あの頃、ツイッターを始めた知り合いの人が
何人もいたけれど。
わたしはなかなか手が出せなくて。
なにかを言ったり書いたりすることがすごく
こわくなっていた頃だった。
いつかやるよって友人には言いながら
やらないまま日々は過ぎ。
あの頃からなんとなくだけど、SNSやっていないと、
世の中に存在し
ハルヲさんのロールキャベツって、手紙みたいだった。
昔、わたしがまだ小学生くらいだった頃、母の暮らす家には母の弟の叔父さんハルヲさんが住んでいた。
ハルヲさんはわたしにとって、お父さんでもない。
なにか友達のような存在だった。
だから、ハルヲさんのことをおじさんではなく、ハルヲちゃんって呼んでいた。
仕事はデザイナーをしていた。
ハルヲさんの事務所に行くと、いろいろな面白い形のオレンジ色の雲形定規や、色とりどりの鉛筆削り。
切り張りする
インタビューを受けて、過去に許された気がした。
つらい時、早く時が過ぎ去ればいいのにって想う。
今は昔よりも早く時が矢のように過ぎてゆく
けれど。
それでもつらい時は、その矢の形がどんな形か
みえるような、時間の流れ方をする時がある。
先月、以前お世話になったコラムニストの
上原隆さんから新刊のお知らせを頂いた。
10年ほどまえ、はじめて上原隆さんにお目に
かかった。
あの頃、わたしはひどい鬱を患っていて。
過去がどれもこれもぜんぶ
たったひとりに贈られる言葉たち。
不思議なもので、言葉に落ち込んだ時は
また、言葉を探しにいってしまいたく
なる。
時々、言葉は道具だからと半分うそぶいて
しまいたくなるけれど。
言葉は日常のコミュニケーションのためにも
あるし。
作家のような「世界」を際立たせるために
格闘している人のことばもあると思う。
言葉って、単なる道具じゃないやり方として
贈り物って考えも一方である。
言葉をかけられて、すごくやる気がでたり
うれ
父が描いた絵に、さよならの時の父の背中を思い出していた。
父親が定年してから、はじめたのは絵画だった。
昔から、絵を描いて暮らしてゆくのが、
夢だったらしく。
画家を目指したこともあったらしいけど。
暮らしていけないからと、医療従事者の
職業を選んだ。
今も週に何度かは勤務していて、
ずっと働いていた事業所の定年間際から
教室に通っていると、聞いていた。
絵画の先生が、寡黙だけど、なかなかええんや。
って言って。
じぶんでちゃんと描