ゼロの紙/絵本『どこかでだれかが』発売中

ダ・ヴィンチ誌でエッセイ連載後、歌集刊行。note公式コンテスト#推したい会社 創作大…

ゼロの紙/絵本『どこかでだれかが』発売中

ダ・ヴィンチ誌でエッセイ連載後、歌集刊行。note公式コンテスト#推したい会社 創作大賞ベストレビュアー賞受賞。 絵本『どこかでだれかが』を発売中。 ショップはイシノアサミさんのショップ、「きりんの背中」です。⇨https://asami29.base.shop/

マガジン

  • 『エッセイのまち』の仲間で作る共同運営マガジン

    • 3,998本

    メンバーシップ『エッセイのまち』の仲間が見つけたステキなエッセイを保存しています。メンバーの方は、他の方、もしくはご自身のエッセイを自由に追加してください。(エッセイ以外は掲示板の方にお願いします)。どなたがマガジンに追加してくださったのか気になる方は、ともきちまでお問い合わせください。

  • 【良い小説良い哲学】~「良い小説」と「いい話」を峻別しよう党

    • 997本

    いい話が世の中溢れています。それはとても良いことだと思います。でもいい話と良い小説は違うのです。いい話は勧善懲悪の水戸黄門です。小説とは美を表現するもの。きれいな小説でもない。じゃあなんだ。それを追求するマガジンです。

  • ちいさな言葉の欠片たち(エッセイ)

    あの日のあの言葉って、納得いかないんだけどとか。誰かが言ったちょっといいなって言葉を紹介しながら、まるで日常なエッセイや日記書いています。

  • 💐紹介して頂いたすてきなnoteたち💐

  • 【WACK】ノートガルドの街【コラボ、PR、学びの場所】

    • 350本

    街の説明はこちら。 https://note.com/wady0416/n/n82a39e37c248#HNGFa この街では、アカウントという船の大きさは関係ありません。全員船を降りてます。 誰もが気になる人に気兼ねなく話しかけ、気軽にコラボできる場所。 あなたもWACKの世界に遊びに来てください。 この町では、あなたが主人公。 あなたの色と、誰かの色を混ぜて、今まで見たことのない色を作りましょう。

最近の記事

  • 固定された記事

noteで出会ったイシノアサミさんとコラボした紙の絵本、『どこかでだれかが』11月11日午前9時から販売することになりました!

ぼんやりとした夢、「絵本をつくりたいな」 っていう思いは、ずっと昔から持っていて。 それでも、その夢の種をそのまま土の中に 埋めたまま水をやることさえも忘れていた。 3年前にnoteにやってきたその時も、どこか 置き去りにしていたその夢を、思い出しては ちょろちょろとお水をやりながら。 それでもなかなかその夢は遠く。 そんなふうに思っていたら、noterさんのおひとりが イラストレーターのイシノアサミさんとわたしを 引き合わせてくれるというご縁を頂き。 「絵本」を創

    • はじめてで、最後の妹。

      4月19日。 まるで夏の訪れを感じるような春の日。 5カ月の入院生活を無事に終えて、 母が帰ってきた。 退院の時は、リハビリテーションのみなさんが 退院おめでとうの声を集まってかけてくれた。 母は平然としていたけど、わたしの方がうるっと きてしまった。 あの病院の主治医をはじ療法士さん、看護士さん スタッフの方々、すべてが恵まれ過ぎていた。 わたしが同じ病を得たら、お世話になりたいと決めて いるぐらい。 そんな母はいますべての今日の出来事を終えて 夏の全国高校野球

      • noteがなければ、家族と出会い直せなかったかもしれない。

        今日noteがはじまって10周年だと知った。 10年前にはnoteを知らなかった。 SNSにはなにひとつ手をださないで 過ごしていた。 スマホさえ持っていなかった頃だ。 もう誰かと関わるのも嫌だったし。 なにか無性に傷つきたくなくて、なにも やらないでただホームページに頼まれた 文章だけを書いていた。 ここに来たのはあの感染症のせいだけど。 それでも2020年に来て今2024年までこの 飽き性のわたしがいるなんてちょっと びっくりしている。 わたしの個人的な問題の

        • 藤井風「満ちてゆく」に満たされて。

          リリースされてしばらく経っているので 後だしジャンケンなところは否めない。 藤井風の「満ちてゆく」の動画を見ながら いつも号泣してしまう。 noteは遺書だからって前から言っている そのあたりも映像と重なってわたしに とってドンピシャだった。 人が生きて悩んで生きて失ってまた ふたたび老いてゆく自分を生きて、 すべてを差し出しながら死んでゆく という世界観にわたしはとても共鳴 していた。 音楽的の技術などについてどう感じたかは 専門外なので書けないのでこの歌詞にこの映

        • 固定された記事

        noteで出会ったイシノアサミさんとコラボした紙の絵本、『どこかでだれかが』11月11日午前9時から販売することになりました!

        マガジン

        • 『エッセイのまち』の仲間で作る共同運営マガジン
          3,998本
        • 【良い小説良い哲学】~「良い小説」と「いい話」を峻別しよう党
          997本
        • ちいさな言葉の欠片たち(エッセイ)
          798本
        • 💐紹介して頂いたすてきなnoteたち💐
          691本
        • 【WACK】ノートガルドの街【コラボ、PR、学びの場所】
          350本
        • note注目の記事、公式マガジン、公式記事掲載されました。
          51本

        記事

          かなしみに溺れそうな夜に。

          母が病に倒れてからなにを感じたかというと たぶん、知っていたことだけどわたしももう そんなに若くないってことだった。 悲観とかじゃなくて。 あたりまえのことだし。 時間は人々に平等に刻まれているから 知っていたけれど。 その時思ったのは、どれぐらいの時間が わたしにも残されているのかわからない けれど。 うまくいえないけど。 ちょっとうまく言おうとするとしたら。 わたしのまわりをちゃんと支えてくれる 人たちものたち、場所たちのことに ちゃんと心を尽くしていきたいと思

          その日の気持ちも映りこんでいる、スマホの写真たち。

          SNSではプライベートで、ご飯を撮って 投稿するということが今は当たり前だけれど。 2022年からTwitterを始めた頃はちょっと 慣れていなかった。 昔はまわりの若い子たちはいち早くみんな、 Twitterやインスタをやっていたので。 お昼に一緒に行くと、今まで喋っていたのに。 お料理が届いたらぷつんと静かになる。 被写体を美しく撮ろうと彼女たちの 眼差しは必死だった。 食べる前に写真を撮ってそれをポスト するって不思議な行為だなってSNSやらない わたしはず

          その日の気持ちも映りこんでいる、スマホの写真たち。

          まちがいを愛してる人生。#吞みながら書きました。

          マリナ油森さんの企画が大好きで。 #吞みながら書きました このお知らせnoteがマリナさんから 発信されるたびにわたしには 吞み書きがあったじゃないかという どこか安堵感に満たされるわけです。 なんせ誤字もオッケーってところも気に入ってる わけで、 この解放感は日頃のnoteになkて. なくて。 人間まちがわない人よりも、まちがいだらけの 人のほうが愛せる。 愛したい。 愛して。 わたしも生まれてきたのがまちがいやったんや ないかっていうこと何度もありました

          まちがいを愛してる人生。#吞みながら書きました。

          家族って減点ゲームじゃなかったんだと、知った。

          熱い心はもうどこかに置いて きたのかもしれない。 昔もっていたかもしれない野心とか 負けん気とか。 熱すぎたり、自己顕示欲が過ぎたりして 自分のバランスを崩しがちだった あの頃からしたら今はとても 静かな心なのかもしれない。 母が倒れてから、日常がすこしずつ変わって いった。 ふたり暮らしが独り暮らしになった。 ごみの量が減った。 電気代も半分になった。 新聞を読むのがわたしだけになった。 咳をしてもひとりになった。 プチ断捨離をしていたら不燃ごみが ふえていった。

          家族って減点ゲームじゃなかったんだと、知った。

          ずっと続いてほしかったエンドロール。

          わたしの好きなドラマ、「カルテット」。 夢がかないそうで叶わない。 いつまでこんなことやってるんだっていう 想いにも駆られながらも、夢にピリオドを 打つことを止めにした彼らが好きだった。 一緒に下る坂を下ろうぜみたいな。 四重奏楽団カルテットを組んだ男女4人の 物語。 脚本の坂元裕二さん好きな人には馴染み すぎているぐらいの 台詞だけど。 泣きながらご飯食べたことがある人は、生きていけます。 っていうのがある。 主人公のマキさん(松たか子)が、いろいろありすぎた

          ずっと続いてほしかったエンドロール。

          気がつくと、記憶も一緒に包んでいた。

          餃子のことほんとうはちょっとうっかり 忘れていた。 存在があたりまえすぎて、わたしの視界から しばらく消えていたけれど。 昔餃子、食いに行きませんか?って誘われて 仕事帰りに行った餃子しか置いていない大阪の 繁華街の東商店街のお店はバリ美味かったの だけど。 でもその美味しさはちょっとよそんちの美味しさで。 外で食べる餃子と家で食べる餃子は似て非なる ものだと思ったりした。 そして餃子と縁があるのか否か。 この数か月、餃子はわたしのなかで ありありと輪郭線をもちは

          気がつくと、記憶も一緒に包んでいた。

          雨の日の図書館とことばたち。

          若い頃は本が嫌いだった。 唯一読めるのは谷崎潤一郎の『痴人の愛』 だけだった。 それが中学生のはじめの頃。 きっかけは、この原作をわたしが通っていた 卒業生の方が女優になられて演じたことが きっかけだった。 本を後に回して、キネマ旬報のシナリオから 読んだら、はまった。 字だけなのに映像がもう動いている世界って おもろいなって思って、夢中になって 学校から帰ると部屋にこもって読んでいた。 それから原作の『痴人の愛』をこっそり買った。 わたしは家族の中で誰よりも本

          アカウントひとつ消したら「じぶん」が戻ってきた。

          アカウントというものをはじめて持った時の ふしぎな感覚をまだ覚えていたりする。 本名を消したくて、アカウントを作ったので どっちかというと、もうひとりの自分みたいで 心地よかった。 ちょっとした逃げ場所みたいに考えていた。 でも時間が経つと、逃げ場所でSNSをやっている とそこは日常のいつもの場所になってゆく。 そしてキャラもTwitterならTwitterのなかの わたしであり。 noteで言えばnoteのなかのわたしになってゆく。 それはそれで楽しかった。

          アカウントひとつ消したら「じぶん」が戻ってきた。

          3万円で静けさを買った。

          夜、さまざまなスイッチを 消してしまうと、 静けさが訪れるはずだった。 独り暮らしを始めてもうあっという間に 3か月が経とうとしている。 寂しいのかなって思ったけど。 案外それは訪れなかった。 夜になると、片づけをしたくなったり 読書をしたくなったり、見逃したドラマを みたくなったりする。 誰かにメールを書いている時も、キーボードを押してる音ともうひとつ聞こえるのはシンクの蛇口の音だった。 水漏れしていた。 よく昭和の映画とかのシーンでちょっと 寂れた部屋とか、

          SNS、秒の言葉、秒の気持ち。

          スマホって手のひらから生えてるんですか? 時折そう言いたいじぶんがいた。 朝もスマホのアラームで目覚め。 Twitterをお布団の中でチェックして 返事を出して、時には温い電気ブランケットの なかで一仕事してしまう。 言葉がスマホを通してなら言える。 元Twitterなら言える、Xなら言える。 みたいな世界からいったん 抜け出したかった。 きっかけはこちらの記事だった⇩ そうか、こうすればいいのか。 スマホからTwitterのアプリを外せば いいのか、簡単じゃない

          家族の言葉。

          今日もわたしたちのまわりには ひどい言葉も、やさしくみえる言葉も ぶっきらぼうだけど、沁みる言葉もあって。 それでも言葉のまわりで悲しいことは起こり 続けている。 そこに触れた途端に心に火がついたり。 その火が消えないまま、くすぶり続けている 熾火みたいな言葉があるんだと思う。 だれにも。 わたしは、誰かが言った言葉をどこかで それは心なのか頭なのかわからないけど。 もう一度咀嚼してからじゃないと、書いたり 言ったりわりとできないので。 コスパは悪い。 その言葉

          咳をしてもひとりを想う夜。

          少し前、ひとりで風邪をひいていた。 咳をしてもひとりっていう句を若い頃 聞いた時は、だから? って思っていたけれど。 ひとりで暮らす時はSpotifyとか テレビとかスマホからでる音以外は わたし発の物音だったりする。 廊下を歩く音、掃除機のトリガーを つい触れてしまってびゅーんみたいな 音を夜中にだしてしまったり。 お茶碗を洗う音、キーボードをカチカチ やってる音。 スイッチをぱっちんって消す音。 咳をしてもそうだし。 歩いてもそうだし、鼻歌だって それ歌?とか