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メメント・モリ。死じゃなくてあなたを想うそんな日々だった。

あの大震災からもう10年経ったんだと思いながら、

10年前のじぶんの日記をみていた。

あの頃、ツイッターを始めた知り合いの人が

何人もいたけれど。

わたしはなかなか手が出せなくて。

なにかを言ったり書いたりすることがすごく

こわくなっていた頃だった。

いつかやるよって友人には言いながら

やらないまま日々は過ぎ。

あの頃からなんとなくだけど、SNSやっていないと、

世の中に存在していない人のように思われている

ようで。

なにも言わないことを責められている感じがして

ちょっとつらかった。

あの地震の後も著名な詩人の方がツイッターで

詩を発信していて、それが色々なひとたちの

心を突き動かしていたことも知っていたけれど。

起きたことの重大さにじぶんの心がついて

いけなくて。

言葉を綴ることもままならなくて。

でもようやく腰をあげていつだったか無題の詩を

日記には書いていたみたいだった。

もうそれが誰のものでもなくなって、誰でもない
地球そのものから借りていたものだと知って
ぼんやりする。

大地に還るっていうけれどはじめからそれは
大地のものだったから生まれ落ちたその場所に
もどるだけのことかもしれない
昨日のわだちがそっと夜の帳に塗りこめられて、
タイヤの痕がもうどこにもみつからない。
夜の道いつか来た道ってことばが浮かんで
それは夜の風にくるまれてゆく
しめった風の中に汐のにおい

あなたの声が、まだそのあたりにあるような
気がしてゆびが宙を泳ぐ。
宙にあるはずの夜をつかむ。
そして地面のあの轍があったはずのその
幻の痕に視線を落とす、雪。
昨日の雪をみながら雑踏を歩く。
故郷についての想いをまるで気づかれない
恋情のように語ったあとでそのことが
わからなくてもじぶんを責めなくていいよって
あなたは言った。
それはそれでしかたないことだから
寂しい顔では決してなくてテーブルに
置き去られた誰かのジッポをほら忘れものですよと
ウエイトレスに渡すぐらいのあたりまえさで
それを語った。
故郷がわからないから愛し方がわからない
置き去りにされたのは完全にわたしだ。
故郷に捨てられた感覚に似ているというけれど
捨てる故郷さえもたないひとはそんなときの
相槌の打ち方さえわからない。
最後に故郷に会いに行ってくるっていった
クラクションの音が半音ずれた音で聞こえた。
あの残響だけが私の耳にかすかに残っている。
うぶすな。
産出。
それは地図のなかのどこかではなくて
わたしのうぶすなはあなただったかもしれないって
おもうことがよくある。
それはたいていあなたのいない時間を泳いでいる
時が多いのだけれど。

遠くて近い近くて遠い
きっとわたしはあなたから生まれたような
気がして。


わたしはあの地震から4年経って、大好きだった

人を失くした。

失くしてから人づてで、彼が被災地に出向き

自分が仕事でお世話になった方が飲食店を

再開するための業者さん探しが難しいことを

知ると門外漢だった彼が買って出てその

飲食店の方の助けになったことを知った。

その話を聞きながら、彼の底抜けのやさしさは

亡くなってからも聞こえてくるものなのだと

知って、あなたらしいと思った。

でもそのあなたはもういない。

悲しみが、わたしの背の丈以上のものに思えて

途方に暮れていた。

あなたが亡くなった次の年のある日の朝。

車窓から富士山を見ていた。

朝の光がすこしまぶしい窓のむこうに、雪を

かぶった富士山が見えた。

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関東圏に住んでいる人にとって、それがとくべつ

ではないことを、知っているけれど

でもその日は、何かがちがうような気がしていた。

うまくいえないけれど、その時わたしはその

富士山をひとりで見ているような気がしなくて。

それも誰かの視線も共に注ぎながら見ている

感じがぬぐえなかった。

日常は送りつつひとりになると、人が死ぬとは

どういうことなのかを知りたくてあらゆる本を、

なにか答えを探すかのように読み耽っていた。
 
そして一冊の本の存在を知った。

東日本大震災で経験した体験談に基づいた

<震災学>についての書評だった。

<「死者を忘れない」ことではなく、やがて
「死者と共に生きること」を目指すようになった>。

という言葉にわたしは馴染みたくなっていた。

あの日、富士山をみていたときわたしだけの

視線ではなくて、それはかつて生きていたあなたの

視線も重なり合うようにみていたような気がして

ならない。

誰にも言えなかったことだったけれど。

人はたとえ死んでしまっても誰かが記憶している

限り、どこか人のこころのなかに棲みつづけるもの

なのかもしれないと思いつつ。

街を足早に歩く誰もが、一度はそういう体験を

されていることを想うと、余白がこころに宿る。

東日本大震災で身近な人を亡くしたわけじゃ

なかったけれど。

わたしは大好きな人を失ってはじめて、

亡くなった人たちは生きている私たちに

かけがえのないことを教えてくれる存在である

ことを知ったような気がする。

ぬぐっても ぬぐいきれない しずくのかたち
ひしめきの 雑踏のなか ふいにつつまれて 

いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊