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#フィクションとノンフィクションの間
語るを騙る大人を知った経験を真面目に語ったが、自分が騙ってないだろうかと不安になる
会社を辞めようとしていた後輩と一年ぶりに遠い現場に行くことになった。前回の経験から私は、運転席にあらかじめ座っている。
彼は、私が運転席に座っていることに違和感を感じることなく自然に助手席に座ってきた。余りにも自然な助手席の座り方に一年の経験値を感じた。そして、それと同時に私が彼を乗せて運転した一年間の総距離を知りたくなっていた。
「コニシさん。どうぞ」
彼は、温かいブラックの缶コーヒーを私
夏の3ヶ月は自分だけしか見れなかった。それはまた躍年には必要なことだった。
今年も残り3ヶ月。7月、8月、9月の3ヶ月を振り返る。そもそも、今年は41歳の躍年だ。
厄年について書いてある自伝をこれまでに読んだことのなかった私は、今年はじめに厄年改め、躍年を楽しんでいることをこれから躍年を迎える人達に、魅力的すぎる中年男性としての物語を書き、後世に伝えなければならない責任があると感じていた。
そして私は、この一年の成長と反省を記録している。これは綴らなければならない。い
娘に本を好きになってもらうには、10年に及ぶ私の慎重な計画が必要だった。
悩みながら、スクワットをしていた。
「キモ」
部屋の片隅から、人生で面と向かって言われたことを探し出す方が難しい言葉を投げられた。当然、私に言われた言葉とは気付かないので私はスクワットを続けた。
「キモ、なにしてんの。やめてよ。ウザい」
そんな辛辣な言葉を直接人に伝える人と今まで出会ったことがなかったので、私は私の筋トレがキモくて、ウザいのかと頭の中で一応確認してから言葉が聞こえた方をスク
上半期を終えた躍年は、下半期にさらに躍年を味わえる助走になったのか
3ヵ月ごとに今年を振り返る。それは、選ばれた者にしか訪れない。今年は厄年ならぬ躍年の貴重な一年だからだ。目一杯味わいたい。気付けば半年経過した。今年も色々あったと思うようにしている。何もないなんて、面白くないことは言わないことにしている。
悪くないね。
私は、ここのところハリー・ポッターのせいで連日魔法の世界へ通っている。それはどうしようもないことだ。つい手を伸ばして振り返ってしまったがために
2023年の3ヵ月は、躍年への助走だと思うべきこと。
厄年を躍年へと御守りをくれた人がいた。
今年も3ヶ月を過ぎて、少し書くことやSNSについて思慮した。人が聞けば思慮などと使うなと言われそうだが、きちんと巡らした。
前年に、思いの丈を詰めた出来事はしっかりと消化出来たように思う。この数ヶ月は、変化を望む自分もいるが、変化を恐れる自分も存在した。何かを起こした後にバランスを取るように、人の前から引っ込みたくなっていた。
年が明け誕生日を迎えた私は
かなりタイプの女性と老人にハルメイタ日は。
少し肌寒く、桜が咲き誇るのを我慢していた日のはなし。
満開を感じる前に行くべきと考えた。いや、会いに行くべきと考え直した方が正しいのかも知れない。
私は、少し遠回りをして春を感じたかった。
かなりタイプの女性がいるお気に入りのコンビニは、海に面しているこの街では、その象徴を海に全てを奪われてしまい、存在を忘れられそうな山側の場所にあった。私は、時間をかけてその忘れられそうなコンビニへ向かい珈
単純で複雑な僕は、その便りで春を乗り越える
「一週間で4人も日本一周している若者に出会ったわ。その姿が私の中にいるあなた達を思い出させたの」
何の前触れもなく、写真と一緒に届いたその便りは忙しい事を言い訳に、再び心を閉じようとしている僕への手紙に感じた。
「一週間に4人も出会う人なんて、君だけだと思う。それがまた彼等にとって良い出会いであることを願うよ」
僕は、精一杯の冗談と一緒に、本当に良い出会いであったらいいなと願った。
彼女が
その一言は、物語を生む。
目を引く言葉だった。
どうやらそれは、WBCの日本対中国戦後の中国代表ディーン・トレーナー監督の言葉みたいだった。
中国代表ディーン・トレーナー監督が綴った言葉はどこか物語みたいに私に、印象的な側面を持たせた。
「Shohei今日出るの?」
我が家の、8歳の坊主が私に聞いてきた。それは、翔平ではなく、Shoheiだった。
子供には、特に野球について話した事はない。
いつの間にか野球の存
探偵は、語る。その軀から語る新たなる高みを。
先日、盛大に反省した私は、次なる高みへ向かうべく歩を進めた。
私の心の高みとは一段一段が、その素人目にはとても理解し難い作りになっている。心のバリアフリー化が先進的に進んでいるのである。
ソコに段差という障害が真に存在するのかを確認する方法として確実なのは、足を滑らせて引っ掛かりがあるか、その感触のみで感じるという方法が有効とされている。
一言で言うなれば、自分に優しく出来ている。また、直ぐ
「書く」ということ。
「書く」ということについて。
好きだから書くという選択をしたはずなのに、それを利用して書かなくてもいい事を書いてしまった。
自分の一方的な負の感情を押し付けてしまった。その攻撃性を理解していた上で、書いてしまっているので尚更たちが悪い。
誰かに何かを思わせるのは簡単なことだ。悪意を乗せるのは、もっと簡単だ。
本当に書くという行為に真剣に向き合っていただろうか。
どこかで慢心して、その攻撃性を
彼に傷付けられながら、授けた仕事と価値の人生訓。
会社の後輩と片道90分ほどかかる場所へ向かう事になった。彼は、私をnoteに誘った男だ。彼は、車の鍵を私に渡すとこう言った。
「コニシさん。自分、車30分以上運転すると疲れちゃうんで、運転してもらっていいですか?」
彼は私が疲れる事を、その事実はまるで存在しないかのように、一瞬の澱みもなく言いきった。
私は、鍵を受け取るという選択をせざるを得なかった。
横須賀に向かう車は、湘南海岸を右手に
その物語には、裏がある。この道を名付ける義務が私に在る。
私は、先日とても良い出会いをした。それは言うなれば文学中年男子が望む出会い方としては、とても物語的な出会いだったと思う。
だがしかし、私という者の本質はいったいどこにあるのかを、問わねばならないのだ。
実録~40男の不惑編~
そう、実は私は約束の5時間前に横浜に着いていた。なぜ5時間前か。それは5という素数が好きだから。という好きな素数を伝え合う、どこかの素敵な記事のやり取りに嫉妬したワケで
手紙になるような一日を終えて、自己を知る。
その日の約束は、昨年の9月からの約束になる。僕は、逸る気持ちを抑えきれずに待ち合わせの40分程前にそこに着いた。伊勢佐木町のBOOK・OFF前が待ち合わせ場所だったのは、きっと僕が早く到着しても大丈夫なようにという気遣いからだろう。
僕に渡したい本がある。
そう言っていただき、実際に会うまでに5ヵ月。聞きたい事、話したい事が積もりに積もっていた。
大江健三郎という一人の作家がいる。僕が大江健
「憧れの人」になった自分は、必死にあと19年を確保した冬の日
それは、昨年の年末だった。
「年明けたら、どこかでお会い出来たら嬉しいなぁ…なんて思ってます」
とのメッセージだった。
非常に丁寧な文面をいただいたが、この2行だけしか目に入って来ず、他をいくら読もうとしても読めなかったのは残念でならない。
私は動悸を静め、深呼吸しながら念のため5回ほど読み直したが、間違いなく誘われている事を認識した。私の人生経験で同じ女性に二度誘われるなんていうのは、ほ