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2023年の3ヵ月は、躍年への助走だと思うべきこと。

厄年を躍年へと御守りをくれた人がいた。
今年も3ヶ月を過ぎて、少し書くことやSNSについて思慮した。人が聞けば思慮などと使うなと言われそうだが、きちんと巡らした。

前年に、思いの丈を詰めた出来事はしっかりと消化出来たように思う。この数ヶ月は、変化を望む自分もいるが、変化を恐れる自分も存在した。何かを起こした後にバランスを取るように、人の前から引っ込みたくなっていた。

年が明け誕生日を迎えた私は、毎回遠くへ住む友とメッセージの交換をする。それは、2人にしか分からない空気感だが、自分の理想に近い大きなことを伝え合うということだ。

「自分の表現はいずれ一つの形を見出だすと思い、先人の後を追い文学に浸り、今出来る表現を残しておきます」

と伝えた。友の返事は、

「良い生き方を共にしていこう」

だった。この数ヶ月に読んだ本は、SNSをなるべく遠ざけていたこともあり、とても心の引っ掛かりが多く、その表現に揺さぶられ心地好かった。

だけど緩慢な作業は、私の驕りを突いてきた。

自己満足で書くことの欲求を満たしていた私は、今年大きな過ちを犯す。文章で人を貶めようとした事だ。

この時の過ちを見抜き、一日中書くことについてその意義を伝えてくれた友人がいた。

彼は、人を思いやる心から溢れ出る、その愛情を人に分けるように、その溢れた分しか人には与えられないと思うと教えてくれた。

この出来事は、心底自分を見つめ直すことに繋がり、表現に対する覚悟が出来たことだった。

春を感じ、Instagramに戻った。戻れはしたが、スクロールや投稿を見ることで起きる頭痛は変化しなかった。どうしても体調不良へと繋がる。これをスクロールグルグル病と名付けている。

再び継続するか迷った。人とコミュニケーションを取れないままに、発信していいものかを迷った。

そんな時、伊勢原市でカフェを営む青年がウィスキーを通して楽しむ事を伝えながら、動画配信をしていきたいことを知った。青年がそこに求めるものは、楽しむことの連鎖で街がさらに楽しくなれば良いとの考えだった。

「自分が楽しいと思って飲食店を始めたのだからやることは全て楽しくやりたい」

その覚悟は、私を動かした。私は素直に一瞬の迷いなく手伝いを願い出た。私が出来ることは限られているが、書くことで読んでくれて、もし誰かが何かを感じて一緒に楽しんでくれるならそれは幸せだと思った。青年の語る姿にかつての自分を重ねたのかも知れない。

そして、自分が生まれ育った伊勢原市という街に、どんな形であれ興味や関心が向いてくれるかも知れない出来事に関わるのも幸せだと思った。

青年に協力する他の人も理由の一つだった。その人は街と人に尽くす人だったからだ。私は前年その人と一緒に時間を過ごし、また何かをしたい。何かをすることで繋がりを保ちたいと思っていた。

時間は限られているので、馴れ合いの時間はあまり過ごしたくない。それは、我が儘かも知れないが私にとってとても重要なことだ。

久しぶりのInstagramでの投稿に、コメントやメッセージやリアクションをくれる人達に本当に感謝した。変わらずのやり取りや見ていてくれていること、どれも繋がりを感じるのに充分だった。

仮に私が、表現することを以前より上手くなったとしたならば、それは一緒に楽しんでくれた人達のおかげだ。より楽しくなるためには、より感じてもらえるにはと、ずっと書くことへ真剣に向き合って来た。そしてそれを、共に楽しんでくれた人達がいたからだ。

これから、何が出来るだろうかと考えた時に、やはり、より面白く一緒に楽しめる方法の表現で、発信し続けることだろうと思った。

スクロールグルグル病のため、良いものを書くことでお返ししたいと思った。人にどう思われようと、自分の表現と自分を認められるのは、自分だけだからだ。

今、初めて自分のためだけではない文章を書くことを体験していて、この心の機微は、生涯大事にしたいと思っている。

この間、青年と話していて、私がいない時に私の友人がお店に来て、青年に伝えた言葉を教えてくれた。

「あいつが1人で来れるお店が出来て良かったよ。ありがとう」

と言われたことを教えてくれた。

「わざわざ、友人がお礼を言うってスゴい関係ですね」

と青年に言われた。その通りだ。

私は、私の知らないところで今日も助けられている。どうせ読まないだろうからここに記しておく。この気持ちは必ず返そうと思う。

なんのはなしですか

いつか、私の書いたものを読んで、一緒に呑みたい、酔いたいフフフと言ってくれる女性達に囲まれる会に招待しようと誓った。

という、春の便りをあなたへ。
躍進どころか、結局失敗してちょっと進むの繰り返しだ。

皆様、いつもありがとう。note では、書くことへ向き合う意味に気付かせていただいております。自分を貫きたい。

そして、この話を読む青年は私に何のウィスキーを用意するだろう。

密かな楽しみである。

自分の役割が年齢と共に変化することを感じ、託すことを感じるのも悪くはない。

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