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娘に本を好きになってもらうには、10年に及ぶ私の慎重な計画が必要だった。


悩みながら、スクワットをしていた。

「キモ」

部屋の片隅から、人生で面と向かって言われたことを探し出す方が難しい言葉を投げられた。当然、私に言われた言葉とは気付かないので私はスクワットを続けた。

「キモ、なにしてんの。やめてよ。ウザい」

そんな辛辣な言葉を直接人に伝える人と今まで出会ったことがなかったので、私は私の筋トレがキモくて、ウザいのかと頭の中で一応確認してから言葉が聞こえた方をスクワットをしながら振り向いた。

どうやら、その言葉の発信源は私が愛情込めて育てているはずの私のアラテン10歳前後になる娘であることが確認できた。彼女は名をチャマ子と言う。チャマ子と言うのは本名ではなく、私が名付けた第2の名前だ。私はチャマ子と呼んでいる。出来れば本名と一緒にチャマ子も先々まで繋いでいって欲しいものだ。チャマ子は、最近お気に入りの「学園ミステリー」ものの本を読みながら私の筋トレに文句を言ってきたのだ。

「チャマ子。君は私の筋トレをウザいと言う。だけどもしまた、私のぎっくり腰が再発して今度は歩けなくなったら、君は私を看病しなければならないよ。それは筋トレをウザいと言い放つよりもウザい生活が待っていることになるけどそれをお望みなのかい?」

「何言ってるか意味わからない。本読みたくて集中出来ないからどっか行って」

チャマ子は最近本を読みだした。それは、読書が好きな私の影響なのかまだ答え合わせをしないでいる。だけどチャマ子が読書のスタートラインに立ったのが私は嬉しいのである。

読書は、それを誰かに言われて読書を好きになるということはないと私は考えている。チャマ子が小さい時から私は、読書を強制したことはない。だけど生活の一部に本はある。本を読むということは、普通のことだと読書している私の姿を見せてきた。

「本て面白いの?」

と聞かれた時は、

「面白いけど、必要な時に本に呼ばれる時がくるから、それまでは読まなくて良いと思うよ」

と、伝える選択をしてきた。物語を読みながら想像していく行為というのは、自分が読みたいと思って読まないとその楽しさがわからないからだ。

長く続いた自粛生活で読書を好きになってもらいたいと考えていた私は、まず自分のプレゼンで物語という壮大なエンターテイメントの世界にチャマ子が没頭出来るのかをチャレンジした。

私は、マンガのONE PIECEの面白さを時間をかけてチャマ子に説いた。どうして面白いのか、なぜ感動出来るのか、どういう伏線が物語に隠されていて、それぞれのキャラクターにどういう過去があるか。そして何が人を夢中にさせるのか。

この時のチャマ子は、まだマンガを読むという面白さも知らなかったので、私は配信のアニメを選択した。読むという行為を薦めるのは難しいのだ。

普段からドラえもんや、YouTubeを見なれていたチャマ子は、ONE PIECEの配信を見るようになる。そのストーリーが持つ強さを私は信じていたので、とりあえず一話で良いから試しに見てみな。としか言わなかった。

チャマ子は、狙い通りにONE PIECEにハマった。チャマ子はそこから1000話以上あるアニメのONE PIECEを実に8ヵ月かけて見続けたのである。

私は、チャマ子からONE PIECEの途中経過を聞くのが日課になっていった。チャマ子も私に話すことでより詳しくなり、その世界観や謎を調べるようになっていった。

私がもともと好きなマンガなので、クイズを出したりして同じエピソードを振り返りながら、どこに感動してどこのセリフが良かったなどと共に共通の話題を楽しんだ。

ある時、ONE PIECEの映画の話が小説で出ているらしいことを、チャマ子は私に言ってきた。

「お父さん。本、読んでみようかな」

「そうか、それは本に呼ばれてるな」

私は、ニヤニヤしながらチャマ子にONE PIECEの小説を与えた。彼女は、わずか1日で読み終わった。

「どうだったかい?」

「面白かった」

チャマ子は、この時に読む楽しさを少し知ったと感じた。アニメを観ていたことで充分に想像出来るキャラクター達が、小説として文字で登場しても、そのキャラクターがしっかり頭の中で動いてアニメと同じように感じることを知ったのだと思う。

「チャマ子。本の中には面白いことが溢れているぞ。だからといって本を好きになれとは言わないけれど、もし好きになったら面白い本をいっぱい教えてあげるよ。だけどもしかしたら、もう学校の友達でその面白さに気付いている人がいるかも知れない。そういう友達がいたら、私よりそのお友達に聞いてみたらいい」

私は、読書を好きだからこそ強制したくない。自然に出会えば良いと思っている。そして大人が教えるよりその環境の中で出会って欲しいと思っている。

だけど、少しずつ本を意識させることが出来るはずだと、日々の話に本のことを話題にすることを選択した。

「好きな作家が本を出すらしい」
「本屋行きたいな」
「待っている間本読んでるから気にしないで」

とか、他愛のない日常の会話に入れ込むようにしていった。

ある日、チャマ子は学校から本を借りてきた。何十冊も続いている人気の学園ミステリーシリーズものだったが、友達から薦められたらしい。

私は、チャマ子の周りに本を好きな友達がいたことがまず嬉しかったが、本を会話の話題にしているというその話も嬉しかった。

ここが親として最初で最後の出番だと思った私は、そのシリーズを何冊か借りてきた。チャマ子は喜び、怒涛の如く読み始め、1週間に5冊のペースで借りていくようになった。

そこで本に熱中するあまり、汗だくの筋トレお父さんが家に存在する異世界に耐えられなくなり、冒頭のキモウザ発言に繋がるのだが、キモウザのままで終われない私は、チャマ子に仕掛けることにした。

「オーケー。チャマ子。君のそのシリーズの続きを読ませる前に、私が選ぶ1冊を読んでから続きを渡そう。それを読んでからじゃないとダメだ。それを読まないとずっと目の前で筋トレ続けるがね」

「何それ。面倒すぎてキモいんですけど」

キモがるチャマ子に、私は1冊の本を選択した。私はチャマ子がどれくらい読めて、どれくらいの話まで平気なのか想像出来なかったが、読んで欲しいなと思っていた『かがみの孤城』を手渡した。

この本を読めるのか、刺さるのか。これは私にとって、とても大事なことだった。ドラえもんやONE PIECEから始まり、スラムダンク、鬼滅の刃、ブルーロック、アオアシ、推しの子と順調にアニメ街道は走らせていたが小説を薦めたのは、初めてだった。

「とりあえず読んでみて。読めなかったら別にいいから」と端的に伝えた。

チャマ子は、文句を言いながら、嫌がりながらも読み始めた。読書に関しては圧倒的な先輩である私に反論出来るだけの言葉が見つからないからだろう。

だけど、私は少し感想を聞くのが怖かった。チャマ子にも私にも今後の人生においてもとても重要な岐路だと感じていたからだ。

3日くらい空いた。
面白かったなら読み終わってるはずだ。

「どうだった?面白いかい?」

私は、極めて普通に聞いた。

「お父さん。今まで読んだ中で一番面白い。今2回目読んでる」

それは、面白い本と出会って誰かに話したくて興奮している状態だった。バカかも知れないが少し涙が汲み上げそうになった。

「チャマ子。その本あげるよ。それは君の大事な1冊だ。その感情はこの本を読む度に一生思い出せる。そしてこの先どんどん面白い本は現れるけど、自分が面白いと思った気持ちは大事にすべきだ」

私は、言いたいことは言えた。

「この人の他の作品を読んでみたい」

そう語るチャマ子に伝えたい。

ようこそ。本の世界へ。

私は、この先どれだけキモくてウザがられようとも、この分野の共通の趣味があるかぎり同じ感情で話せることを知っている。

一部始終を横で聞いていた弟の坊主がチャマ子に言った。

「俺もその本読んでみようかな」

チャマ子は諭すように坊主に伝えた。

「まだ、早い」

悪くない。いい返答だ。

「お前は、俺と一緒にチャマ子の横でスクワットだ」

「マジでキモい」

日常の選択である。















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