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本能寺の変1582 第191話 16光秀の雌伏時代 4服部七兵衛 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第191話 16光秀の雌伏時代 4服部七兵衛 

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光秀にとって、林員清は目障りな存在だった。

 林員清は、近江高島郡の国人領主。
 打下城の城主である。
 城は、志賀・高島、両郡の郡境にあった。
 琵琶湖の西岸に聳え立つ山の上。
 標高、374m。
 そこからは、湖水が一望できた。

 また、直下には、北陸道(西近江路)が南北に通っていた。

 すなわち、交通の要衝。
 海路と陸路を扼する絶好の位置にあった。 
 
 そして、直ぐそばには、乙女(洞海)ヶ池があった。
 員清は、ここを舟入地として、水軍を有し、琵琶湖北西部の制海権を握っ
 ていた。

 ここを押さえられれば、・・・・・。
 両郡の往来は、寸断される、・・・・・。

 つまり、林員清は、高島郡の内に一定規模の勢力を保持し、両郡の往来に 
 少なからぬ影響を及ぼす人物だった。
 光秀にとっては、中々、厄介な存在だったのである。

信長は、高島郡を甥の織田信澄に与えた。

  後に、織田信澄はこの乙女ヶ池の畔(ほとり)に大溝城を築く。
 天正六年1578のことという。
 員清の打下城は、大溝城から南西へ僅か1kmほどの山上にあった。
 極めて至近距離にあり、そこから、大溝城の様子が丸見えとなる。
 
 近江の地図を見れば、よくわかる。
 信長は、琵琶湖を中心に、東岸の北部から南岸・西岸にかけて、次のよう
 に、「J」の字形に、重臣を配置していた。
  
  羽柴秀吉―丹羽長秀―柴田勝家―佐久間信盛―明智光秀
 
 高島郡は、空白地帯。
 ここに、織田の重臣は置かれていない。
 磯野員昌と打下員清の二人が居るのみ。
 「目障りよ」
 信長は、高島一郡を甥の七兵衛(織田信澄)にと考えた。
 「なれど、若い」
 光秀がこれを後見する。
 となれば、「縁組」。
 信長は、光秀に、七兵衛と娘の婚姻を命じた。
 「これで、よい」
 正に、一石二鳥。
 いや、三鳥か。
 近江の完全制覇。
 「O」の字の完成である。

織田信澄は、光秀の娘婿。

 斯くなれば、七兵衛(信澄)は光秀の娘婿、義理の息子となる。
 すなわち、光秀は、信長の縁戚に連なる。
 しかも、七兵衛は隣郡の主。
 一族の領地が地続きで倍増するのである。
 光秀にとっては、この上もない喜びであった。 

信長・信澄・光秀にとって、林員清は邪魔者だった。

 となれば、・・・・・。
 信長、信澄、光秀。
 この三人にとって、林員清は、邪魔者となる。
 光秀は、動いた。
 
 斯くして、林員清の一件は終わった。
 「祝着」
 光秀は、そう思っただろう。
 信長、同。
 信澄、同。
 恐ろしい、時代だった。

◎光秀は、林員清の粛清に深く関与していた。

 以上、状況から推測するに、この事件には、光秀が深く関与していたもの
 と思う。

 ◎ここが重要ポイント!!
  要注意ヶ所!! 
 
  なお、これについては後述する。

◎光秀は、「計略と策謀の達人」だった。

 フロイスは、次のように言っている。
 光秀は、「計略と策謀の達人」だった。
 
  信長の宮廷に惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。
  彼はもとより高貴の出ではなく、
  信長の治世の初期には、公方様の邸の一貴人兵部太輔と称する人に奉仕
  していたのであるが、
  その才略、深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受けることとなり、
  主君とその恩恵を利することをわきまえていた。
 
  殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、
  ほとんどすべての者から快く思われていなかったが、
  自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備
  えていた。
 
  彼は、
  裏切りや密会を好み、
  刑を科するに残酷で、
  独裁的でもあったったが、
  己を偽装するのに抜け目がなく、
  戦争においては謀略を得意とし、
  忍耐力に富み、
  計略と策謀の達人であった。
 
  また、築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持主で、
  選り抜かれた戦いに熟練の士をつかいこなしていた。

                           (『日本史』) 

 ◎ここが重要ポイント!!
  要注意ヶ所!! 

◎光秀は、したたかな人物だった。

 フロイスは、光秀をこの様な目で見ていた。
 光秀は、決して清廉潔白居士などではない。
 中々、したたかな人物だった。
 厳しい時代である。
 そうでなければ、生き残ることなど出来なかったのだろう。

 我々も、光秀に対する見方を変えるべきである。

 ◎ここが重要ポイント!!
  要注意ヶ所!! 

 【参照】16光秀の雌伏時代 4服部七兵衛  小   184
   ◎光秀と秀吉は、 一揆勢二千余を斬殺した。
   ◎これが、光秀の実像である。
    フィクション等に騙されてはいけない。
   ◎信長・光秀・秀吉、三人は、同じ穴の狢なのである。 

 【参照】16光秀の雌伏時代 4服部七兵衛  小   186
   ◎光秀にとって、これが二度目の大量殺戮だった。
   ◎光秀は、恐ろしい男であった。
   ◎光秀は、強靭でしたたかな戦国武将だった。
    フィクションに満ち溢れた光秀の人物像を、もう一度、
    見直すべきではないだろうか。



 ⇒ 次へつづく 第192話 16光秀の雌伏時代 4服部七兵衛  


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