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私は駿台予備校卒業生

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私の卒業した高校は駿台予備校です。  この学校で徹底的に知的基礎を鍛え上げました。  つまらない押し付けカリキュラムの中学·高校を抜けて、自由に最先端の知識学べ、研究出来る大学… もっと読む
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私は駿台予備校卒業生 その8 英語の伊藤先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

私は駿台予備校卒業生 その8 英語の伊藤先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

英語の伊藤先生の話。

 1970年代中頃、私は駿台予備校の生徒でした。毎日、高校が終わると図書室に行き、そこから御茶ノ水まで通いました。夏休み、冬休み、春休みも自宅から講習会に通いました。
 同校には、個性あふれる講師の方々がいらっしゃいました。私の心を捉えた講師の方々は、皆入試のためではなく学究生活の礎としてというスタンスで授業を構成していらっしゃいました。

 今回は、英語の伊藤先生の話。

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私は駿台予備校卒業生 その7 化学の石川峻先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

私は駿台予備校卒業生 その7 化学の石川峻先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

化学の石川峻先生の話。

 1970年代中頃、私は駿台予備校の生徒でした。毎日、高校が終わると図書室に行き、そこから御茶ノ水まで通いました。夏休み、冬休み、春休みも自宅から講習会に通いました。
 同校には、個性あふれる講師の方々がいらっしゃいました。私の心を捉えた講師の方々は、皆入試のためではなく学究生活の礎としてというスタンスで授業を構成していらっしゃいました。

 今回は、化学の石川峻先生の話

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私は駿台予備校卒業生 その6 現代文の藤田先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

現代文の藤田先生の話。

 1970年代中頃、私は駿台予備校の生徒でした。毎日、高校が終わると図書室に行き、そこから御茶ノ水まで通いました。夏休み、冬休み、春休みも自宅から講習会に通いました。
 同校には、個性あふれる講師の方々がいらっしゃいました。私の心を捉えた講師の方々は、皆入試のためではなく学究生活の礎としてというスタンスで授業を構成していらっしゃいました。

 今回は、現代文の藤田先生の話

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私は駿台予備校卒業生 その5 数学の藤田、中田、根岸先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

私は駿台予備校卒業生 その5 数学の藤田、中田、根岸先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

数学の藤田先生、中田先生、根岸先生の話。

 1970年代中頃、私は駿台予備校の生徒でした。毎日、高校が終わると図書室に行き、そこから御茶ノ水まで通いました。夏休み、冬休み、春休みも自宅から講習会に通いました。
 同校には、個性あふれる講師の方々がいらっしゃいました。私の心を捉えた講師の方々は、皆入試のためではなく学究生活の礎としてというスタンスで授業を構成していらっしゃいました。

 今回は、数

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私は駿台予備校卒業生 その4 古典の高橋先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

私は駿台予備校卒業生 その4 古典の高橋先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 古典の高橋先生の話。

 1970年代中頃、私は駿台予備校の生徒でした。毎日、高校が終わると図書室に行き、そこから御茶ノ水まで通いました。夏休み、冬休み、春休みも自宅から講習会に通いました。
 同校には、個性あふれる講師の方々がいらっしゃいました。私の心を捉えた講師の方々は、皆入試のためではなく学究生活の礎としてというスタンスで授業を構成していらっしゃいました。

 今回は、古典の高橋先生の話。

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私は駿台予備校卒業生 その3 物理の坂間先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

私は駿台予備校卒業生 その3 物理の坂間先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

物理の坂間先生の話。

 1970年代中頃、私は駿台予備校の生徒でした。毎日、高校が終わると図書室に行き、そこから御茶ノ水まで通いました。夏休み、冬休み、春休みも自宅から講習会に通いました。
 同校には、個性あふれる講師の方々がいらっしゃいました。私の心を捉えた講師の方々は、皆入試のためではなく学究生活の礎としてというスタンスで授業を構成していらっしゃいました。

 今回は、物理の坂間先生の話。

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私は駿台予備校卒業生 その2 物理の山本義隆先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

私は駿台予備校卒業生 その2 物理の山本義隆先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 物理の山本義隆先生の話。

 1970年代中頃、私は駿台予備校の生徒でした。毎日、高校が終わると図書室に行き、そこから御茶ノ水まで通いました。夏休み、冬休み、春休みも自宅から講習会に通いました。
 同校には、個性あふれる講師の方々がいらっしゃいました。私の心を捉えた講師の方々は、皆入試のためではなく学究生活の礎としてというスタンスで授業を構成していらっしゃいました。

 今回は、物理の山本義隆先

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私は駿台予備校卒業生 その1~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

私は駿台予備校卒業生 その1~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 私の卒業した高校は駿台予備校です。
 この学校で徹底的に知的基礎を鍛え上げました。

 つまらない押し付けカリキュラムの中学·高校を抜けて、自由に最先端の知識学べ、研究出来る大学に行きたかったのです。当時(1970年代中頃)は、超難関校合格者の多くは駿台予備校生でした。

 小学生から学校のカリキュラムを超越して、まるで大学生のように自由に独学していました。ですから公立の小学校、中学校では定期試

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