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日本と世界、世界と日本、なんとも大風呂敷なタイトル

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#旅

韓国への旅 〜 7回目ながら 29年ぶり (2022年10月)

韓国への旅 〜 7回目ながら 29年ぶり (2022年10月)

写真は 韓国・ソウルに着いた日 2022年10月8日の夜, 同行のカミさんとソウル在住の息子と 3人で 街を散策中に撮った一枚。カミさんが手にしているのは ソウル Seoul のソウル Soul フード *, ホットク。横書きハングルの上段右 2文字が「ホットク」。因みに下段の 4文字は, 日本, 大阪のソウル・フード *, 「タコ焼き」。たこ焼きも 韓国で人気があるらしい。

*いきなりの注釈。

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1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集 〜 完成

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集 〜 完成

22-23歳の時のバックパッカー海外「放浪」もどきの旅 note リンク集, 完成1983年4月26日 に横浜港を発って, 「国」名だけ挙げると当時のソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ, 東ドイツ(東ベルリンのみ), フランス, スイス, オーストリア, (当時のチトーの)ユーゴスラビア, イタリア(ローマ市内のバチカン市国も), ギリシャ, トルコ, シ

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911 記念 〜 自分の誕生日(1960), シリアの現職・独裁大統領の誕生日(1965), アメリカがチリの民主主義を殺した日(1973), シリア・パルミラの都市遺跡を訪問した日(1983), アメリカが「宗教」狂信者に攻撃された日(2001), 拙者の note 開始日(2019) 〜 誕生日リクエスト(2021), 今日は 歌詞和訳付きで この歌で締め, "Ol' '55" (Tom Waits) ♫

911 記念 〜 自分の誕生日(1960), シリアの現職・独裁大統領の誕生日(1965), アメリカがチリの民主主義を殺した日(1973), シリア・パルミラの都市遺跡を訪問した日(1983), アメリカが「宗教」狂信者に攻撃された日(2001), 拙者の note 開始日(2019) 〜 誕生日リクエスト(2021), 今日は 歌詞和訳付きで この歌で締め, "Ol' '55" (Tom Waits) ♫


ナンセンス込みの前説9月11日は 62年前の拙者の誕生日でもあり, 3年前の拙者の note 開始日でもあり, そして他にも ... 。というわけで, 今日の拙者の note は, 911 記念 note リンク集「の・ようなもの」。

あ, あの映画は 911 とは関係ないですね。「リンク集のようなもの」と書こうとしたら, というか「のようなもの」と言おう・書こうとするといつも思い出してしまう

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1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。

さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2

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1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目

1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目

前説1983年4月26日, 1960年9月11日に「秋葉路や, 花橘も茶の香り。流れも清き太田川, 若鮎躍る頃」から3ヶ月ぐらい後だろうか「松も緑の色も冴え」た時期は過ぎ, 夏が終わった頃に「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に, 産声あげ」た「快男児」(だったかどうか判然としないが, 笑)「昭和の」じゃなくて令和の「御代」(って俺は天皇制要らな

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1984年2月, 初めて訪れた広島平和記念公園

1984年2月, 初めて訪れた広島平和記念公園

1983年4月26日に横浜を発ってフェリーで当時のソ連のナホトカに向かい, その後, ソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅し, 最後の訪問国であった韓国の釜山からフェリーで下関に着いて帰国したのが, 1984年2月1日。下関からひとまず静岡県の自分の田舎の家に戻る途中, 後輩が広島大学にいたこともあって, 広島に立ち寄った。初めて訪れた広島には3泊し, 滞在中, 2月2日と3日の2回にわた

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1984年2月1日 帰国 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア各国を旅して 282日目

1984年2月1日 帰国 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア各国を旅して 282日目

韓国・釜山港から下関港行きフェリーに乗って帰国, その後, 初めて広島に行き3泊し, 1984年2月4日にとりあえず静岡県の田舎に戻った。計285日。9ヶ月半程度だからバックパッカーの旅としてはそれほど長かったわけでもないが, まだソ連があった時代, そしてベルリンに壁があった時代, そのほか諸々, 現在とは違う, つまりもう「歴史」になっているようなものを見た面はあったわけだし, まぁそんな堅苦

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コルカタで見た 「火の車」 は現実だったのか幻だったのか 〜 カルカッタ, 1984年1月4-7日

コルカタで見た 「火の車」 は現実だったのか幻だったのか 〜 カルカッタ, 1984年1月4-7日

インドのコルカタは当時は「カルカッタ」と呼ばれていた。第2章でそれ書いてたら, いつの間にか, 今日の note タイトルと関係ないポリコレ話に脱線していた。

コルカタ(当時は「カルカッタ」)の前までの話 〜 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプト, 再びのトルコ, 更にイラン, パキスタンを旅してからインドへ, イ

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釈迦牟尼が 紀元前530年頃に悟りを開いた場所, インド・ブッダガヤの大菩提寺(紀元前260年創建)を訪ねた, 1984年1月3日

釈迦牟尼が 紀元前530年頃に悟りを開いた場所, インド・ブッダガヤの大菩提寺(紀元前260年創建)を訪ねた, 1984年1月3日

釈迦牟尼はサンスクリット語の発音ではガウタマ・シッダールタに近く, パーリ語の発音ではゴータマ・シッダッタに近いらしい。兎にも角にも, 1983年9月から10月にかけてベツレヘム, ナザレ, エルサレムなどアブラハムの「世界宗教」であるキリスト教とイスラム教の聖地を訪ねた拙者は(上に挙げたなかではイスラームにも直結はエルサレムだけかな, まぁイスラームもキリストを預言者としては認めてるわけだけど)

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ガンガー(ガンジス川, インド・ヴァーラーナシー)で 拝んだ 初日の出 〜 1984年1月1日

ガンガー(ガンジス川, インド・ヴァーラーナシー)で 拝んだ 初日の出 〜 1984年1月1日

昨年4月から, 1983年4月から翌1984年2月にかけての「放浪」もどきの旅について, 38周年の日にピッタリだったり近い日だったりの期日に投稿するかたちで各国各都市各街各遺跡などの旅 note を連載してきた, 音楽やパレスチナ問題, 宗教関連など自分の関心が向く他のトピックの note を挟みながらなので, 断続的な「連載」だけれど。

1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ

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タージ・マハル は確かに美しかった, インド・アグラ 〜 1983年12月23日

タージ・マハル は確かに美しかった, インド・アグラ 〜 1983年12月23日

というわけで, 今日 2021年12月23日は, 我が「タージ・マハル」38周年記念日なのだった。

1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ 〜 そのまま陸路イラン入国, さらにパキスタンを旅し, そして インド に入って, アムリトサル, ダラムサラ に

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パキスタン 〜 ラホール, 1983年11月26-29日

パキスタン 〜 ラホール, 1983年11月26-29日

1983年4月26日に日本を発ってから 7ヶ月経過。本 note 第1章, 第2章はここまでの振り返り note で, 第3章以降が本 note の主題, パキスタン・ラホール 1983年11月の3泊4日滞在記(インドに向かい, 陸路国境越えまで)。

1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタン

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