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ごめんね、アルジャーノン。

今回は、個人的特性(性格のこと)と価値観について書く。これでは話が広すぎるため、以下のように的をしぼる。

・共感性は、アロセントリックな価値観と、正の相関がある。
・指向性(指示的になる性質)は、イディオセントリックな価値観と、正の相関がある。

この話を進めながら、動物のこと・人間のこと・日本人のことにふれていく。

ガイドラインはこんな感じ。

飽きずに読んでもらえるように、工夫する。
がんばって読んでほしい。


アロセントリック?イディオセントリック?聞き慣れない言葉だ、と思った人もいるかもしれない。

簡単な言い方で説明する。

まずは、イディオセントリックだけを確認してほしい。後でつなげるから大丈夫。

古代ギリシャ語の ídio-(独自の・個別の)に、center の形容詞 centric(中心的なもの)。

日本語で表すなら、特異性といったところ。

自己中心性とは似て非なるもの。ジコチューは、自己中心的かつ利己的であること。特異性
= イディオセントリックは、他人のではなく自分のやり方に集中的に関心をもつこと。

同じギリシャ語でも idiote になると、アマチュアや部外者を表す。英語の idiot(バカな・まぬけな)、後期ラテン語の idiota(無知な人)……と、派生で、ネガティブなニュアンスが足されていったようだ。

次に出す言葉の前置きとしても、これを書いた。エゴセントリック。これも、エゴイスティックとは、意味あいが異なる。

「エゴ」を重要なテーマとして取り入れている『ブルーロック』。おもしろい作品。アニメを一気見した。

人が場所や空間を把握する時に、あたまの中で用いる空間表現には、egocentric spatial frame (自己中心的空間表現)と allocentric spatial frame (他中心的空間表現)がある。

エゴセントリックな空間表現とは:自分 → 物体 このくらいの距離だ、自分 → 物体 このくらいの角度だ、の2要素によるもの。

アロセントリックな空間表現とは:空間内に存在する複数の物体が、互いにどのような位置関係にあるのか、によるもの。


このどちらの機能が低くても、道に迷いやすい人になる。

あなたは、夜空の星々をよんで、ランデブー・ポイントを目指すことができる?

かつて多くの黒人奴隷を解放へと導いた、ある女性の話を書いた回。

文字(英語)が読めない人たちが、自然を読み解くことで、生き延びた。これぞまさに、知恵と智慧の違いである。

昔ながらの地図は、アロセントリックだ。
ナビゲーション系は、エゴセントリックだ。

現代の、両方を高水準で提供してくれる最強ツール。

Google MAP レベルのものがあっても、頻繁に道に迷うという人がいたら。他の問題、他に苦手なことがある可能性を考えた方がいいかもしれない。


最初の研究は1948年のもの。

ネズミなどの動物が、環境内の物体を最低2つ使って(当たり前だが2つはないと無理)、あたまの中に「地図を思い描いている」ことが示された。

自らの動きだけでなく、全体の構造も検討している。エゴセントリックだけでなく、アロセントリックも使っていると。

立ち上がって匂いをかいでいる時が(周囲を警戒しているのだと一般的にいわれている)、ネズミさんの、全体を俯瞰しているタイミングなのだろうか。

直接たずねることができないから、本当のところは、わからない。

チャーリイとアルジャーノンなら、彼らだけにしかわからないなんらかの方法で、意志を疎通しあうかもしれない。


音が聞こえた時。小動物は、首の角度を変えることで、自分とそれ以外との位置関係をはかる。耳を向ける角度を変えるといった方が、適切か。そうして、周辺環境を把握していく。

エゴセントリックの活用方法の、一例だ。


また違う研究からは、池に生息する魚はアロセントリック的で、川に生息する魚はエゴセントリック的であることが示された。

川は絶えず流動しているため、池に比べて、環境が変化しやすい。

川でアロセントリックであっても、あまり意味がないのだ。刻一刻と変わる状況に適切なのは、エゴセントリックであることの方だ。

自然は、生命は、実によくできている。


アロセントリックの説明は、これでもう、不要かもしれないが。一応。

アロセントリックの方は、日本語で表すなら、他中心主義といったところ。

アロセントリックな価値観をもつ人は:グループとしてのニーズや目標に、重点をおく傾向が強い。これは、 彼ら彼女らが、自分自身を集団の延長として見がちなことに起因する。

イディオセントリックな価値観をもつ人は:自立を好みがち。他人の意見を気にせず、自分だけで決断を下すことが多い。彼ら彼女らが、共通して楽しむことがあるのが、判明している。競争だ。

どちらかに偏りすぎるのはよろしくない、直感的には、そんな感じがする。


ここで、どうしても、STAND ALONE COMPLEX という言葉があたまに浮かんでくる。

「オリジナルの不在がオリジナルなきコピーを生み出す現象」

「全ての情報は、共有し並列化した段階で単一性を喪失し、動機なき他者の無意識に、あるいは、動機ある他者の意思に内包化される」

この回で掘り下げたため、今回は、このくらいにしておく。

これをつくった人が、ちょっと見たことない勢いで言語の説明をがんばっているため、貼って差し上げたくなった。歌詞和訳の動画で、こんな濃厚なの見たことない。笑


イディオセントリックとアロセントリック、どの程度どちらの価値観をもつかは、状況によって変化する。→ 環境によって決まるともいえる。

世界には、よりイディオセントリックな文化・よりアロセントリックな文化があることにも、関係するだろう。

先ほどの池の魚と川の魚の話と、人もまた動物であることを思い出しながら、以下を読んでほしい。


これは、海外の人が、『シン・ゴジラ』について語っている動画だ。

海外勢による、見るに耐えないほど浅い、シンゴジに対する考察記事や動画がある中で。これはオススメできる。日本語訳はないので、私がサマリーする。

ちなみに、私は『シン・ゴジラ』の大ファン。

日本人にとって、この絵面はTSUNAMIを彷彿とさせるものである。ゴジラを比喩にしてはいるが。日本にとって、災害対策は非常に重要なテーマであると。

この動画をつくった人は、私たちのことをよくわかってくれている。そうなのだ。大地震も巨大津波も、ゴジラきたくらい実際問題、非常事態なのだ。

※私のこの言いまわしが、誰かを不快にしたり傷つけたりしたら、本当に申し訳ない。

この作品では、羅列される漢字の英訳も、見逃してはならないと。彼はこういう役職・彼女はこういう専門家という注釈を。

たしかに漢字だらけ!

この作品は、日本には “ヒーローはいない”
こと・個々人がそれぞれ日本のために行動すること・そういった性質が国民全体にあることを表している、と紹介してくれている。


人間以外の生物にも、どのぐらいエゴセントリックで・どのぐらいアロセントリックであるかには、個体差があるという。

これは、複数のキジを用いて行われた研究の、結果を表したグラフ。

具体的には。同じ環境で育ったキジ20羽に、1つの迷路を与えた。その攻略法を教え、学習させようと試みた。訓練中も本番のテスト中も、各キジの様子を観察した。

縦軸は鳥の数・横軸はエラーの違い。

エラーにある「マイナス数値」は、訓練と本番の比較から。すなわち、左に寄るほど、学習の成果が出ている。

青色がアロセントリック攻略をしたキジ・黄色がエゴセントリック攻略をした/両方の攻略法を用いたキジ。

アロセントリック戦略よりもエゴセントリック戦略の方が結果が悪いだけでなく、アロセントリック1本戦略よりもミックス戦略の方が結果が悪い。


部分的にエゴセントリックにもなることで、「全てが台無しになる」ようなことは、ないはずだ。さすがに、それはおかしい気がする。

以下、私の勝手な憶測。

アロ戦略をとる個体というよりも、アロ戦略をとることができる個体、だったのではないか。記憶力(空間認知能力も)が高い個体なのではないか。

エゴ戦略をとる個体というよりも、エゴ戦略しかとることができない個体、だったのではないか。記憶力が乏しく、訓練の効果が皆無(アロ的になれない)。そういう個体は、空間認知能力も低く、エゴ的にもうまくなれない。こうではないか。

個体差には個体差だが、アロ/エゴの程度の個体差と呼ぶのは、不適当かもしれない。

もしかして、エラー15以上の4羽は「そもそもバカなだけ」って言ってる?こんな長い言い方で? (笑) と思った人へ。そうだ (笑) 。言い方は大切だから。キジさんが傷つくでしょう。


地図を使って目的地にたどり着くことに、話を戻してみる。

空間認知能力は、脳の頭頂連合野という部位がつかさどる能力である。

空間知覚

視覚・聴覚・前庭覚(自己の傾きや速度を感じる)・体性感覚(例:触覚)・化学感覚(例:嗅覚)など、ほぼ全ての感覚を動員し統合。→3次元的な外界空間を脳内で表現。

この過程でも、今まで述べてきたエゴセントリック・アロセントリック、そのどちらもを使う。

多種の感覚が統合されるだけでなく、不必要な感覚情報があれば遮断される。

必要な情報と無視してもいい情報がわからなくなった脳の秀逸な描写をする『寄生獣』。私たちの脳は素晴らしい性能を有する。常時!瞬時!“全自動”!で情報を判断し優越をつけてくれている。感覚や反射とタッグを組みながら。

このように、身体(が得るあらゆる感覚)と脳は、切っても切り離せない間柄である。


徐々に活動範囲を広げていく、赤ちゃんや幼児。彼ら彼女らは、空間を認識する力を養っていってる、まっ最中だ。

「過程」は本当に大切だ。①から⑤に急に行ったってダメだ。大人にとっても誰にとっても、同様のことがいえるだろう。

地理的な話に限らず。さまざまなことに、空間認知は関わってくる。自分の身体との・他者との・社会との・自然との関わり方など。

空間認知能力が高いと、スポーツが得意だとか絵がうまいだとか、いわれたりしている。遺伝的な要素があるため、誤りとまでは言わないが。

基本的には、特に子どもの場合は、原因と結果が逆である。手足をよく動かすから、脳の機能が高まるのだ。

把握(空間知覚)→ 処理(空間認知)

体を使って世界とコミュニケートすることで、集中力・柔軟性・記憶力・創造性などの機能も、高まっていく。

繰り返す。空間認知は地理的な話に限らない。
自分の身体との関わり方にだって通じる。

そもそも、体を動かす量の違いは、脳の発達の違いを生む。運動により、脳内の血流が促され、酸素や栄養素が脳にもたらされるからだ。

学校生活には、体育の授業や部活動や運動会がある。


自分の知人で、ある共通点がある人たちの話。

彼ら彼女らはもれなく全員、身体的にも精神的にも、実年齢よりかなり若々しいのだ。彼ら彼女らの趣味は、山登りだ。

これはいわゆる沢登りだが。おそらくは更に効果的。

これは私の話になるが。

私は、ノイキャンが大の苦手。視覚から、音があることが予想されるのに、聞こえない。小さなバグの繰り返し。小さな違和感の蓄積。どうやら、これが、私を疲弊させるようなのだ。

秋の夜長に、鈴虫の羽音が聞こえると、リラックスして眠りにつくことができる。自分は世界の一員であると。そんな系統の安心感だ。(主観)

関連回。この回は私のNoteでは珍しく、短くて、ポエムや恋愛話が入っている。


前段の話に関連するのだが。

『脳男』。私の大好きな小説である。

この主人公は、何度も何度も、私を泣かせた。

この傑作について語り出したら、文字数が倍になってしまうため、あえて一切語らない。

自分が泣くのは原作に対してだけだが、実写化もされている。映画でも観れて、うれしい。

今回の話が好きな人は、ぜひ、『脳男』を読んでみてほしい。映画より時間はかかるが、小説の方をオススメする。


空間認知力が高いと、ストレスが少ないらしい。これは当たり前だ。

ヒト含め動物にとって、周囲の情報を得るということは、生存する上でとても大切なこと。身に危険があるかもーーなどといった不確かな状態が、ストレスでないわけがない。

初期のNote。この回に詳しく書いた。


個人的特性(性格)と価値観の間で、内容に一貫性を欠く場合があることが、確認されている。

例)情緒不安定な人が内的調和を、自尊心の低い人が社会的承認を、重要な価値であると考えていることがある。多々ある。

自分の性格的特徴とは、正反対の価値観をもつことで、欠点的なものを補おう(がんばろう)としているのかもしれない。

いい歌だ。yamaさんの曲の中で、一番好き。


共感性

共感性という個人的特性は、博愛・普遍主義・利他などの価値感と、最も正の相関を示すことが確認されている。

共感性という個人的特性は、権力・快楽主義・自己強化的価値観とは、強い負の関係をもつことも確認されている。


「共感」の認知的要素は、他者の目を通して世界を見ようと試みたり、他者が特定の状況で何を感じているか想像したりすることに、関係する。

よくいう感情移入とは、その性質から条件づけられた傾向である。その結果、自らに、他者に援助を与える必要性を動機づけしやすい。

共感的な人は援助を提供しやすい。その援助は、無私のものである可能性が高い。また、より手厚くより気まぐれでない。

簡単に言う。「人の痛みがわかる人」だ。

古くから存在する言いまわしや、誰もが知っている言葉で、じゅうぶん。せっかく大切なことが端的に語られているのに、そういったものを軽視すべきではない。

今まさに戦闘中の敵に対して、闇堕ちした原因を慮り涙を見せる『うしおととら』うしお。我々のために泣いてくれたと、敵は一転、彼の最大のミカタとなる。

共感性は、個体発生の初期段階で出現する。

例)幼児でも、他人の不幸を認識すると、助けを示すような態度を見せる。

このことは、共感性が、遺伝的要因でもたらされることを示唆している。もしくは、幼少期の経験によって条件づけられることを。主に、親子の関係/両親の関係/その他家族の関係からということだ。

どこの国でも、遺伝のせいと親のせいという話は、非常に人気がある。人はこれを聞いて、意気消沈しないで、安心するのだ。

「なぁんだ、努力じゃどうにもならないんじゃん」

常々思うが。「頑張っても無駄」と同じくらい、もしくはそれ以上、「諦めても無駄」だ。

過去と未来に比べて、今は、今はいつだって、めちゃくちゃ短い。


指向性(指示的になる性格)

指向性という概念は、権威主義の問題への関心から生まれた。

権威主義的態度(権威を尊重する態度)と、権威主義的性格(他者を支配したがる性格)。

指向性に関係があるのは、後者の方だ。

指向性:自分の意志を人に押しつけ、それによって、人より優位に立とうとする個人的特性。

支配志向性:自分が他者を凌駕したいと思う度合い(個人的次元)、あるいは、自分が属する集団が他の集団を凌駕したいと思う度合い(社会的次元)。

支配志向性は、非フェミニストよりもフェミニストで・(全ての社会階層と全ての文化において)女性よりも男性で・社会的地位の高い高学歴者で、強いことがわかっている。


「より優れた人はより多くを得るに値する」という原則を重んじる人たちがいる。

たとえば。一部のアメリカ人は、「成功者」を見ると、神に愛されているから結果的にそうなった・神のご加護を受けている証であると考える。

話が長くなりすぎる時は、他力本願!

お力を拝借しておきながら、あれなのだが。岡田氏は大変素晴らしい人物だが(私がこんなふうに言うのもおこがましいが)、彼の見解に、私が全て同意というわけではない。

のっけから。「全米で聖書の次に売れた本」 ではない。「アメリカ議会図書館が行った調査によると、聖書に次いで影響力がある本」である。(調査は1991年で対象者は5000人)

LoTRの方が売れてるよ。
ハリポタの方が売れてるよ。

宗教的なプロパガンダ小説と呼ぶ人がいる。
悪くとらえすぎ。シンプルに物語を楽しもう!
クッションにも当然なる(笑)!大人気先生

バフェットさんにも、いろいろなお考えが、おありになるのだろうし。私は、ここで勝手に何かを語れるほど、彼のことを知らないと思う。


支配的な傾向のある人は、あいまいさに対する耐性が低いという。

個人的に、これは問題だと思っている。あいまいなことをあいまいなまま、受け入れることができない。あいまいなことをあいまいなまま、放っておくことができない。

自分に直接関係のないありとあらゆる出来事の、リポーターやコメンテーターになろうとする人々が、後を絶たない。SNSでは日夜、何が正しいことで・誰が悪人なのかが、論じられてい。白黒つけないと、いてもたってもいられない人たちを散見する。

指向性が強いほど、快楽の価値に対する選好が高く、精神の価値や聖なるものに対する選好が低いことも、判明している。

友情や愛情につながる、親密な感情的結びつきを築くことに、価値を感じにくいのだ。

このような性質になる原因について、書いた回。複数の実験や研究を解説した。


以上、さまざまな観点から、対照的な2つの性格と価値観について、書いてみた。

余談だが。夜神月は、なぜ、こんなにも変わってしまったのか。

マンガだから〜とか、そういうストーリー展開だから〜とか、言う?『デス・ノート』に?

ごく手短に。

実際に、手を下したからである。主人公が禁断の果実に手を出したーーという表現が強調されているのは、このためだ。そうでないなら、リュークの好物は別に、ジビエとかでいい。

思想は元々あるように見えても。ビフォー実行 と アフター実行 の間には、絶対的な差がある。

これにも、古くからの言葉がある。「一線を超えてはならない」。先人の教え、ありがたい。


最後にこの歌を。
この文章を書いたことへの、自戒もこめて。

素敵な楽曲のおかげで。
今回のタイトルの理由を自ら説明するーーという無粋なことをせずに、書き終わることができそう。人間はいつまで経ってもどうしようもなく、本当に申し訳ない。

Fukaseさんの考えていらっしゃることは、大変素晴らしい。大変素晴らしい人だ。2回言ってしまうくらい。いろんな生物のしぐさが入った、ダンスまでいい。


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