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雑記集

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雑草という名前の草はない。 雑記という名前の記事もない。
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2019年6月の記事一覧

迷い飯

迷い飯

おなかがすいているときって、判断力が鈍くなります。判断力どころか、あらゆるパフォーマンスに関わる力が低下するようにすら思います。そういうときに、何をどこで食べるか決めることはなかなかしんどいものです。しんどく、困難なことでもあります。だって、判断力が鈍っているのですから。おなかが減っていないとき以上に、決められないのです。

これは、ひょっとするとですね、おなかが減る前に決めておけばいいのでし

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盤上の碁石

盤上の碁石

こどものためにつくられた本って、絵や字がおおきいです。

で、高齢な人のためにつくられるものもやっぱり、絵や字が大きいです。高齢の人が操作することを想定してつくられた機械の類は、ちょっとボタンが大きかったり、その数が少なかったりします。

こどもケータイや、高齢の方向けにつくられたであろう「かんたんケータイ」的なものには、つかう人の特徴に合わせたデザインがなされていることと思います。

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赤魔道士の憂鬱

赤魔道士の憂鬱

「赤魔道士の憂鬱」という名前をつけたバンドでも組んでみようかしらと、ぼくは妄想したことがあります。

「赤魔道士」というのは、家庭用ゲーム機のゲームソフトとしてはじまり、たいへん大きなコンテンツになった「ファイナルファンタジー」というロールプレイングゲームの中にでてくる「ジョブ」のひとつです。

その「ジョブ」にはいろいろあって、格闘技に長けたジョブだとか魔法に長けたジョブだとかダメージの

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舞い、歌い、匂い。

舞い、歌い、匂い。

文字の組み合わせによる「ことば」は、ぼくの伝えたいことのすべてをあらわしてはくれません。

「ことば」のようなものはいろいろあります。笑いかけること。手をにぎること。肩に触れること。顔を近づけること。おしりで押したり押し返したりすること。声や音を発すること。においを出すこと。飛んだり跳ねたり、ステップを踏んだり、手をあげたりすること。

「ことば」のようななにかとなにかの「間(ま)」によっ

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てつがくのポーズ

てつがくのポーズ

へたの考え休むに似たり という慣用句? があるのですね。へたに考えるのは無駄であるとか、へたに考えて何もできない・実らないくらいなら、まず何か行動してみてから考えて軌道修正するなり方向転換するなりしたほうが良い結果をもたらすよ、といったようなことをさとすことば……といった感じでしょうか。

休むことはすごく、有効・有用であるように思います。へたに考えるくらいなら、休んだほうが良い結果をもたらすで

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ツボ探偵・あんまちゃん

ツボ探偵・あんまちゃん

指示されたり命令にもとずいたりして仕事をすることがあります。工夫やアレンジの余地もなく、機械的にただこなしさえすればよい類の作業であることもありますし、工夫やアレンジ、発想することを含んだかたちでの指示や命令に端を発する作業である場合もあります。後者のほうがやっていて楽しかったり、充足感や達成感があることが多いような気がしますが、いっぽうで、前者のほうが、より競技的なたのしみといいますか、身体を動

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一生分のチャンス

一生分のチャンス

カレーパンの形はラグビーボールに似ていると思います。形だけじゃありません。色も似ていると思います。こんがりしたきつね色が、ボールの皮の色そっくりじゃないかと思うのです。

形だけなら、オムライスもけっこう似ていると思ったんです。でも、溶き卵が熱でかたまったレモンのような白っぽい黄色は、ラグビーボールとは色が違うなと。それで、あの形で色ももっとこげ茶っぽい色のものってなんだろうと思ったら、カレーパ

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好奇心のマネージャーは融通利かせ屋さん

好奇心のマネージャーは融通利かせ屋さん

本屋さんによく行きます。お目当ての特定のタイトルを探しに行くこともあるし、そうでないときもあります。僕にとって、お目当てのタイトルが何かあることは、本屋さんに行く口実に近いです。お目当てのタイトルがあってもなくても、必ずと言っていいほど、ほかの何かおもしろそうなものが見つかるからです。そうやって、お目当てのタイトル以外の何かがレジを通って僕の家に連れて来られるという事件が頻発しています。

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ぼくの知らない金曜日

ぼくの知らない金曜日

ぼくは金曜日、寝坊をしなかった。いつもと同じ時刻に起きた。ぼくはいつも早起きなのだ。それを早起きといっていいのか正直、迷う。いつも、迷っているのだ。いや、いつもは迷っていないけれど、たまに迷うくらいだ、といっていいのかどうか迷う程度にはよく迷う。

ぼくは金曜日、動物園に行かなかった。水族館にも行かなかったし、美術館にも行かなかった。漫画をしこたまは読まなかったし、文章の多い本をしこたま読みも

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運ぶ人

運ぶ人

頼まれごとをするのは、悪い気はしません。じっさい、ぼくはじぶんの持つ時間の多くを、人からの頼まれごとを実現するために費やしています。仕事としてそれをやることもあるし、無償でやることもあります。

あることが叶うとき、だれかから頼まれておこなう場合と、自主的にやる場合があると思います。たとえば、ミュージシャンが「演奏してほしい」という主催者の頼みごとを引き受けて演奏が実現する場合と、「おれは演奏

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失敗は成功の友

失敗は成功の友

失敗は成功の母、ということばを聞いたことがあります。偉人のことばだったと思います。言い放ったのはどなただったかしら、エジソンさんでしたかしらね。

「母」は、よく見ています。よくことばをかけます。はたらきかけもするでしょう。そのままではあぶないとか、とりかえしのつかないことになるとかいったときの分岐点にある子を守る存在、という「母親像」について思います。

「失敗は成功の母」と表現する際、

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傘を、あなたに。

傘を、あなたに。

夏の炎天下で、信号機が青に変わるのをただ立って待つのはしんどいことでしょう。だからつい、点滅した青信号や、運転時の黄色信号が終わるその前にと、駆け込んでしまいがちです。

傘を持っていないときの雨天時の信号待ちもほんとうにはがゆいものがあります。ただただ濡れながら、かばんのなかの本やら精密機器やらを染み込んだ雨水が脅かしやしないか、やきもきしながら信号機が変わるのを待つときの焦りほど僕が望まな

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しろうとの詩

しろうとの詩

僕が十字架か棺桶かのように背負っているように我ながら感じてしまいがちでいることのひとつが、器用貧乏ということです。

むかしからたいていのことは、それなりにできました。なんてじぶんで言うのは恥ずかしいことかもしれませんが、できたんです、たぶん。だから今こんなことを思うわけです。

幼い頃からピアノをやっておりました。ばつぐんには弾けないけれども、からっきしダメでもない。練習が好きと言うほど

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そのTシャツ、なんて書いてある?

そのTシャツ、なんて書いてある?

むかし、サングラスをかけた軽妙な人柄の司会者が名物のバラエティ番組があった。その番組の中には、ゲストが次のゲストに声をかけて出演者が決まる(という演出の、あるいは本当にそうかもしれないが)トークコーナーがあった。

あれにもし僕が出ることになったとしたら、大ごとだ。じぶんにはピーアールできるようなことなんてない。軽妙なトークに軽妙なトークで応えて無難に時間をやりすごすしかない。そういった雰囲気を

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