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エッセイ・コラム・ショートショート等々

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ヘッダー画像は尊敬するナンシー関さんの著書です。
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#エッセイ部門

【エッセイ】水色の洗面器

【エッセイ】水色の洗面器

今でも僕は水色の洗面器を見ると条件反射で拒絶してしまう。
嘔吐した場面を思い出してしまうからだ。
幼稚園、もしかしたらそれ以前から小学生くらいまで使っていた洗面器が水色の乗り物のイラストが描かれた子供用の洗面器だった。
僕が最後に吐いた(嘔吐した)のは小学校低学年くらいだったろうか。
吐き気に負けて涙しながら嘔吐する時は決まってその洗面器にだった。
風邪や体調を崩した時によく気持ち悪くなっていた僕

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【エッセイ】桜見てひまわり思う

【エッセイ】桜見てひまわり思う

雪国というほど近年は雪が降り積もらなくなった石川県ではあるが年間降水量も上位で日照時間は下位なのは今も健在の地に住んでいるから冬は西高東低に従ってこもることが標準デフォルトと刷り込まれている。
もし、この概念が元からなかったとして例えば湘南に生まれていたら風は冷たくても空が青くて日差しが眩しければ防寒対策ばっちりで外へ軽やかに出歩く感覚を僕は持っていただろうか。

そんなことはわからない。
もしも

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【エッセイ】レンタルビデオ屋の名犬ラッシー

【エッセイ】レンタルビデオ屋の名犬ラッシー

高校何年生だったか定かではないがティンバーランドのナイロンパーカーにユニクロのマフラーを隙間なく巻いていた寒い冬だったことは覚えている。
雪が降ってなかったからその日は自転車で通学した。五時も過ぎれば外はもうすっかり夜の色。僕は自転車のライトを点けていつもの道を家に向かって帰っていた。部活を終え時刻は7時も近かったと思う。
僕はほぼ毎日のようにレンタルビデオ屋へ立ち寄っていた。
朝は返却ボックスに

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【エッセイ】ハードルの高さ

【エッセイ】ハードルの高さ

夏休みの宿題で一日何ページドリルを進めるか。
最低10ページの人もいれば5ページの人、1ページの人もいる。
このページ数が人それぞれのハードルの基準と仮定する。
努力のハードルの基準は人それぞれ違う。
私は小さな努力をこつこつと積み重ねてきたつもりであったが、もしかしたらそれは小さくなかったのかもしれない。
大きかったと言いたいわけではない。
まったく反対でむしろ無意味に近い。
というのも「身の程

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【エッセイ】デパートの屋上遊園地−香林坊大和−

【エッセイ】デパートの屋上遊園地−香林坊大和−

再会

東京の友人と再会した(以下Aくんとする)。
Aくんは小学校の6年間と中学校の1年間を共に過ごした同級生だった。
僕には悲しいジンクスがあった。
仲良しとは長く一緒にいられなかったことだ。
仲良しの友人は親の転勤で遠くの地へ行ってしまうのだ。
Aくんもその一人だった。
PHSも持ってなかった時代、都会へ引っ越していったAくんとは年に一度の年賀状で繋がっていた。
携帯電話を持つ年齢になるとメー

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【エッセイ】イオンより愛を込めて

【エッセイ】イオンより愛を込めて

私には我が子も同然の愛おしい甥っこがいる。
時が経つのは早いもので一番上の甥っこはもう高校生である。
そう、まだ目も開いていなかった小さな命を恐る恐る抱っこしたあの日からもう16年以上が経ったのである。
同じ16年の年月なのに甥っこは一段一段大人の階段を上る【成長】であり一方私は徐々に傾斜が大きくなる下降線の【老化】なのである。
けれどもそれはとても喜ばしいことなのである。
ドラえもんが未来に帰っ

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【エッセイ】僕と「きっちゃてん(喫茶店)」

【エッセイ】僕と「きっちゃてん(喫茶店)」

僕の記憶力はとても頼りない。
してないことをしたとは流石に言わないにしてもいつどこで誰としたのかの詳細の信頼度は記憶が古ければ古いほど低くなる。
特に人の名前を覚えることが苦手で中学生の頃観ていた「さんまのSUPERからくりTV」の人気コーナー「玉緒が行く」の中村玉緒ばりに「うぉほほ、ところであなたどちら様でしたっけ」てなレベルである。
かといって妖怪の名前はドラえもんの暗記パンを食べたかのように

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【コラムエッセイ】会食恐怖症の着眼点

【コラムエッセイ】会食恐怖症の着眼点

私は会食恐怖症(かもしれない)。
うーん、だったかもしれない。
いや、今もそうかもしれない。

はっきりしない書き出しで申し訳ない。

というのも【会食恐怖症】について書くのはこれがはじめてなのだが、はっきりしないのはそもそも私を会食恐怖症にあてはめて(枠に囲んで)いいのか正直わからない(自信がない)からだ。

この会食恐怖症という言葉を知ったのもぼんやりとした過去の記憶で、あえて深堀りせずきたく

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【コラムエッセイ】笑った私の罪

【コラムエッセイ】笑った私の罪

私は今モヤモヤしている。
冗談じゃないくらいすごくモヤモヤしている。

そのモヤモヤについて書くにはまだ材料も時も一定の条件を満たしていない気もして書くべきではないと手を置き、いや、でも書かずには自分の精神衛生上よろしくないと再びスマホを手に取りを繰り返していた。

だが、思ったことをただ吐き出すくらい許されるだろうと書くことに決めた。

モヤモヤとはダウンタウンの松本人志さんのことである。

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【エッセイ】宮﨑駿監督だって嫉妬する

【エッセイ】宮﨑駿監督だって嫉妬する

おったまげた。

宮﨑駿監督作品の見方が全てそのベクトルで変わってしまうのではないかというくらい衝撃を受けた。

昨夜、NHKで放送された「プロフェッショナル仕事の流儀」の宮﨑駿特集は日本中に雷が走った。(この雷というのもキーポイント)

番組が始まってすぐに宮﨑駿監督の嵐の如き喜怒哀楽の解放を番組スタッフの見事な編集によってみせつけられた。

アクセル全開。怒涛の感情情報。

私は釘付けになり、

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【エッセイ】厄祓い完了

【エッセイ】厄祓い完了

天気が味方してくれた。
連日1月並の寒さと氷まじりの冷たい暴風雨だった空が青く澄んでいた。

だいぶ前から予約していた厄祓いの日がとても気持ちの良い師走の一日にピンポイントで重なった。

神主さんの見事な祝詞(のりと)の奏上。
五臓六腑に響き渡る太鼓の音(号鼓)。
静寂の間合いに鳥が囀る。

清らかとはなにか。改めて清められるとはどういうことなのかを考えさせられた。
それは身も心も引き締まる思いに

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【エッセイ】厄年なんか怖くない

【エッセイ】厄年なんか怖くない

〽あなたもおーおかみにーかわりっまっすっかー?

石野真子さんの「狼なんか怖くない」がぴったりでしっくりくる1日だった。

タイトル通り、厄年なんか怖くない!

それは希望的観測と斜に構えたダークサイドに片足つっこんだ私の精一杯の抵抗である。

なんのこっちゃな前置きはそろそろここまでにして、本題へ。

あ、一応厄年にビビっているバージョンの記事も貼っておきますのでよろしければ。

一週間ほど前か

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山羊の労働漫遊記

山羊の労働漫遊記

何やってんだろうという経験もいつかは自分の糧になる。
転んでもただでは起きるもんかと言葉は悪いが「何クソ魂」で理不尽なことも乗り越えてきた。(つもりである)

10代後半から30代までの間に経験してきた様々な労働。
日払いの単発派遣も当時は普通にあった。
日払いの現場はその日っきりで二度と会うこともないだろうというきっぱりさっぱり後腐れもない気ままな人間関係を繰り返す。
聞こえのいい表現をするなら

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【エッセイ】双子にゃ敵わん

【エッセイ】双子にゃ敵わん

結局今年は秋がなかった。
こじれた夏から急に冬になった。

昨年の秋に書いた詩があり、その詩を考えながらウォーキングしていた時の情景を思い出していた。

その時は確かに秋の心が澄み渡る風を鼻から思いっきり吸い込んでいた。
今年も厳しい夏から解放され、その詩作に最高な環境の中でウォーキングするのが楽しみだった。

が、いつまでもその秋はこなかった。

少し遅く起きた日にはそうこうしている内に16時に

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