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エッセイ・コラム・ショートショート等々

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ヘッダー画像は尊敬するナンシー関さんの著書です。
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記事一覧

【感想】谷川恵一アナと「四月物語」

【感想】谷川恵一アナと「四月物語」

北陸放送(MRO)の谷川恵一アナがメインパーソナリティを務めるMROラジオ土曜朝9時の番組『谷川恵一そろそろ。』

前番組『モリラジ』最終回からメールを送り始め新体制でスタートした今番組には初回から欠かさず拝聴&メールを送っている。これが僕の最近の土曜のルーティンとなっている。ラジオにメッセージや企画応募、曲のリクエストをすることは中学以来でとても新鮮である。寄稿や賞レースの投稿とも違って気軽に徒

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【エッセイ】水色の洗面器

【エッセイ】水色の洗面器

今でも僕は水色の洗面器を見ると条件反射で拒絶してしまう。
嘔吐した場面を思い出してしまうからだ。
幼稚園、もしかしたらそれ以前から小学生くらいまで使っていた洗面器が水色の乗り物のイラストが描かれた子供用の洗面器だった。
僕が最後に吐いた(嘔吐した)のは小学校低学年くらいだったろうか。
吐き気に負けて涙しながら嘔吐する時は決まってその洗面器にだった。
風邪や体調を崩した時によく気持ち悪くなっていた僕

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【エッセイ】桜見てひまわり思う

【エッセイ】桜見てひまわり思う

雪国というほど近年は雪が降り積もらなくなった石川県ではあるが年間降水量も上位で日照時間は下位なのは今も健在の地に住んでいるから冬は西高東低に従ってこもることが標準デフォルトと刷り込まれている。
もし、この概念が元からなかったとして例えば湘南に生まれていたら風は冷たくても空が青くて日差しが眩しければ防寒対策ばっちりで外へ軽やかに出歩く感覚を僕は持っていただろうか。

そんなことはわからない。
もしも

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【エッセイ】読み捨てられる雑誌のように

【エッセイ】読み捨てられる雑誌のように

四月はちょっぴりセンチメンタルジャーニーである。

先日、某県の某知事が新入職員たちに「毎日野菜を売ったり、牛の世話をする仕事とは違い皆さんは知性が高い」「シンクタンクだ(横文字使うな)」などと宣った。
さすがお役人。意識がお高い。次元というかステージが違う。そして職業差別を意図しての発言ではないと最後まではぐらかした。記者会見で建前は謝罪したが、それも不快な思いをされた方がいらしたらお詫びすると

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【エッセイ】レンタルビデオ屋の名犬ラッシー

【エッセイ】レンタルビデオ屋の名犬ラッシー

高校何年生だったか定かではないがティンバーランドのナイロンパーカーにユニクロのマフラーを隙間なく巻いていた寒い冬だったことは覚えている。
雪が降ってなかったからその日は自転車で通学した。五時も過ぎれば外はもうすっかり夜の色。僕は自転車のライトを点けていつもの道を家に向かって帰っていた。部活を終え時刻は7時も近かったと思う。
僕はほぼ毎日のようにレンタルビデオ屋へ立ち寄っていた。
朝は返却ボックスに

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【エッセイ】ストツーと半ズボン

【エッセイ】ストツーと半ズボン

昨年、レスリングの吉田沙保里さんが春麗(チュンリー)のコスプレでストリートファイターのCMに出ていた。
ストリートファイターももうⅥ(シックス)なのだなーと画面に釘付けになった。
驚いたのはシリーズの数字だけではなくチュンリーとスマホで入力したら春麗と変換候補で出たこともそうだ。
今当然のようにストリートファイターだの春麗だのと並べているが知らない人にはなんのこっちゃな話である。
遅ればせながら、

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【コラム】スカウターにIQ

【コラム】スカウターにIQ

この世の中に絶対はない。
絶対と呼ばれるいくつかのものでも99.9…%が限界である。
が、ひとつだけ100%絶対と呼べるものがある。
「死」である。
生きとし生けるものは必ず死ぬ。絶対に死からは逃れられない。
もし、ここで肉体の死はあっても魂は生きつづけ滅びない。だから絶対は存在しないという論理を持ち出してこられないとも限らないが、証明できないこの説はここでの「絶対」に該当しないので今回はないもの

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【エッセイ】ハードルの高さ

【エッセイ】ハードルの高さ

夏休みの宿題で一日何ページドリルを進めるか。
最低10ページの人もいれば5ページの人、1ページの人もいる。
このページ数が人それぞれのハードルの基準と仮定する。
努力のハードルの基準は人それぞれ違う。
私は小さな努力をこつこつと積み重ねてきたつもりであったが、もしかしたらそれは小さくなかったのかもしれない。
大きかったと言いたいわけではない。
まったく反対でむしろ無意味に近い。
というのも「身の程

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【エッセイ】デパートの屋上遊園地−香林坊大和−

【エッセイ】デパートの屋上遊園地−香林坊大和−

再会

東京の友人と再会した(以下Aくんとする)。
Aくんは小学校の6年間と中学校の1年間を共に過ごした同級生だった。
僕には悲しいジンクスがあった。
仲良しとは長く一緒にいられなかったことだ。
仲良しの友人は親の転勤で遠くの地へ行ってしまうのだ。
Aくんもその一人だった。
PHSも持ってなかった時代、都会へ引っ越していったAくんとは年に一度の年賀状で繋がっていた。
携帯電話を持つ年齢になるとメー

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【エッセイ】イオンより愛を込めて

【エッセイ】イオンより愛を込めて

私には我が子も同然の愛おしい甥っこがいる。
時が経つのは早いもので一番上の甥っこはもう高校生である。
そう、まだ目も開いていなかった小さな命を恐る恐る抱っこしたあの日からもう16年以上が経ったのである。
同じ16年の年月なのに甥っこは一段一段大人の階段を上る【成長】であり一方私は徐々に傾斜が大きくなる下降線の【老化】なのである。
けれどもそれはとても喜ばしいことなのである。
ドラえもんが未来に帰っ

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【エッセイ】僕と「きっちゃてん(喫茶店)」

【エッセイ】僕と「きっちゃてん(喫茶店)」

僕の記憶力はとても頼りない。
してないことをしたとは流石に言わないにしてもいつどこで誰としたのかの詳細の信頼度は記憶が古ければ古いほど低くなる。
特に人の名前を覚えることが苦手で中学生の頃観ていた「さんまのSUPERからくりTV」の人気コーナー「玉緒が行く」の中村玉緒ばりに「うぉほほ、ところであなたどちら様でしたっけ」てなレベルである。
かといって妖怪の名前はドラえもんの暗記パンを食べたかのように

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【コラムエッセイ】会食恐怖症の着眼点

【コラムエッセイ】会食恐怖症の着眼点

私は会食恐怖症(かもしれない)。
うーん、だったかもしれない。
いや、今もそうかもしれない。

はっきりしない書き出しで申し訳ない。

というのも【会食恐怖症】について書くのはこれがはじめてなのだが、はっきりしないのはそもそも私を会食恐怖症にあてはめて(枠に囲んで)いいのか正直わからない(自信がない)からだ。

この会食恐怖症という言葉を知ったのもぼんやりとした過去の記憶で、あえて深堀りせずきたく

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【読書感想】「放課後の文章教室/小手鞠るい」

【読書感想】「放課後の文章教室/小手鞠るい」

ツイッターの海を旅して私のもとへやって来てくれた小手鞠るいさんの約40年前の素敵な詩がここ数日の学びのきっかけでした。
私の憧れていたやなせたかし先生の詩の雑誌「詩とメルヘン」。
小手鞠さんは当時実名の川滝かおり名義で「詩とメルヘン」に詩の投稿をされていました。
ということをそのツイートで知ったわけなのでした。

添付されていた写真には「詩とメルヘン」1982年3月号に掲載された小手鞠さんの「覚え

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【エッセイ】ネバーギブアップ!ポケビ&ブラビ

【エッセイ】ネバーギブアップ!ポケビ&ブラビ

2024年1月も終わろうとしているが昨年の大晦日から元旦、そして今にいたるまで今までにない時間感覚を味わってきた気がする。

元旦の緩みきった独特のいちにちが地元石川県の能登半島を震源とする大地震でめちゃくちゃにされてまだその月が終わってない。
長くもあるし、それでももう2月がくるのかとも思う。本当に不思議な感覚だ。
正直、極端なことをいえばまだ新年をはじめられてない気もしている。どこかでポツンと

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