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【エッセイ】情熱の疑問

僕はこどものころよく親に「ねぇ、なんで?」と疑問に思ったことはとにかく尋ねてばかりいた。
なぜ空は青いのか。なぜこどもが生まれるのか。
とるにたらないことから答えに困ることまでなんでも「なぜ?なに?」と質問ばかりしていた。
親からすればとても面倒臭いこどもだったろう。
三つ子の魂百まで。
その名残りをひきずって今も生きていることは自覚している。
ただ人に聞かなくなっただけで常に悶々と自分の中で「なぜ?」は巡っている。

そんな大層な事ではないのだ。
最近25歳の若者と話す機会があった。
話す中で自分が25歳だったころのことと重ねながら、改めて不思議な年齢だなと気づいた。
25歳は多くの人にとっても割と転機となる年齢なのかもしれない。
例えばもっと世界をみてみたいと地元を離れたりした人もいた。
若者(絞って言うなら20代)はその勢いがある。
バイタリティーなんて少し死語かもしれないが情熱が勝る多少の無理がきいてしまう体力気力を持っている。
40になった僕はもうそういった願望が湿気ったマッチのようにすっても火が灯らない。
その眩しい若さにただただ心でエールを送りその若さの恩恵にあやかりエネルギーをお裾分けしてもらうくらいのことで満足してしまう。

若さとはなんだろう。
ふと、元来の「なぜ?なに?」がうずきだす。

僕も20代のころ、とにかく東京への憧れが強かった。向き不向きは別としてその意気込みは興奮した闘牛の鼻息のようであった。
ただ考えてみると日本の若者全員が皆東京に憧れ、実際東京へ行ったとする。
東京は若者で溢れ(収まりきらないだろうが)家賃は気絶するほど高騰し、住める者と住めない者の差は残酷なまでにふるいにかけられる。富める者しか生活は出来ないだろう。関東近郊、埼玉、千葉、神奈川でさえパンク状態。
過疎が問題になっている地方は過疎ではすまない「無」になる。若者が一人もいなくなれば自然に消滅していくだろう。

そんな仮定の妄想をしながら、それでも今多くはないが少数の若者は地方に残り地方を維持してくれている。
憧れたって全員が東京や都会へ出るわけではない。出られるわけではない。
ただやはり25歳という節目の年になんらかの渇望に掻き立てられる不思議はある。
あれはなんなのだろうか。

僕の「なんで?」はまだつづく。

日テレとフジテレビは24時間、27時間の生放送を夏にやる。
でも他の局でしないのはなぜ?
かろうじてTBSはオールスター感謝祭がある。地方局のアナウンサーを選抜しNG大賞もひらかれる。
NHKは民放ではないのでちょっと例外としてテレ朝はこれといったなにかをしない。
なにかあったっけ?
いや、やはりない。
それはなぜ?
テレ朝系列だけ地方局のアナウンサーが東京の本社に集ってはっちゃけないのはなぜ?
民放各局のバックボーンの特色は一体なに?新聞社との関係?
正解はどれ?思想に関わるならこれ!とは断言できないだろう。アナウンサーも組織の一人ゆえある程度の自由と不自由があるはずである。時代は個人の声に傾けようという流れはあるようだがそれでもどうだろう。その口を開くのは容易くないだろう。

この局によって漂う空気が違うなんともいえない不気味さはなんだろう?
垣根を越えての「#WAKUをこえろ!」の追い風は弱まっているのか。まだ吹いているのか。

ちなみに、当時26歳目前の石川県地方局北陸放送(TBS系列)の石橋弘崇アナウンサーが綴っていたブログには夜の散歩で将来のことを考えるとあり、なにか向上心や高い志を感じずにはいられないのであった。25歳の渇望というものであるのだろうか。


それぞれの人生、そのそれぞれとは、ひとりひとりの人生。誰のものでもない世界でひとりの「わたし」が考え悩み選択決断した将来の展望を他人は応援するしかないのである。

大人になった僕らはもう誰にも「なんで?どうして?」とは聞けないのだろうか。
それもひとつの向上心ではあるが、あの若さ特有の情熱を忘れたくないし失いたくない。それが到底無理な憧れであったとしても。





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