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【エッセイ】おっさんだった

最近一人称を「僕」で統一していたが今回は「私」に戻して書いてみようと思う。
今回の内容からすると「私」の方が空気感に馴染むと考えたからである。

私は今までことあるごとに「松潤と同い年だからまだ若い」とか「ニノ(二宮)とも同じだし、なんなら櫻井翔より年下なんだからまだまだ全然若い」などと己を鼓舞するように、思い込ませるように、呪文のように言い聞かせて安心してきた。なぜ嵐しばりなのかはチャリを漕いでMDウォークマンを聴きながら登校していた高校生のころを引きずっているからなのだと思う。確かにあのころの嵐の人気はずば抜けて高かった。独走していた。否定などしたら石でも投げられるような空気さえあった。
「松潤」「ニノ」で通じるのだ。
使い勝手はこの上なく良く相手にも松潤と同じ歳ならまだ若いかと思い込ませる魔法の名前であった。そんな言葉に頼りきって使いまくっていた。

が、40歳になった昨年の8月、そのテンプレートを使うことが明らかに苦しくなってきた。しんどい。とにかくしんどい。
「ねぇ、パトラッシュ。なんだかとっても眠いんだ。」ばりに疲れてしまったのだ。
もう、おっさんだ。
というか、とうの前から十分おっさんだったのだ。そんなこと知ってたのだ。ただ例の「松潤と同い年だから」で逃げて向き合ってこなかったのだ。認めたくなかったのだ。
私は大声で「すみません!!私はもうおっさんです!!背伸びしても逆立ちしてもどうしようもないくらいのおっさんだー!!」と叫びたくなった。その方が楽になれる気がした。

松潤もニノも関係ない。国民的アイドルにも40の壁は誰にも等しく立ちはだかるはずだ。
私には40の壁とは死の壁でもあった。
お湯の入った洗面器に足をつけているところからそのまま氷水の入った洗面器に足をつっこむように39歳から40歳になって不思議なくらい「死」というお面が鼻の先があたるくらい目の前に現れたのだ。向き合わせられてしまったのだ。
そもそも私は昔からよく死について考えている方の人間だった。
小学生のころから「(あぁ、今はまだこどもで若いけどいつか必ず死ぬんだよな…)」とグーパーを繰り返す両手を見つめながら黙って考えていた。
どちらかというと死については敏感だった。
生き急ぐというのか死に急ぐというのか、とにかく焦らずきたことなどなかった生き方をしてきた。眠る前には「(あぁ、今日も終わってしまった。貴重な1日を何に費やした?何ができた?何かしたか?)」なんて後悔ばかりの繰り返しであった。
よく大人になって、例えば25を過ぎたあたりのアラサーを意識しだした人が言う「もう徹夜出来ない体になったなー」というやつ。あれが私には当てはまらないのだ。
というのも私はバリバリの10代、現役の学生の時代から徹夜は出来なかったからである。徹夜してみようと試みたことはある。友達と勉強会という名の下のおとまり会でも、せいぜいが夜中の2時が限界であった。眠いのではなく、眠るという行為をしないと次の日使い物にならない体になるからであった。あと寝ないといけない強迫観念みたいなものもあった。
生あくび。吐き気。ふらつき。めまい……。
徹夜のメリットって何?…である。
自分は徹夜が出来ない体なんだと昔からわかっていた。
徹夜していたという人は丈夫な人なんだなと羨ましく思っている。
こちとら年齢のせいで徹夜が出来ないとかそんな次元ではないのだから。
ただ、40の壁は様々な人のそんな特質を抜きにして皆等しくやってくる。それが残りの時間を意識しだすことである。
明日どうなってしまっても不思議じゃないのだから。私はもう立派なおっさん。こども世代からすれば「うっせー、クソジジイ」と吐き捨てられても不思議じゃない年齢なのだ。
若くない。いやいや若くないというか「おっさん」なのだ。
もう、拍車をかけてなりふりかまってなどいられない。
私は私のベストを尽くして生きてきた「はず」なのだ。でも何か追いかけたものに到達しただろうか?していない。夢なんて叶ってもいない。それは単に私の努力が足りないからか。足らなかったのか。寝ずに努力していないからだろうか。寝ずに何を努力したらよかったのか。私の場合寝ずに執筆ということだろうか。いやいや、何を言ってるの。徹夜はむしろ夢を遠ざける自傷行為であるとわかっているだろうに。
私は徹夜はしないが起きてる活動時間内で努力はしてきたのではないだろうか。してきたはずだ。はずではなくしてきたじゃないか。してないことはない。でももっと頑張れたかもしれない。じゃあやっぱり頑張り足りなかったのか。だから今もこうしているのだろうか…。
つまりはこのままの積み重ねをしていてもきっと……。

常闇の底なしの螺旋階段をまっさかさまに落ちていく。あぁぁぁ〜〜……。

私にはどうも脆くなる周期があるようだ。
囚われてしまう。過敏になる。流せていたことが気になって仕方なくなる。くだらないことまで掴み取ってしまう。
とはいっても無情にも8月になればまた歳は取る。
もっとおっさんになる。そのうちジジイだ。
もうとにかくはやい。
41、42、43………あっと言う間に50。60。
いや、60まで生きてられるだろうか。

最近「松潤と同い年」がたまらなく辛い。
苦しくて虚しい。情けなくなって嫌になる。
40は胸を張っておっさんだ。
だから私もおっさんだ。
つまり松潤もおっさんだ。
おっさんになっちゃってたんだなー。
やっと認められるようになったんだなー。
で、何が足りない?何が足りなかった?
何が出きる?何をしてきた?何がしたい?
あぁ、死ぬのが怖い。




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