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山羊の労働漫遊記

何やってんだろうという経験もいつかは自分の糧になる。
転んでもただでは起きるもんかと言葉は悪いが「何クソ魂」で理不尽なことも乗り越えてきた。(つもりである)

10代後半から30代までの間に経験してきた様々な労働。
日払いの単発派遣も当時は普通にあった。
日払いの現場はその日っきりで二度と会うこともないだろうというきっぱりさっぱり後腐れもない気ままな人間関係を繰り返す。
聞こえのいい表現をするなら「一期一会」。

現場で出会った私よりふたまわり程年配の人に言わせれば使い捨ての「日雇い人足」というのも決して間違いではないことも場数をこなしていくとわかってくる。

これまで基本私には週に6日、時に7日の日中に従事していた本職があり、それに夜も掛け持ちして働いていた時期もあり、その上休みが1日でもあれば日雇いをスポットで入れる生活をしていたこともあった。(特に20代は馬車馬だった)
全ては非正規だが、そういった労働をしていた中で冒頭の礎が築かれていった。

どうせ働くならその貴重な経験を後の人生に活かしてやるんだと自分を鼓舞していた。(今思えばから元気。そうでも考えないとやってられなかったのだろう)

そんな労働体験を簡単だが記してみようと思った。
(当然のことながら全てはこのひとつの記事では収まるわけがないのでほんのほーんのごく一部(結果2エピソード)を)

当時の私を一緒に成仏させてやってください。



●ゴルフ場イベントスタッフ全般の罠


日中の本職の仕事が1日休みということで私はいつものように休みを埋める為日雇い派遣会社に連絡してその日にある仕事を紹介してもらった。

ゴルフ場で大きな大会(◯◯杯?)があるので会場の飲食ブースでの手伝い全般をしてくれというのが仕事内容だった。

この全般っていうのが要注意なのである。
明らかにしてない曖昧な表現。
現場に行けば十中八九そんなことまで?!なことをやらされる。あちらにすれば使い勝手のいい言葉。
そんなことよりも納得いかなかったのは会社が用意する車に私が運転をして残りのスタッフ4人も乗せて現場へ連れていくことであった。
というのも運転免許を持っていたのは私だけだったからだ。
なるほど、当日はじめましての他の4人は見るからに学生さん(大学か専門か知らんけど)。
とはいってもまだ私も20代前半だったのだが…。
会社の車に乗りこみガソリンのメーターを確認する。
会社と現場の往復分ギリギリしか入ってない。(実際会社に到着するだいぶ前からエンプティランプがつきハラハラしながらもなんとか帰還。ちなみにガソリンは入れないでくれと言われていた)
まぁ、基本ブラックな会社だったし、そもそも当時はブラック企業という言葉が流行る前の時代だった。

運転して連れて行く分の上乗せ手当てはない。
移動中爆睡している他の4人と同じ給料。
こちらは名前も知らないその日出会った4人の命を背負い片道1時間弱の道のりを時間と燃料ギリギリでひた走る。(こんにゃろー)

現場に到着。だだっ広いゴルフ場。っていうかゴルフ場なんか生まれてはじめてなんだが…。

大会に参加していたのはゴルフに詳しくない自分でも知っている某有名女子プロゴルファー。
指定された休憩所へ向かうと組み立て前の白テントといかつい男たちが集まっていた。
まだ朝の8時過ぎくらいだった。(出発がめちゃくちゃ早かった)
早速指示された通りにテントを組み立てる。
雨上がりで布もパイプも何もかもが濡れている。すっかり空は晴れ渡り眩しい日差しが鉄パイプやゴルフ場の芝を輝かせる。
朝の澄んだ空気もマイナスイオンたっぷりといった感じで役得…というのもほんの一瞬のこと。
例の「全般」がわがままを発揮する。

ゴルフ場の端から端までを何往復もして荷物を運ぶ。ゴルフ場って広いんだと身を持って知る。
途中でアホらしくなって遅歩きしながら某有名選手のプレーを眺める。これも役得。いや、それくらいあってもいいだろう。

飲み物の補充。焼きそばをパック詰め。パラソルの立つテーブルを拭いたりゴミの後片付け。そこまで混み合うこともなくやんわり接客。接客ならぶっつけ本番でも臨機応変にこなせる。

いつしか陽も暮れはじめテントを解体、撤去する。
いかつい男たちとも半日も過ごせばかなり親密になれて、サーファーみたいなリーダー格の色黒あんちゃんは「今日はありがとな」てな具合にねぎらってくれる。

「お疲れ様でした」と駐車場へ向かう。
そう、あの無神経な4人を引き連れて…
結局帰りも奴らは爆睡していた。
行きも帰りも「運転してくれてありがとう」もなく、会社に到着すると蜘蛛の子が散るように去っていった。
名前も知らない4人にそれから会うことはもちろんなかった。


●真冬の看板持ち、警官に声をかけられる


その日の仕事は新築分譲マンションの展示説明会の看板持ちだった。

出来るだけやりたくない仕事のトップ5に入るのがこの看板持ち。
夏は暑さとの戦い。冬は寒さとの戦い。
ただひたすら看板を持って立つのみ。
言っちゃ悪いが誰でも出来る仕事ではある。(誰でも出来る仕事をする精神的苦痛も正直きついがやったことのない人に誰でも出来る仕事と言われるのはもっときついから自分で言っちゃう)

真冬の大通りの歩道に道案内の看板。
「展示会場➦こちら右折」

当時はスマホも存在していない時代。
よくてガラケーのワンセグ…でも、観てはいけない。
看板持ちは何もしてはいけない。ただ立つのみ。途中で抜き打ちで社員が様子をみにくる。さぼってないかチェックするために…。
椅子もない。
とにかく地蔵のように立つのみ。
その日は吹雪いていた。猛吹雪だった。
マフラーをぐるぐる顔に巻いて目と鼻だけ出して立っていた。
おじいさんの来ない笠地蔵であった。

何やらパトカーのサイレンがやかましかった。
近くのコンビニで強盗事件があったのだ。
しばらくすると警官が吹雪の中で立ち尽くす雪まみれの私に(目と鼻しか出ていない。その姿は覆面強盗犯)
「君、いつからここにいた?」と尋ねてきた。
「昼の10時くらいからずっといました…」
凍えながら答えた。

その時の警官の目ったら…残酷だった。
寒い中かわいそうに…でも惨め。
覆面強盗じゃねぇか…ならあわれ。
どちらであってもその目は私を傷つけた。

だがその日、一番心を破壊したのが看板持ちを依頼してきた会社のスーツを着たサラリーマンとのやりとりだった。

その日の朝、「はじめまして。よろしくお願いします」とこちらが挨拶をして看板を渡され立ち位置に案内されてる途中のこと。
「こんなの仕事じゃないよね?」と突然冷めた口調で言われ、思いもよらないセリフに困惑したが「依頼されて来たのでこちらは仕事のつもりです」と返すと「ふ〜ん…よく出来るよね、こんなこと。俺なら絶対やらないな〜」

はっ!?

そのとんがった革靴踏んづけてやろうか?
そのいやらしく光る腕時計叩き割ってやろうか?
そのピシッときまったスーツしわしわにしてやろうか?

私はその日の猛吹雪も警官の目も渋滞してこちらを眺める自動車に乗った人たちの針のような視線も無になれるほど心を石のように硬まらせたその社員の言葉、許すまじ!と怒りの炎で燃え上がったことを忘れない。



もう3000字近くなってきたので今回はここまでにします。
長すぎると嫌になっちゃうでしょうし。

改めて文字化してみて、くだらねー話だなと思いつつも、たった1日の日雇い労働にはなんともわびしくもせつない物語があるなぁとも(そんないいもんじゃないか)

もし、求められるのならまだまだエピソードはわんさかございますので…(求められなくても書くかな…ハハハ)

全文公開の有料設定(100円)の記事もございますのでご支援いただけましたら創作の「糧」になりますので、そちらもよろしくお願い申し上げます。(ちょっと図々しく…)
サポート機能ってパソコンからしか出来ない…ようですね…いつもスマホで打ちアップしております。長文は大変ですね。

それでは、また🐐




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