【エッセイ】双子にゃ敵わん
結局今年は秋がなかった。
こじれた夏から急に冬になった。
昨年の秋に書いた詩があり、その詩を考えながらウォーキングしていた時の情景を思い出していた。
その時は確かに秋の心が澄み渡る風を鼻から思いっきり吸い込んでいた。
今年も厳しい夏から解放され、その詩作に最高な環境の中でウォーキングするのが楽しみだった。
が、いつまでもその秋はこなかった。
少し遅く起きた日にはそうこうしている内に16時になり、次第に空は暗くなる。
立冬を過ぎて、曇りもしくは雨なんか降ってる日は1日なんてあっという間に終わってしまう。
1日中暗いまま終わることもしばしば。
それが北陸石川県の冬である。
日光を浴びられずセロトニンも不足し、心が沈んでいく。
そういう時、心の古傷がうずきだす。
親友に双子のどちらかを持つものではない。
ふと、そんなことを思い出していた。
高校で私はSと出会い、なにがきっかけかは忘れたが気がつけば親友になっていた。
Sはどちらかといえば無口だったが友達がいないわけではなかった。
が、特に誰かと仲がいいわけでもなかった。
いつでもしれっとどんなグループにも紛れ込んでいるようなタイプだった。
だが、いざ二人一組になれと言われたら一人余ってしまうようなそんなやつだった。
Sはそんな時、心細そうにどこか寂し気で一人突っ立っていた。
いつもどこかに馴染んでいて、上手く人付き合いしているようで、結局その他大勢の一部、今でいうモブにすぎないS。
弱みをみせるのが格好悪いと言っていたSは私よりそういった意味では不器用でプライドが高かったのかもしれない。
私はそんなSの一組になれたらいいなと思っていた。
気を使わなくてもいい空気が楽だった。
いつしか私はSと二人一組になっていた…
…気がしていただけなのかもしれない。
Sのどこか遠くを眺めているような性格は時に歯痒くもさせた。
意思が薄いというか、放っておけば雲が流れてその内消えてしまうような摑み所のなさがあった。
だから、エリートのモブだったのだろう。
Sには違う高校に双子の兄がいた。
Sは時々双子の兄の話をしてくれたがあまり聞きたくなかったというのが正直なところだった。
なぜなんだろう。
何か家族の話でもあるようでそうでないような…一般的な年の違う兄弟の話のようでそれとも違うような…友達のようでそうでもないような…なんとも不思議で異様な感覚にさせられたからだと思う。
双子そのものがそこまで多いわけでもなかったし、いても友達になったことがなかった。
私にはSがはじめての双子の片方の友達だった。
別に双子がいけないのではない。
私にとって双子とは血の繋がった家族で、同じ日に同じ腹の中から産まれた兄弟で、今まで一番近くで長く時間を共にした友達みたいな特別かつ特異な存在という分厚い壁に戸惑ってしまったのだ。
このSらの世界に入り込むことは不可能だと一気に距離が生まれた。
モーゼの十戒ではないが、海が真っ二つに割ける勢いで。
Sには無意識だろうが友達なんてものはそこまで必要ではない意識があったのだと思う。
もう既に自分の分身でもある双子の兄が最強の友達としていたのだから。そう考えれば納得ではある。
きわめつけにSは私にふとこんな質問をしてきた。
「お前ん家の犬と俺が溺れていたら犬を助けるだろう?」と。
10代の私には受け止めきれなかった質問と解答だった。
どちらも比べられないからだ。
でも、どちらを助けるかを問われたことがショックだった。
そういう天秤にかけることを尋ねるSにがっかりしたのを鮮明に覚えている。
こいつには双子の兄がいる。
俺が二人一組になる器でもなければはじめから必要なかったのだと。
私はSとそれを境に疎遠になった。
時々、双子を目にするとSとのことを思い出す。
双子とは友達にならない方がいいと頑なに私を洗脳する声が消えない。
味わったことのない虚しさに襲われることになるからだろう。
呪いのように双子という言葉が今も私を縛り付ける。
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