赤ちゃんプレイ中に彼女の親から電話が来てビビった話
日曜日は彼女とデートした。
午前中は映画館。もちろん上映中はスマホの電源オフ。電話に出ることはない。
夕方はお家でのんびり。スマホの電源はオン。かくして、彼女のスマホには親からの電話がかかってきた。
よりにもよって、赤ちゃんごっこの最中に、である。
「あ、お母さん?」
赤ちゃんごっこというのはそのままの意味だ。大のオトナが赤ちゃんになりきる。
そんなときに親から電話がかかってきたら、果たして、人間はどんな行動に及ぶのか。
今回のケースでは、彼女のおむつを交換している途中でハプニングが起きた。
枕元で鳴動するスマホ。
それまで赤ちゃんモードで想像通りの喃語を口にしていた彼女は、それを手に取るや否や、いつもと変わらないトーンで「あ、お母さん?」と通話し始めた。
急に成長するな。
通話する彼女、電話越しの彼女ママ。そして、粛々と彼女のおむつを取り替える自分。
前代未聞のシチュエーションが、始動。
おむつ一丁、スタンバイ。
映画館のあとで昼飯を食い、書店で時間を潰して、夕方には帰宅。彼女は先に風呂へ。俺はアイスを調達するのを忘れたため、一旦コンビニまで往復してから遅れてシャワーを浴びることに。
浴室を出ると、彼女が上はシャツ、下はおむつ一枚になってベッドで待機(というかゴロゴロ)していた。まあ、見慣れた光景である。
交際開始からだいぶ時間が経つ。恥じらいを込めて「電気消して」と言ってくれる期間はとっくの昔に過ぎている。
行為以外の戯れでもお互いの股間を見慣れるようになり、なおさら恥じらいはなくなってしまった。
普段おむつを取り外す際も、今さら彼女は「そこ見ちゃヤダ」などとは言わない。むしろ風呂場で「見て見て」と言いながら用を足すようなハレンチ彼女と化している。無論、ワシが育てた。
あまり理解されないかもしれないが、おむつ姿でスタンバイしているからといって、おむつ着用に恥じらいはない。
自分たちの場合、別におむつをしているからといって、そういうプレイをご所望ということにはならない。
実際に、おむつの使用が日常に溶け込んでしまうと、パンツもおむつも同格になる。つまり、おむつをつけるかは気分次第。コーヒーを飲むか、紅茶を飲むかの違いでしかない。もはや、おむつをはいているからといって、特別な意味合いはなくなるのだ。
これはもう日常のワンシーンに過ぎない。つまり、おむつ着用は、自分たちにとってはライフスタイルなのだ。
裸になるよりも恥ずかしい。
とはいったものの、やはり恋人のおむつ姿には、今でもそれなりに興奮する。裸ではない。きちんと下はつけている。しかし、常識的な感覚では、裸になるよりも恥ずかしいものをつけている。だから興奮する。
人には見せられないものをつけている。それは排泄にまつわるアンダーウェアだ。トイレを使わず、「そこ」に用を足してしまうことをありありと見せつけられる。そして恋人だけに、その下着を見せることを許している。
下半身はおむつ一丁。上半身は服の上からでもわかる、胸の膨らんだ大人のボディ。おむつとのギャップで、倒錯した興奮がわいてくる。
服を脱がす。ブラジャーとおむつの組み合わせがたまらない。上はオトナの時間を楽しむためのセクシーな姿で、下は子供のように粗相してしまうのを防止するための特別な下着。
股を覆っているのはショーツでもTバックでもなく、多めに吸収して長時間楽しめる紙おむつ。この雰囲気では、むしろ紙おむつまで、気合を入れて愛し合うためのランジェリーに見えてくるから不思議だ。
ここからの赤ちゃんの時間に、オトナの下着は似つかわしくない。身体を触り合って、情欲を高めながらブラジャーをはずす。
成人女性を赤ちゃんにする方法。
赤ちゃんプレイを行うにあたっては心の準備が必要だ。彼女にキスしたりハグしたり、甘い言葉をかけたり撫でたりしながら、段階的に理性のリミッターをはずしていく。
成人女性が、普段の状態から、いきなり赤ちゃん状態になるのは難しい。ストレスが溜まっていて、思いきり甘えたい場合はキス程度で「スイッチ」が入ることもあるが、毎回そうなるわけではない。だからこそ、このような「手続き」が必要になる。
意外かもしれないが、赤ちゃんモードは、単なるエロモードからは移行できない。人が赤ちゃんになる次元は、性のレイヤーと重なる部分もあるが、性からはややずれた位置にあるのも確かだ。
というわけで、先に挙げたような「手続き」によって、彼女の精神年齢を成人から徐々に下げていく。妹のような年の差から、高校生へ。小学生くらいまで来ると、幼児プレイまでもう一息。
「心の服」を、脱ぎ去ること。
しかし、赤ちゃんプレイのスイッチを入れる過程でいつも思うが、人間は日常生活で物理的に服を着ているだけではなく、精神的にも服を着ているものである。
そして、多くの場合、人間は全裸のときでさえ、心にはまだまだ服を重ね着している。恋人と愛を確かめ合っているはずのカップルも、実際は、女の心が薄着なのに、男の心はまだまだ厚着している可能性がある。
赤ちゃんプレイへの移行とは、この「心の服」を全て脱がしきることである。
人は赤ちゃんプレイになると、恥じらいも責任も捨てて、心ゆくまま相手に甘えまくることができる。体だけではなく、心まで裸になるというのは、こういうことなのだ。
だからこそ、赤ちゃんプレイは、このストレスフルな社会から一時的に解放されるオアシスとして機能する。心を病みがちな現代社会に、「心の服」を一時的に脱ぎ去る赤ちゃんプレイが必須なのは、間違いない。
赤ちゃんモード、スイッチオン。
平日に短時間睡眠を繰り返していたせいで、性欲よりも睡眠欲がまさっていた。派手なプレイより、だらだらとこうした甘ったるいプレイをした方が、心が安らぐ。赤ちゃんプレイは、甘える側だけではなく、甘えさせる側にとっても癒しになる。
段階的に精神年齢を下げて、初めは開き直りだった彼女の赤ちゃんの真似も、だんだん「入ってくる」。とどめに赤ちゃん言葉を食らわせた。
「バブちゃんでちゅかー」である。なるほど文字にすると多少はきつい。
彼女はぎこちない赤ちゃん言葉で返してきたので、いよいよ本格的にスイッチが入った。
お気に入りのおむつカバーをつけてやる。お尻が一回り大きくなり、それっぽい。紙おむつは下着同然に日常で愛用しているが、おむつカバーは赤ちゃんプレイでしか使わないので、今なお非日常のアイテムだ。
正気に戻らない麻痺状態。
こうして、心まで裸になった彼女は、他人には見せられない甘えん坊全開になる。
泣きまねもうまい。当初は「えーん、えーん」だったが、今では「んあああー」だ。しっかり赤ちゃんを研究している証拠だ。赤ちゃんプレイでは、普段の研究の成果が出る。ある意味、学会並みに緊張するイベントといってよい。
赤ちゃんは泣く直前にえずくような、せき込むような声を出すが、それもクリアできている。
とはいえ、お互いが口にしていた台詞のひとつひとつを、ここで文字に起こすのも抵抗がある。ここは割愛。
あのシチュに没入していたからこそ、あんなやり取りができたのだ。恥じらいを捨てるというのは、正気を失うことである。
これは変態プレイ一般に言えることだが、それは興奮に任せた異常な精神状態のコミュニケーションによって成立する。ある意味、「正気」に戻らないように、お互いに麻酔を打ち続けているのに近い。麻痺させ合い続けて、ようやくプレイになる。
要するに、そんな状態で成り立っていたコミュニケーションを、正気の状態で振り返って詳らかに会話を言語化しても、読むに堪えないものにしかならない。というわけで、以下、なるべく「ばぶばぶ」などは省いていく。
自己を全肯定される世界。
「ばぶばぶ」言う彼女を、赤ちゃん言葉であやし続けた。
「ハイハイ」の練習は楽しい。平日はパンツスーツで仕事をする成人女性も、お尻をおむつに包みながら目をトロンとさせて、四つん這いで部屋中を動きまわるのだから。
「ちゃん」づけで名前を呼び、こっちまで来れたら全力で褒めてやる。昼は仕事のパフォーマンスで評価を勝ち取ろうとする彼女も、今はハイハイするだけでこんなに褒められる。
会社にはノルマがある。責任がある。メンツがある。そのために、プライドを持ち、己を律して、義務に服さねばらない。文明社会に生きる我々には、文明を享受できる代わりに、何らかの労役が課せられている。
しかし、思えば、赤ちゃんプレイほど自己を肯定される世界もないのではないか。
ここにはノルマもない。責任もない。メンツもいらない。
守るプライドをゼロにして、心の奥底にいる自分をさらけ出せる相手がいる。
己を律する必要もなく、生理的欲求すら心のままに満たせばいい。ミルクがほしければ泣き、おしっこがしたければオムツにするだけだ。
服すべき義務は一切ない。大人である必要がない。それにも関わらず、そんな自分を褒めてもらえる。
赤ちゃんプレイは、ミルクを飲むだけで褒められる。おしっこするだけで褒められる。ハイハイするだけで褒められる。
これは、異常事態だ。文明を享受できるのに、労苦から解放されている。赤ちゃんプレイは、一時的に、文明の義務から自由になる避難所。ここは、解放特区だ。
これほど簡単に自分を全肯定してもらえる世界は、ここにしかない。
究極の自己肯定体験。こうして書き出せば、人が赤ちゃんプレイにハマる理由も、部分的には理解してもらえるのではないか。
スマホ鳴動、崩壊する楽園。
ハイハイで褒められ、哺乳瓶でミルクを飲み、ご機嫌になる彼女。抱っこをねだるので、抱き上げてやる。
カバーをはずしてチェックすると、おむつはかなり膨らんでいた。まあそういうことだ。人には言えない幸せの形がある。嬉しいときや気持ちいいときに、そのまま放尿して解放感を一緒に得ると、幸福感は倍増する。だからこそ、赤ちゃんプレイはクセになる。
赤ちゃんモードで「ばぶばぶ」だの「あーうー」だの喃語を口にしている彼女を「よちよちー」とあやしながらおむつ交換。
おむつの両側のミシン目をピリピリと破る。腰のくびれから骨盤を経由して太ももまでのラインが露わに。ちょうど生理用品を股に挟んだような格好となる。この時点ではまだ、おしっこするところも、おむつで隠されたままだ。
股をふきふきすると、歓喜の声とともに再度おしっこ。
いま拭いたばかりなのに、またきれいにしなきゃいけない。そんなやり取りも楽しい。なんならうんち漏らしても許せる。お互いデレデレが止まらない。
そこで枕元で鈍い振動。スマホが鳴っていた。自分のスマホかと一瞬思ったが、彼女が電話に出たところで、プレイは停止。
彼女は、いつもと変わらないトーンで「あ、お母さん?」と通話し始めた。
急に成長するな。普通にしゃべるな。
前代未聞のおむつ交換。
まあ、おむつを新しいものに取り替えるだけなので、俺は構わずプレイを続行。マイナンバーの相談ごときで、至福の時間を邪魔しないでもらいたい。
電話越しの彼女のママにバレたら卒倒することだろう。上京し、平日は一人前の社会人として働いている娘が、気持ちよく汚したおむつを彼氏に脱がされてすっぽんぽん。これから新しいおむつを当てられる真っ最中なんて。
大学まで行かせた娘は、哺乳瓶でミルクを飲み、ハイハイで褒められ、我が世の春を謳歌しながら赤ちゃん言葉で甘えている。俺が彼女の親でこんな状況を知ったら号泣するに違いない。申し訳ない。ワシが育てた。
テープ止めのおむつをはかせるので、びりびりとマジックテープが多少音を立てて電話の向こうに届くかもしれないが、彼女は特に気にしない様子。普段のトーンで通話を続ける。
多少は動揺してほしい。なんなんだこの状況は。おむつ交換されながら普通に日本語を話すな。
急ごしらえの「日常」。
とはいえ、何度も赤ちゃんプレイを楽しんできたが、これはこれで新鮮な感覚だ。何が新鮮なのだろうか。やはり通話の存在が大きい。
哺乳瓶に、おしゃぶりに、おむつに、ガラガラのチャイムに、おしりふきに、おむつカバー。成人女性に、新品のおむつを当てる成人男性。部屋に配置された物体と主体から、明らかに非日常の空間が演出されている。ここは祝祭空間だ。しかしながら、電話の向こうに届ける彼女の声だけが、むしろ異常なくらいに日常を保っている。
電話越しの向こうにも日常が広がっているのだろう。つまり、彼女のスマホは、この祝祭空間に突如出現した「窓」になっている。
公共空間から隔絶されなければならない部屋が、スマホを通して日常の空間と接続されてしまった。そうなれば、彼女も赤ちゃん言葉を発するわけにはいかない。日常世界に生きる住人に対応する必要が出てくる。いわば、いまここで立ち現れたのは、急ごしらえの「日常」である。
この急ごしらえの「日常」は、独自の緊張をはらんでいる。
相手の「日常」を守るため。
いま彼女は、赤ちゃんプレイという「非日常」に囲まれて、赤ちゃんプレイを「場」から要請され続けている。
具体的には、先ほど挙げた赤ちゃんプレイをするために用意された道具という「対象物」や、さっきまで赤ちゃんプレイを楽しんでいた空間の「履歴」によって、通話中も赤ちゃんプレイという甘い誘惑を受け続けている。
電話という「窓」によって、突然赤ちゃんプレイが中断され、満たされない思いを抱えながら、彼女は非日常に背を向けて、「窓」の外にある日常に対応している。
目に入るプレイ用品。お尻にしかれたおむつの肌触り。おしゃぶりをくわえていた口の感覚。耳をくすぐる赤ちゃん言葉。この部屋にいる限り、いつでも赤ちゃんプレイに引き戻されてもおかしくない状況にある。復帰を試みれば、即座にその欲求は受容され、充足されることが期待できてしまう。
けれども、もし通話中の彼女が、その声で「日常」を用意できずに喃語を発しようものなら、その瞬間「親と娘の何気ない会話」は崩れてしまう。相手の日常が破壊される。それほどまでに、「日常」は脆いのだ。
だからこそ、たとえおむつを当てられていても、赤ちゃん用のプレイグッズに囲まれていても、非日常の自分を見せるわけにはいかない。外向けに、「日常」を保持しなければならない。相手の日常を守り、このプレイが終わったあとの自分の日常を守るためである。
日常に穴を空け、栓をする。
要するに、彼女は電話に出たために、自ら祝祭空間に「穴」を空けてしまった。祝祭空間の外部に「秘密」が漏れ出ないように、彼女は急ごしらえの日常で穴に「栓」をした。そうでもしなければ、日常と非日常の両方が崩れかねないからだ。
彼女が電話対応で生み出した急ごしらえの「日常」には、独特の魅力がある。
赤ちゃんプレイという非日常のお楽しみが、親との通話で日常とつながってしまう焦り。赤ちゃんモードから切り替わり、自分と相手の日常の均衡を保ってはいたが、これは、赤ちゃん言葉ひとつでその均衡は崩れてしまうような綱渡りだ。
なんなら電話の向こうに聞こえるように、俺が赤ちゃん言葉を発してもその均衡は崩れただろう。実際、おむつを交換しながらの通話となった。こんな状況、ZOOMでカメラが起動していたら一発アウトである。この危うさに興奮した。
そして、彼女が急遽設けたその日常が、急ごしらえのものであることを自分と彼女だけが知っている。秘密の共有は、変態プレイの最も基本的な魅力である。
おわりに。
熱く語ったが、彼女の通話自体はほんの数分だった。とはいえ、得難い経験をした。赤ちゃんプレイ中に恋人の親が電話で入り込む状況は、まず予測できない。実に刺激的だった。
というわけで、彼女を満足させた次は俺の番。代わりばんこといえば、彼女にやってあげたことを今後は自分にやってもらうのが通例だが、俺はあまり赤ちゃんモードには入り込めなかった。気分の問題だからどうしようもない。
おむつをした大人がちょっとふざけて変態ごっこする感じのプレイで終わった。
まあ、おしゃぶりしてハイハイするだけで褒められるのは嬉しい。満足できた。勢いでおむつにウンコして叱られたくもなったが、あいにくこの日は腸内が空っぽでそれも叶わず。
ひとしきり楽しんだら、おむつを脱がしてもらってそのまま彼女にダイブ。小便まみれのベトベトの股を押しつけて、高ぶらせたありったけの情欲を、思う存分注ぎ込む。
最後はママのおっぱいを吸いながら眠りについた。至福の就寝。
ちょっとしたお気持ちでも、執筆のモチベがグングン上がります!